2006年07月03日

プルートで朝食を その2(少しネタばれあります)

なんかいまだに、心地よい余韻を味わってます。
この余韻の原因はなんだろう・・・猫
コマドリがファンタジーのように道化役で飛びまわっていたけど、テーマは重かった「プルートで朝食を」。
でも不思議と重くないのです。

このところ、重い映画が多くて、見終わった後ズシ〜〜ン・・・
『人間ってあほだ〜〜 人類は滅びるぞ・・・』
そういうのが嫌いじゃないけど、続くとしんどいです。
「ミュンヘン」→「ルワンダ」なんて、かなり食欲なくしましたし。

というわけで、一昨日に引き続き「Breakfast on Pluto」です。
(ネタばれ気にせず書いてますので、未見の方はご注意!)



全編を通じて流れている、キトゥンの中にある、身を切るような孤独感。

女装は周りの人の反感を買うためにわざと誇張してしている?とも思えるほど柔らかな隠れ蓑。
「気に入らないなら殺していいよ」という投げやりな態度。

やられたらやり返す。暴力の応酬が続くアイルランド。
自分たちの『正しい』と信じることを、暴力によって貫こうとすることに疑問を持たず、他者にも強制する人たち。
それは学校の先生だってあまり変わらない。
その中で、キトゥンは他者を傷つけるほうには走らない。
パープリンに見えても誇り高く、自分を曲げない。

日本でも最近、今の自分の環境に不満で、親を殺したり家に火をつけたりする青少年やら、自分の子供が死んだので隣の子供を殺す母などのニュースが飛び交っている。
金儲けするためには、嘘も平気でつきます、他人が困っても関係ありません、というひとが堂々と記者会見を開いたりする。
理解し、理解されようとするよりも、とりあえず相手を攻撃、な人間が多い。多すぎる。

でもキトゥンは刃を自分に向けていく。
わざと危ない道を歩き、わざと誤解されるような言葉を吐く。
すがるような目や言葉と裏腹に。

母なら、こんな自分を100%そのままで受け止めてくれるはずだ・・・
そんな風に母を求める心は分かるけれど、再会できても、赤ん坊の頃に彼を簡単に捨てた母が、彼のことを抱きしめてくれるはずもなく・・・・
それでも、そんな希望しかなく、ひたすらすがってしまうしかないキトゥンの寂しさ。

鏡の中の自分に母を求めて女装する切なさ。

それはたとえ母を見つけられたとしても癒しがたいもの。


けれど、幼馴染や父の暖かい心、そして出会った人々と心を交わすことによって、キトゥンは次第に『心のバランス』をとることを学ぶ。

危なっかしいものではあるけれど、そのキトゥンの寂しさや、愚かながらもひたむきでまっすぐな態度が共感を呼ぶのではないかな・・・

あのキトゥンの人生を形容するのに「まっすぐ」という単語を使ったら違和感があるかもしれませんが、jesterにはとってもまっすぐに生きているように見えました。

なかなかまっすぐに生きられません。
どんなにまっすぐに生きたいと願っていても、時には(・・・というか、ほとんどいつも)曲がって曲がって、あわせてあわせていかなくちゃ、傷だらけになります。

だからこそ、傷だらけになることを恐れず、あくまでまっすぐなキトゥンの生き方に憧れを感じるのかもしれません。

「あ〜〜あ、馬鹿だなあ。傷つくよ、そんなことしてると」

と思うのに、そんな彼が曲がりなりにも居場所を見つけられることが嬉しくて。


キトゥンは変わらず、キトゥンのまま、愚かにまっすぐ生きていくのだろうけれど、そしてそれは、かなり危ういけれど、・・・ま、誰のものでも人生は危ういものですよね・・・私のもあなたのも。



ぴかぴか(新しい)昨日書き忘れましたが、ブレンダン・グリーソン氏がすごくおいしい役でした。
最初おでましのとき「え??この声、まさかブレンダンさん??」と思いつつみていて、正体を現したときは爆笑!!
まったく破天荒なおっちゃんです。


気になっていた「嫌われ松子の一生」と似ている、と比較されてるようですね。
やっぱり見に行こうかな〜 松子ちゃん!


posted by jester at 07:41| Comment(20) | TrackBack(9) | は行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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