2008年05月28日

マンデラの名もなき看守 GOODBYE BAFANA

これ、ずっと見たいと思っていた映画でした。

トレーラーでみると、ジョセフ・ファインズが似てないとはいえ、おにいちゃんのレイフにやはり面影が似ていて、そういう腐った動機パンチもありましたが、マンデラさんの獄中の生活にも興味がありました。

(しかしですね、この映画の前に、ヴィゴ主演の「イースタン・プロミス」の動くトレーラーがあって、それまでネタバレ禁止のために静止画のトレーラーしか見たことがなかったjesterは、心の準備もなくぐわ〜〜んと打ちのめされ、最初は映画に集中できませんでした。(殴パンチパンチ

(ちなみにその数日後に「イースタン・・・」の試写を見に行った後は、放心状態でございました・・・)


とはいえ、こちらの映画もなかなかの佳作でした。
jesterのお気に入り度は ☆☆☆☆− でした!

自分の感性を信じて、どんな場所でも誠実に誇りを失わずに、ポジティブに考えて生きていくこと。
相手のいい部分を見るようにすること。
そうしているうちに、誤解があっても必ず解くことができ、いつか理解しあえるときが来る。
もしかして・・・理解しあえなくても、共存する道はある。
それを焦らずに模索していこう。


そんなメッセージが静かに伝わってきて、とても勇気付けられました。

アパルトヘイト政策や、ネルソン・マンデラ氏について知らない方にもぜひ見ていただきたいな〜なんて思ったことでありました。

まあやっぱりアップで見ると、レイフとジョセフって濃さが全然違うな〜と思いましたが、苦悩に満ちた演技はなかなかでした。


クリスマスデニス・ヘイスバートは24のイメージがとっても強くて、最初は「マンデラに似てないじゃん。モーガン・フリーマンを出せ〜」
とか心の中でわめいてましたが、次第に違和感がとれて、引き込まれました。
感情を押し殺した、背中での演技が泣かせます。

27年間の獄中生活でも背筋を伸ばしたマンデラさんの生き方はすがすがしいです。
その誇りと信念がちゃんと表現されてました。


クリスマスダイアン・クルーガーは「内助の妻の鑑」タイプの奥さんを演じてましたが、結構大事な役どころだったと思います。
それにしてはキャラクターの掘り下げがいまいちで、この人の心境の変化をもうちょっと丁寧に描いて欲しかったと感じました。
そうしたら共感できて感動が増したかも。

ダイアンは美人ですが、『トロイ』を初めとして、割とお飾り的になってしまい、演技力を発揮できなくて「役に恵まれてない」という印象がjesterにはあります。
見せ場なのに視線が他の役者にもってかれちゃう時もあり、主役をはるようなカリスマ性とか強さも今のところjesterにはあまり感じられません。
これから一皮むけて、伸びていって欲しいです。(えらそうに)


猫原題のBANAFAは、白人看守のグレゴリー(ジョセフ・ファインズ)の子供時代の親友の名前。
その頃の楽しかった思い出が、グレゴリーにマンデラを、一人の尊敬できる人間として見られるようにさせたんですね。


『マンデラの名もなき看守』はと〜〜ってもわかりやすい(爆)邦題ではありますし、某映画とちがって、おかしな誤解を招くようなものでもないですが、やはり原題の『GOODBYE BAFANA』のほうが、余韻が違います・・・・

遠い夜明け
遠い夜明け
アパルトヘイトというとデンゼル・ワシントン、ケビン・クラインが出た『遠い夜明け』を思い出しますが、『遠い夜明け』では、南アフリカ共和国の体制側白人はほとんど悪者っぽく描かれてました。
海外から来た白人ジャーナリストが自分も危険になりつつ、抵抗の様子をすっぱ抜く、という展開。

それが、この映画では戦いを描くというより、
「南アフリカ国内の、しかも政府側の白人の中にもいい人もいた」という視点でじっくり描かれていて、時代の流れを感じました。
こういう作品が撮られるということは、南アフリカにも新たな風が吹いてきているのでしょう。

イン・マイ・カントリー
イン・マイ・カントリー
そして時代的には『遠い夜明け』と、ジュリエット・ビノシュとサミュエル・L・ジャクソンの出た『イン・マイ・カントリー』の間の舞台設定が『マンデラの名もなき・・・』です。

(『マンデラ・・・』では、牢獄の中の話が中心で、実際にアパルトヘイトがどんなものであったかはあまり描かれていないので、その辺をご存じない方には、この2本の映画をお勧めします♪)





****以下、映画の内容に触れてます。未見の方、ご注意ください!****



少年時代のバファナとの交流で、コーサ語を覚え、それがグレゴリーにマンデラを引き合わせる・・・・

これはやはり『Goodbye Bafana』以外の何者でもないですよね。


本 個人的にグレゴリーが図書館で禁止文書を閲覧するシーンが好きでした。(図書館が好き♪)
でもその後、胸のポケットにしまった文書を、仕事場で出してこっそり見るシーンでは「おいおい、そこで見るなよ〜」とどきどきしてしまいました。
トイレに行け、トイレに!!

