2006年10月05日

Life as a House (「海辺の家」)

ユナイテッド・シネマ豊洲が、今日、10月5日オープンなんですけれど、オープン前日の昨日、「あなたが選ぶ夕日ムービー」という上映会ご招待に当選した友人のおこぼれに預かって、「海辺の家」を見てきました。
(Eさん、muchas gracias !! )

ちょうど今日から、ロード・オブ・ザ・リングスのSEEヴァージョンを500円で次々にやってくれるのです。
しかも「国内最大級の」スクリーンで!(「最大の」、といわないところが怪しいが)

というわけで、jesterはここの一番大きい10番スクリーンで、ひさしぶりにFellowship of the Ringを鑑賞しようと思っているのですけれど、ちょうどその下見もかねて、オープンに備えてまだ工事をしている劇場に出かけてまいりました。

映画館の感想はまた書きますが、ファシリティや場所はかなりポイント高いです。
銀座から近くて、海に沈む夕日が見えるバーがある映画館なんて、すごくおしゃれで、便利で、大人な時間が過ごせそう♪



さて、「Life as a House」ですけれど・・・・

海辺の家

4年前の公開時、空から見下ろす夕映えの中の岸壁の家の映像をトレーラーで見て、それだけで感動して見に行ったのですが、心に響くところはなくて、いまひとつでした。

それが何年か経ってみたら、なんか今回は結構泣けました。
映画は変わってないので、自分の見方が変わったのですね・・・



猫最初に見たときは、「確かにケヴィン・クラインの演技はうまかったし、家の映像はすばらしいけど、脚本がぼろぼろ・・・・」と思いました。

死を覚悟して何かを作り上げる、っていうのは黒澤監督の「生きる」などなど、普遍的で感動的なテーマですけれど、『海辺の家』は人間観察がなってない。

コメディ的要素を入れて軽くしたかったのだろうけれど、隣家の娘は男の子がシャワー浴びてると脱いで一緒に入っちゃうような子だし(こういうの、男の人は嬉しいんですかね。私が男だったら、どんなに可愛い子でもひいちゃいますけど)、その母にいたっては娘のボーイフレンドと寝ちゃうような、しかも携帯に「いつまで待たせるの!私はベットで待ってるのに!!」と電話してしまうような、リアリティのない、現実にいたとしても友達になりたくないような女性。

元妻だって、自分の身勝手で息子がぐれてしまったと自覚はあるくせに、また同じ過ちを繰り返して、今の夫や子供を不幸にしてしまっても、元夫によろめいちゃう・・・・

男性はいいとしても、女性が全然かけてないのです。


猫 それに大体、主人公のキャラクターが魅力的じゃない。

どんなにケヴィン・クラインが一生懸命演じても、いや一生懸命演じれば演じるほど、暴力的で破壊傾向があるわがままな男、というイメージがぬぐえない。
そんな男が死期が近いことを知ってがらっと変わり、建設的なことを通じて愛を理解するっていっても、そう簡単にうまく行きますかいなと思っちゃいました。

長年働いた会社で、嫌な上司をぶん殴って怒鳴りつけて、自分の作った建築模型を全部叩き壊して会社をでて、残された人生を行きたいように生きる・・・
隣の16歳の娘が昼寝中に忍び込んできて、優しくキスしてくれたりもするし、隣人は手を貸してくれて、作品といえる家を完成し、息子は愛に気づき父のあとを継ぎ、愛する女に看取られて静かに息を引き取る・・・・

多分『人生経験の浅い男性が考えた、理想とする死に方(生き方)』なんでしょうね〜なんて思いました。


そしてヘイデン・クリスチャンセンは「泣き顔が情けない感じの不良少年」を上手に演じたお人形さんみたいな少年、という感じをその時は受けました。
(いわゆる『イケメン』とかいうものだけでは燃えない、湿った薪のわたくしであります)

最後のほうで人が集まってきて家を一緒に建ててくれるところなんて、もう見てて恥ずかしくて、照れちゃいました・・・・

なんで海辺の夕日のうつくしさに酔うこともできず、損した気分で映画館を出たのでした。
あせあせ(飛び散る汗)

だったのですが・・・・・


犬 スターウォーズを経て、あらたにヘイデンに注目して見てみましたら、いい演技してるんですよ〜〜

こういうのがあったから、アナキン・スカイウォーカーという大役を射止めたのね。
アナキンの演技よりいいと思いました。(殴パンチ
アクション物より、じっくり性格を演じていくようなものの方が向いている感じです。
狂気を演じるのもうまそう。

この映画では、素直に「自己嫌悪になりながらも、どうしようもなくて、ぐれてる愛情不足の男の子」を演じてて、好感が持てました。

で、ヘイデン演じる息子を主人公としてこの映画をみると、がらっと印象が変わりました。
いままで納得がいかなかったようなシーンの中にも、隠れていたチョコチップみたいなおいしい部分を見つけることもできました。

脚本の甘い部分(観客をなめてると思われる部分)があらかじめ分かっているので、その辺は軽く脳内で変換して、見たい部分だけじっくり見ると、なかなか良かったですよ。(ほめてるつもりです)

息子の、16歳にしては未熟でなんでも人のせいにして甘ったれてるところはむかつくけど、まあこういう高校生はいると思えます。
自分だってそうだったし。←ほらね。

そしてその根本は「愛に飢えてる」っていうのもありがちだけど、現実にもよくある話。

傷つくのを恐れて臆病になりながらも、遅ればせながら注がれた父の愛を必死で吸収し、やっと正常な発達段階のステップを踏めるようになる・・

そんな姿が可愛かったです。

ヘイデンは薄い殻に閉じこもり、それを破りたくてもがきながらも自分ではどうしようもなくて、しくしく泣いているだけの情けない青二才を、演じきってました。
(ほんとにそういうやつなんじゃないかと誤解するほどです)
(多分4年前にみたときはそう思ったのだろう、自分)パンチ


そして、夕日の沈む海の美しさ、その黄金の光の中で愛するものと踊る歓び、労働の後で風に吹かれながら太陽の下で食べるランチの幸せ、幼い子供をハグするとき身体に沸き起こる愛情の渦、自分の手で物を作りあげる充実感、体を動かすことの確かさ、などなど・・・

おいしい部分だけをじっくり共感して味わうことができました。


う〜ん、同じ映画でもこんなに反応が変わるなんて・・・・
しばらく前にDVDで家のテレビで見たときはこんな風に感じなかったのにな・・・・


ま、万物流転す、ということでしょうか。(爆)



posted by jester at 10:37| Comment(10) | TrackBack(0) | あ行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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