しばらく再起不能でした。

さてと。
気を取り直してもう一度書いてみます。

最初にちょっと納得がいかないな、と思うところを書いてしまったのですが、この映画、素晴らしいシーンもたくさんありました。
以下、ネタばれあります****************
テッサは妊娠しても、足場が悪くて治安も最悪なスラムに入り続けます。
周りがみんなで止めているのに。
う〜むむむ、その辺、どうなんですかね・・・ いくら使命感に駆られていても、胎児にとっての母という役割にかけがえはないわけですし。
自分の子供を守れない人が、他人の世話が焼けるのか、なんていったら顰蹙かしら・・・

そして初産なのに死産・・・
これって実はjesterも似たような体験をしているのですが、とてもじゃないけど、他の赤ちゃんにおっぱいをあげるような心の余裕はなかったです。
テッサはすごい強靭な心を持っているということなんでしょうね。
(あそこで、『生まれたのは誰の子?』ってビックリしますよね〜)
病院からの帰りの車で、テッサは、死んでしまった少女の家族を車で送りたがります。
「We can't involve ourselves in their lives, there are millions of people. They all need help.」
(彼らの生活に僕らが巻き込まれることはできないよ。何百万もの人がいる。そしてみんな、助けが必要なんだ)
とかなんとかジャスティンは答えます。
そう、周りに歩いているローカルの人々はみな、長い距離を歩いて移動しているのです。
アジアやアフリカでは、自分の生活をなげうって周りの貧困を助けようとしても、それは火に油を注ぐようなこと。
でもテッサは、
「Yeah, but these are three people that we can help. Please.」
(ええ、でも3人の人がいて、その人たちを私たちは助けることができるのよ。お願い)と食い下がります。
でもジャスティンは彼らを車に乗せません。
しかし、映画のラスト近くで、こんなシーンがあります。
いろいろなことを経たジャスティンは、強盗団に襲われて逃げる途中、UNの飛行機にAbukという少女を乗せようとします。
操縦士に
「Look, there are thousands of them out there. I can't make an exception for this one child.」
(見てください、外には何千もの人間がいます。この一人の子供だけ例外にできません)
といわれて
「Yes, but this is one we can help!」
(ああ、だがこの一人は、僕たちが助けることができるじゃないか!)
と言い返してました。
この二つのシーンが、妻の真実を追ううちに、次第にテッサに同化していくジャスティンを表現してるのでしょうね〜
(ちなみに、このUNの操縦士、「名もなきアフリカの地で」で、オウアを演じたシデーデ・オンユーロさんでした。心優しい料理人のオウアが大好きだったので、うれしかったす)
ロンドンに帰って、テッサの家を訪れたジャスティンは中に入れず、庭にたたずんで、荒れ果てた庭をホウキで片付け始め、窓に取りすがって泣きます。
職業柄感情を表に出さない訓練をしているはずの外交官ジャスティンが、その喪失感と、妻の真実に迫れないジレンマで苦しんでいるシーン・・・
感情移入してしまいました

というわけで、まだ続くのでした・・・・
