けれどそれゆえに、安っぽいメロドラマのインスタント味付けにはもってこいだし、J・ブラッカイマーやD・クーンツなどなどが使い古しのテーマに深みが出せるかもとしょっちゅう引っ張り出すもんだから、お茶の間では「ああ〜またね」とすっかりおなじみの、よって何の感慨も引き起こさないものになりがち。

幸せの情景が崩壊していく過程、その後の荒廃、そしてそこに希望の光が少しずつ射す様子を、小さな心の揺れを逃さずに丹念に撮っていくのがその手法。
『アフター・ウエディング』でアカデミーのスポットを浴びたためか、このたびデンマークからハリウッドに移って撮った一作目。
これは、先日見た『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のウォン・カーウァイと同じパターンです。
なのでまたまたjesterは、「ハリウッドで大丈夫なのか、スザンネ?」

目や顔の一部のドアップ手法も『アフター・ウエディング』ほどじゃないけど、健在です。
☆☆☆☆でございました。
ストーリーは、愛する夫、ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)と2人の子どもに恵まれ、幸せだったオードリー(ハル・ベリー)が、夫を事件で突然失うところから始まります。
葬儀の日、オードリーはずっと憎んで遠ざけていた夫の親友、ジェリー(ベニチオ・デル・トロ)を呼び、ヘロイン中毒のジェリーは唯一の誠実な親友の死に、ふらふらしながらも駆けつける・・・・・という展開です。
出だしの設定は『ある愛の風景』にちょっと似ていますけど、こちらは反戦などのメッセージはありません。
愛するものの喪失と再生というテーマにくわえ、例えば麻薬売買の実態とその告発を描いた『アメリカン・ギャングスター』ではあまり伝わってこなかった、麻薬自体の恐ろしさ、麻薬中毒者が立ち直ることの難しさも描かれ、ドラッグというアメリカの病んだ部分が浮き彫りになってきます。

酔いつぶれたところをひき逃げにもあって、水溜りで寝ていたせいであちこちふやけてしまった翌朝の古谷一行か

抑えた繊細な演技を貫き、見せ所でもオーバーアクティングにならないぎりぎりの熱演をしています。
ヘロインでよれよれになっていても、元弁護士というインテリジェンスを感じさせるユーモアを失っていないジェリー。
そういえばデル・トロって両親もおじいちゃんも叔父さんも弁護士で、自分も弁護士を目指して勉強してたんでしたっけね。
俳優になってなかったら、さぞかし辣腕弁護士になっていたことでしょう。
『ユージュアル・サスペクツ』で見たときはすぐに死んじゃったし、あまり印象に残らなかったのですが、その後いろんな映画でちょくちょく見るようになり、振り返ってみると『インディアン・ランナー』なんかにも出てたし、どの映画でもいい演技をしているのだけれど、強烈なキャラなのでキワモノ的扱いもあったりしたような彼なんですが、これは『21g』とならんで、彼の最近の代表作といっていい映画ではないかと思いました。
最初のうちは
「どこの筋肉を動かすとほっぺたのあそこがあんなふうに変形するのだろう?」
なんていうしょうもないことばかり気になってましたが(殴)、次第に彼の演技に引き込まれてしまいました。
駄目男なんだけど、『可愛げ』がだだもれ。
ああ〜やばい。

(『ブルーベリー・ナイツ』で発症したジュード・ロウ熱は『スルース』を見たらあっさり醒めたのですが・・・)
しょっぱなからやつれ果てて登場し、もしかしてこれからだんだんに美しくなっていくのだろうかと期待したハル・ベリーは、最後までそれほど綺麗にならなかった(しかも過去の幸せな回想シーンでも不吉に暗い)(爆)のに対し、彼は見事に変化するんですね〜 うっふっふ。

しあわせな孤独

もともと、マッツ・ミケルセンがでているからと見た『しあわせな孤独(Open heart)』がスザンネ・ビア監督の作品の初鑑賞だったのですが、男性俳優を撮るのが上手だな〜と思いました。
女性監督ならではなのか「男の弱さと強さを演じられる俳優」を使いこなしておりまする。

あの時は善良そうな表面がかえって恐かったのですが、今回は、ジェリーにとってもオードリー一家にとっても、信頼の置けるいい男の役でした。
それにしては、自分の妻に対しては「長年連れ添ってマンネリ化したので離婚する」なんてことをぼやいてる中年男でございます。

