蜂の羽音しかしない静かな山の中の、姉と弟が暮らす小屋で聞こえる掛け時計の秒針の音。
不気味な雪崩の前の地響き。
並べられて置いてある両親の遺骸など。
一度映画館で見ただけなのに、これほど印象に残る映画も珍しいかもしれません。
なので、そのフレディ・M・ムーラー監督が撮った「Vitus(僕のピアノコンチェルト)」はすごく期待しておりました。

前半、天才児の才能を伸ばそうと頑張る両親と、心は子供のままでありながらあふれる知能を抑えきれないヴィトスの葛藤は、子供のほうの期待される事に押しつぶされそうな気持ちも分かり、親のいらだつ気持ちもよく描けていて、双方に同情しながらも笑ってしまう、微笑ましいものでした。
しかし、心はまだまだ子供ながら知能は高く、高すぎて学校で浮いてしまうヴィトス。
中盤では飛び級して進学したものの周囲との距離のとり方もわからず、年上の高校生とも教師ともうまく行かず、ヴィトスはどんどん追い詰められていきます。
この辺の展開はとても上手でした。
けれども後半では、ヴィトスが普通児を装いながら、陰でネットによる株の売り買いを始め、
「将来のCEOの息子や父親がそれってインサイダー取引にひっかからんかい?・・・犯罪だよ???」
とちょっと疑問が浮かぶ展開になってしまいました・・・
いっくら天才児でも、祖父の名前を借りたとしても、12歳の子がオフィスを構え、自家用飛行機が買えるほどお金を儲け、しまいには・・・・
という展開はあまりに現実離れしすぎておりますので・・・
そのへんの脚本はちと甘い作りだなと思うのですが、それでも最後まで見てしまうのは、12歳の少年になってからのヴィトスを演じるテオ・ゲオルギューの天才ピアニストぶり。
リストのハンガリー狂詩曲第6番を激しく弾くかと思えば、「ロシアのピアニストの真似」といって、粘ばりたっぷりのしぐさで弾いて見せたり、悲しみをこめて、モーツアルトのレクイエムの「ラクリモーサ」を弾いたり、その演奏があまりに素晴らしく、それだけでも見る価値があるというもの。
ピアノ教師に「ここはこう弾いてごらん」といわれても
「いや。退屈だから」
と自信たっぷりに言い放つ彼に、天才とは彼の如し、とうなずかされます。

こうもりの羽をつけてよろよろ歩くところなんか、天使でした!

自身も子供のような純粋な部分を持つおじいちゃんは、ヴィトスの唯一の味方。
彼が画面に出てくるだけで、ほっとさせられます。
こんな歳のとり方がしたいものです。
おじいちゃんがヴィトスに作ってくれるパスタがおいしそうでした♪
美しい自然の中での散歩のシーンなどはあったものの、そのほかにはスイスらしい風景はあまりなかったけれど、日常会話でドイツ語に英語が当然のように混じり、イタリア語とかフランス語もぽつぽつと入って、子供と母親、祖父までが普通に会話しているところが、やっぱりスイスだな〜という感じです。
そして最後、ヴィトスのシューマンのコンチェルト第3楽章の演奏。
まさに天才というしかない演奏ぶりです。
コンチェルトのソロ奏者とはいえ、オーケストラと音を合わせ、心を合わせてハーモニー(調和)し、一つの作品を作り上げていく、という共同作業が出来るほど、彼は成長したということなのでしょう。
(最近のインタビューの映像など見ると、テオ・ゲオルギューはもう少年とはいえないほど大きくなっちゃってますけれど)
というわけで、「山の焚き火」のような芸術作品を期待していくと期待はずれで肩透かしを食いますが、あれから20数年経って、フレディ・M・ムーラー監督の人間へのまなざしがずいぶん優しくなったなあ〜、と感傷にふけってしまったjesterでございました。