やっと日本でも公開になり、見てきました。


これもしみじみと胸にしみる作品。
舞台は南アフリカですが、アフリカだから、という舞台設定ではなく、スラムのあるような街ならどこでも起こりうる話です。
もちろん撤廃されたとはいえアパルトヘイトの弊害である富裕層と貧困層の格差やAIDSの問題はそこにすむ人々を疲弊させているのですが。
あらすじ:南アフリカ・ヨハネスブルク。アパルトヘイトの爪跡が今も残る社会に生きるひとりの少年がいた。本名は誰も知らない。
ツォツィ=不良と呼ばれるその少年は、仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返し、怒りと憎しみだけを胸にその日を生き延びていた。
名前を捨て、辛い過去を封印し、未来から目をそらして…。
ある日、ツォツィは、奪った車の中にいた生後数ヶ月の赤ん坊と出逢う。
生まれたばかりのその小さな命は、封印していたはずのさまざまな記憶を呼び覚ました。
「生きること」の意味を見失っていたツォツィは、その小さな命と向き合うことで、はからずも命の価値に気づき、希望と償いの道を歩みはじめる。(公式サイトより)
と書くと、なんかどこかで聞いたようなストーリーだなーと思うのですが、描き方が丁寧で、視点が鋭いので、とてもリアリティがあります。
最初の数分、すごくつらかった。

冷え切った瞳の貧しい青年たちが、いとも簡単に罪なき人を襲い、金銭を奪う。
たとえ親から離れ、絶望の中で雨に打たれ、震えながら土管のなかで育ったとしても・・・・
人間はここまで非情になれるのか、と思うほど、ツォツィは荒みきった表情をしています。
そんな彼が、泣き叫ぶ赤ちゃんを連れ去ったときには
「いったいどうするつもり?」と不安になりました。
おっかなびっくりオムツをはずして新聞紙をあてがったり、缶詰のコンデンスミルクを指でなすって飲ませたり、はらはらしどうしです。
(しかもそのコンデンスミルクに大きなありがいっぱい集まってきて・・・ぎゃあああ!! あれってCGじゃないですよね?? 幼児虐待ですよ、あれ!!)
でも、彼は何とか赤ん坊を育てようとします。
その気持ちは、幼い頃に一人ぼっちになった自分を赤ん坊に投影し、そのトラウマを克服しようとして必死になっているようにも見えます。
わかるんですよね〜 子どもを育てるって、一つの大きな人間的な成長のステップ。大きな気付きになるんですよね。
それはやってみて初めて分かる原始的で本能的な喜びだし、いままで虫けらのように扱ってきた自分以外の命というものの尊さに開眼する一瞬なんですよね。
でもあんなチンピラでもそうだなんて、感激。

ミリアムは夫に死なれ、ひとりで生計を立てつつ自分の赤ん坊を育てている女性。
貧しいだろうに家の中を綺麗に整え、身だしなみもきちんとして、ガラスでモビールなどを作って飾ったり、生活を楽しんでいる風情。
(この辺、立派なベッドといい、水色のカーテンといい、小奇麗過ぎて全然貧しそうに見えないところが、母子家庭の生活としてはちょっと腑に落ちなかったけれど・・・)
最初はもらい乳するだけのつもりが、彼女の中に、幼い頃生き別れになった、エイズで寝たきりだった母の優しい面影を見、その暖かいささやきを聴き、だんだんに彼女に惹かれ、彼女に何かしてやりたくなってくる・・・・
彼女に値する自分に変わりたくなる。
ツォツィの表情が変わります。
まるで少年のように、純真なまっすぐな瞳に・・・・
まさに手負いの獣が心を開いていく過程を目の当たりにして、こちらの心も開かれていく感じがしました・・・・
「約束の旅路」でも感じたのですが、やっぱり「愛」なんですね、人類を救うのは。

それと、物乞いのモーリス(ジェリー・モフケン)との会話もよかった。
「そんなになってまで、どうして生きたいんだ?」
「お日様の暖かさを感じたいからさ・・・・」
生きる意味を模索しだしたツォツィの言葉が泣かせます。
「Decency(上品さ)とは、生活とは関係ない。respectを持つことなんだ」
というボストンの言葉も美しい。
いや〜〜
なんか赤ん坊を手から離した瞬間に、すごい悲惨なラストになるのじゃないかとどきどきでしたけど、じんわりと生きる希望が涌いてくる、とても軽やかなラストでした。
全編にあふれるビートの聞いたアフリカン・ミュージックと哀切を帯びた美しいメロディも、作品を立体的にしてます。
しかし、「希望の光」とかなんとか、ずっこけるような邦題がつかなくて良かった♪