息子のドリーは、エンドロールを見てたらMicah Berry と書いてあったので、「え??ハル・ベリーの子供??」と思ったのですが、かえってネットで調べてみたけど、違うみたい。
ワザワザ彼の名前の後に(no relation)って書いてる記事もあったし。
しかしくりくりのカールヘアがなんとも可愛い子でした。
****以下、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****
中毒になってもたった一人そばにいてくれた親友ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)の死に奮起し、なんとかジャンキーから立ち直ろうとするジェリー。
ブライアンがまたこれ、非の打ち所のないいいやつなんですよね。少々優等生過ぎるのが玉に瑕ですが、その辺を玉に傷だらけのジェリーがうまくカバーしてます。

長年飼っていた猫が死んで、悲しくて寂しくて眠れない。
町にいた怪我してるノラをひろってきて、
「枕元で一緒に寝てくれない? そんでゴロゴロ喉を鳴らして欲しいの。前足の肉球はほれこのようにこの辺に置いて、時々鼻先の冷たいのをチュッとして・・・」
などとベッドにつれこんだくせに、そのノラが怪我も少し治り安心して、飼い猫の残したおもちゃにじゃれていたら、
「あんたがあのコの替わりになろうなんて100年早いワイ!!」と突然家の外に惨くもほおりだすなんて・・酷すぎ。(違うって)
車の中で盗られたと思っていた60ドルを見つけ、夫の親友だし、と招きいれたまではよかったけれど、
「ヘロインをやったらどんな気分? 私もやってみたい」なんて中毒症状に苦しんでいるジェリーに言うなんて、ND(『人間としてどうよ』)ですわ、まったく。


大体二人の子の母親であるのに、子供たちのほうが気を使っちゃってて、親としての自覚はあるのか?と問いたいです。
そこまで絶望が深いといいたいのでしょうかね。
まあそういうことにしておきましょう。
彼女は彼女なりに努力はしてましたし。
そういう不完全な人間たちが集まって、助け合って、苦しく辛い人生の峠をなんとか乗り越えていく、というのがテーマなんでしょうね。
しかし、ハル・ベリーの撮り方はどうなんでしょうか・・・。
意識してモノトーンで撮ったのだろうとはいえ、不幸な中の輝きとか自分を取り戻す過程の美しさなどが感じられず・・・
幸福な時をフラッシュバックするシーンでも「病気か?」という頬のこけ方。
スザンネ・ビア監督お得意のドアップでも、彼女の目の落ち窪みが深く、まるで老人の目のようだわ〜と思いました。
もともと絶叫型女優というか、ニュートラルな時の繊細なゆれなんかが乏しいし、最近「X-MEN」、「Cat woman」とか「パーフェクト・ストレンジャー」など、作品に恵まれてない感じがある彼女ですが、「チョコレート(Monster's Ball )」から6年ほどしかたっていないのに、あのときと同じような立場の役柄でも、乾ききってしまって、輝きにかげりがでてきたような気がしたのでした。
それと、ジェリーの『麻薬中毒を直すグループヒーリングの会』(?)での友だち、ケリー(アリソン・ローマン)が、家族の食事に招かれて、亡き夫について細かいことをあれこれ質問するシーンがあったのですが、あれってそうやって話すことで、忘れたいと思っていた現実を直視するような『ヒーリングの手法の一種』なのでしょうか。
彼女も喪失から立ち直った人なので、わざとしたのかとも思いましたが、まだ絶望の痛みと戦っている人に対して、それほど親しくもない人がああいうふうな事を聞くのは、とても無神経な気がしてどきどきしたのですが・・・

音に疎いjester(汗)ですが、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で学習したので、今回はすばやく彼の音を聞きつけました。
アコースティックなギターの音色にしょっぱなのプールの父子のシーンからひたってしまったjesterであります。

特に現実に疲れたときなどに見るには、このぐらいのほどほどなハッピーエンドが、マイルドトランクライザーのように心に沁みてくる心地が致します。
「Accept the good」な気分になれました。
これから、どんなテーマでどんな映画を撮るのか、楽しみなスザンネ・ビア監督です♪
(しかしいつもながら、邦題のセンスはどうなの? 「THINGS WE LOST IN THE FIRE」 が作品の中で持っている意味と、「悲しみが乾くまで」の重さの違いを、日本のスタッフはちゃんと感じているのだろうか・・・・?)