「約束の旅路」
Va, vis et deviens(原題;行け、生きよ、生まれ変われ)
です。
書きたいことが多すぎで、どうレビューを書いていいのか、ちょっと考えてしまってました。

母と子の愛。
アイデンティティーを求める青年。
人は何のために生きるのか。
普遍のテーマですよね。
それをラデュ・ミヘイレアニュ監督が「僕はこう思うんだけど」とそっと語ってくれた気がします。
1984年、「モーセ作戦」が敢行されました。エチオピアに古代からいたユダヤ人を飛行機に乗せてイスラエルに戻そうという作戦。
このとき、難民キャンプにいた一人のキリスト教徒の母親が、自分の息子をユダヤ人の列にまぎれて並ばせます。
「行くのよ!」という言葉と共に。
母親から離れる子どもの切なく不安な瞳。
子どもを手放す母親の断腸の思い。
最初からどちらの気持ちも痛いほど伝わってきます。
・・・・もうしょっぱなのこの辺から涙腺が緩みっぱなしです。

母から離れて、異国の地で、しかも肌の色の違う人たちの間で、この子は成長していきます。
夜空に浮かぶ月を眺めながら、母を思いながら。
ユダヤ人というとjesterは「アンネの日記」のアンネの家族のように、黒髪(または濃い色の髪)で肌の白い人を思い浮かべますが、祖国の地を追われてから何千年もたって、各地の人と血が混ざり、それぞれがその外観を変えているんですね。
ちょっと整理してみますと、イスラエルに移民するにはユダヤ人であれば誰でもでき、そのためにはハラハーと呼ばれる定義、「母親がユダヤ人か、ユダヤ教に改宗したもの」をクリアしていれば良いそうです。
(しかし、アメリカに多いユダヤ教の保守派と改革派は、ユダヤ教徒としては認めていないのだそうなので、この辺は私たちには難しいですが)
そして、ファラシャと呼ばれるエチオピア系ユダヤ人は、旧約聖書に出てくるソロモン王と、古代エチオピアのシバの女王の子孫といわれている人々なのだそうです。
肌の色が黒いユダヤ人がいるということを全然知りませんでした。
エチオピアでも差別を受けてきた彼らはイスラエルに帰還しても「異分子」なんですよね。
その中で、また、実はユダヤ人と偽って難民キャンプを抜け出してきた、ユダヤ人でもない自分を抱えながら、少年はシュロモという偽りの名前をつけられて暮らし始めます。
その生活は、スーダンの難民キャンプでの生活と全く異なるもの。
初めてシャワーを浴びて、口が閉まらぬほど驚き、流れていく水を何とか止めなくてはと、泣き叫んでパニックになりながら排水口を押さえるシュロモ。
テレビの裏から人間が出てくると思って見守っているシュロモ。
そんな生活にも次第になれて、学校に通いヘブライ語やフランス語もおぼえますが、シュロモは苦しみます。
お母さんはどうして僕に「行け」といったのだろう。
僕はどう生きればいいのだろう。
僕は何人なんだろう・・・・
ご飯が食べられなくなる。
人と目が合わせられなくて、いつもうつむいて歩く。
いじめに遭い、暴力を振るってしまう。
周りの大人がどう対処していいか分からなくなったとき、そんな彼を暖かく包んでくれる養い親が迎えてくれました。
長くなったので、続きます・・・・

