さて、いぢめられっこのアントワーヌを演じたのはグレゴリ・デランジェールです。
「ヴォンヴォヤージュ」では、それほど「jesterいい男網」にはかからず。
とっても健康的なお兄さんだな、しかもわりとぼんやりした顔だち(きゃあ、ファンの方ごめんなさい!

)と思ってました。
jesterが苦手なペコちゃん顔ではないのですけれど、『いい人顔』ではあります。
まあそういう役柄だったというのもあると思いますが。

でもこの映画では、そういう彼の持ち味が、アントワーヌにぴったり。
優しげな表情の合間に、陰のように見せる寂しげな瞳がまるで迷子の子犬みたいでした。(ほめてます!)

動物行動学者の竹内 久美子さんの本で「そんなバカな!―遺伝子と神について」だったと思うのですが、(今手元になくて確認できません・・・)こんな話を読んだことがあります。
男には遺伝子を残す戦略で2つのタイプがある。文科系と理科系だ。jesterのウル憶えによると、人間の行動は『利己的遺伝子ーセルフィッシュジーン』に操られていて、遺伝子を残そうと頑張っていると竹内さんは言ってました。(こまかいところ、まちがってたらごめんなさい)
文科系の戦略をとるセルフィッシュジーンをもつ男性がとる行動。
女性の心理を読み、弁舌さわやかに口説いて、自分の遺伝子を撒き散らす戦略。一端ゲットして妊娠させればもう目的を遂げたので、さっさと捨てて、新たなターゲットに向かう。社会的にも財産を持ったりする。それにたいして、
理科系の戦略をとるセルフィッシュジーンをもつ男性がとる行動。
直接自分の遺伝子を撒き散らすことより、種族全体を守ろうとし、役に立つ道具などを作る。たいてい妻は一人で大切にし、結婚しないこともあるが、彼の働きによって、その親族が生き延びられるので、結果として彼の遺伝子を継ぐ子孫が残ることになる。(註;この文科系、理科系は、出身学部とは別のものです!!)
とまあ、こんな感じだったような・・・・とっても面白く読んだのを憶えてます。
あの人は理科系〜〜 あいつは文科系だ!なんて周りの男を仕分けしたりして。(爆)
(この本、詳しく読みたい方は
そんなバカな!―遺伝子と神について

をどうぞ。)
で、この映画に出てくる二人の男はもう
ぜったい理科系の戦略の男!なわけです。
かたや妻一人をひたすら愛しながら、椅子を作り続ける寡黙な男。
かたや正義感をもち、真面目な時計職人。
でもその時計職人の優しい心は、戦争でアルジェリアに送られて、めちゃくちゃになっていた・・・
(以下、内容に深く触れるネタばれあります。未見の方、ご注意くださいませ) 革命記念日のお祭りのシーンで、アントワーヌが村人に「下士官か?」と聞かれて「予備兵だ」と答えるシーンがあります。
jesterは軍隊のことがよく分からないのですが、彼は軍隊で偉い人ではなかったのですよね。
でも「落下傘部隊にいた」というのには周りの人が「わあ〜」という表情をしていました。敵地の真っ只中に落下傘で降りる部隊は、勇猛果敢で人ぞ知る、ということなんでしょうか。
アントワーヌが優しい表情の下に隠していたのは、アルジェリアでゲリラを捜索していて、農民を拷問しろという命令を受け、オリーブオイル絞り器を『アラブ搾り器』として使用したこと。
そしてそれに耐え切れずやめたら、味方の士官たちが怒って、彼自身の手を『アラブ搾り器』でつぶしたこと・・・・
軍隊で上官の命令に逆らうということが何を意味するか、jesterにだって分かります。
異常なシュチュエーションの中で全員が殺気立って正気を失っている状態です。
でも彼は農民を拷問することに耐えられなかった。たとえ彼自身の命が危なくなったとしても、見て見ぬ振りをして残酷な拷問を続けることを拒否した。
時計職人という寡黙で平和な仕事を選んでいた彼にとって、その手をつぶされるということは、帰還しても、もうもとの仕事にもどれない、ということを意味します。
また、つぶされた手は両刃の剣となって、自分の痛みとともに、自分が拷問したアラブ人の痛みをも再現し続けたとおもわれます。
自分の痛みだけなら時間が解決してくれますが、人を傷つけた記憶は、彼のようなやさしい人間の心に癒しがたい傷と罪悪感を与えたことでしょう。
日常生活で痛みを感じるたび、不便を感じるたび、そしてあどけない子供に「手、どうしたの」と聞かれるたび、彼の心は血を流すのです。
食事のときにサラダに入っているオリーブですらつらい。(とjesterの一人思い込み)
彼が仮面のように見せる微笑の下に隠していたのは、こんな地獄です。
だからこそ、もっと楽な仕事も国から与えられていたのに、わざわざ『地の果て』の海の中の灯台に勤務することを選んだのでしょう。
でも彼は破れかぶれになってはいません。
誠実に仕事をしようとし、無知をあざ笑われても、叱咤されても、ひたすら学ぼうという姿勢を崩しません。
自分の悪いところを認め、任務を果たそうと全能力を傾けて努力します。
その真面目さが、同じ真面目人間のイヴォンの心を打ちます。
jesterの心だってビシバシ打ちました。



もうこうなると、もっさりとした体格やしわしわのYシャツまでよく見えてくる・・・・
特に2回目の鑑賞では、そういう傷を持った人間としてはじめから彼を追っているので、最初のほうから、ちょっとした伏目とか、言葉につまるところ、顔を背けるところなどに、いちいち切なくなります。
それなのに、不自由な指でアコーデオンを弾いてみせる表情なんかがとても暖かいのです。
周囲の人のために、自分をusefulにしようという心(日本語でなんていうんだろう?こういう言い回しってあったっけ?)を失いません。
後から起きてきたイヴォンのために、コーヒーを湯煎して温めておいてあげるような心配りのできる男なのです。
そしてオペラを愛してよく聞いているような、芸術を愛する心も持っている。
挨拶して返事してもらわなくても、そっと猫をなでて「お前は返事してくれる」なんていわれたら、
こりゃあバンコ(めちゃくちゃ可愛いネコ)じゃなくてもごろごろ言って足にすりつきたくなるわ〜〜〜
と、喉をごろごろ言わせつつ、まだ続くらしい・・・・・・