あと、棒術のシーン、いいですね〜
後ろで見てる息子の表情がまたいいんです。父と子の絆の強さなんかも感じてしまいました。
 
そして、グレゴリーと息子の別れ。
この辺は辛くて辛くて、たまりませんでした。たらーっ(汗)


マンデラさんの夫婦愛や家族愛も描かれるんですけど、現実では確かこの後、あの奥さんと離婚するんですよね。
もう一人の息子さんはエイズでお亡くなりになるし。
それを知っているので、やや複雑な思いで見ました。


映画の作り自体はごく地味で、「泣かせよう!」という安っぽくて派手な演出や、盛り上げすぎの音楽はありません。
トレーラーを見たときはもっと盛り上がるのかと思っていましたが、見終わって考えると、その辺もドライでよかったかな。

画像も結構地味で、こちらは、もっと南アフリカの国土の美しさを強調しても良かったかもしれないと思いました。

人間たちのおばかさ加減が引き立つし。



posted by jester at 21:42| Comment(10) | TrackBack(6) | ま行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛  THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN

1作目のレビューでも書いたのですが、jesterの小学校時代はナルニアとともにありました。
(岩波書店さんの本にはほんとおせわになりました・・・)

ナルニアのどの本も何回読んだかわからないほどで、ほとんどの文章を暗記してしまっているほど。

という原作大好き人間ですので、1作目の、タムナスさんとルーシーの出会いのシーン、アスランの登場シーンでは泣きました。

子供のころいろいろ想像していたものをリアルな映像でみられた幸せ・・・・

というわけで、1作目でそれほど期待してなかったのに、予想外に嬉しかったシーンがたくさんあったので、今回の映画もあれこれ見られるのかと盛り上がる期待を抑えきれずにおりました。

「コルネリウス先生とカスピアンが星を見るシーンは・・・」とか
「リーピチープ!!」「谷あらし!!」「松露取りのおうち〜」とか
「隠れ里の、前足をしゃぶるくせのある、ふくら熊3兄弟とリスの枝渡り!」
「木の食べるチョコレートそっくりの土!」
「バッカスが乳母に飲ませる赤ワイン!!赤スグリの実のように赤く、油のようになめらかで、牛の肉のように強く、お茶のように暖まり、露のようにさわやかな!」

などなど、いっぱいいっぱい期待して待っておりました。
どのシーンも本当に好きで、愛してたんですよ。

だからしょっぱなからでっかいカスピアンがでてきたのには驚いたけど、あの4人兄弟が地下鉄の駅からナルニアに吸い込まれるシーンではうっとり。
これからの展開にわくわくどきどきでした。

でも・・・
1作目でも「戦闘シーンが派手すぎ」と思ったのですが、第二作ではさらに、原作では高々全部で3〜4ページぐらいの戦闘シーンが、映画の80%ぐらいを占めていたように感じられました。
しかもjesterには納得行く根拠が感じられない、必然性のない戦いが。


原作への思い入れと映画への期待が裏切られた思いで、鑑賞後は妙に落ち込みました・・・・たらーっ(汗)


だもんで、jesterのお好み度は、リーピチープと松露取りがみられた感謝を精一杯こめても、
☆☆☆ぐらいでございました・・・・

それでもおまけに釣られていっぱい前売りを買ったおばかなわたくしは、これから通うことになるのね・・・・
いいもん、おまけのエコバック、毎日使っているもん!

何回か見たら、好きなシーンだけ選んで集中できるようになり、もうちょっとショックから立ち直れるかもしれないし。


というわけで、ちょっと辛口気味の、原作との比較を含むバイアスがかかったレビューです。
(この映画本体がお好きなかたはどうぞスルーしてくださいませ)


****以下、ネタバレないですけど、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****


今回びっくりしたのが、エドマンド役のスキャンダー・ケインズ。
前回と比べ、大きくりりしく育ってました。

前回も違和感なしでエドマンドとしてすんなり受け入れられたんですけど、今回も良かった。
役柄としても、「ライオンと魔女」の時よりずっと成長するエドマンドなんですけど、役者としても成長してましたね〜

今後が楽しみです♪


カスピアン役のベン・バーンズは、私のもっていた「カスピアンのイメージ」とは大きく違っていて、予告などで画像を見ても違和感がありました。
私のイメージはそれこそスキャンダー・ケインズみたいな少年っぽいイメージだったのでした。

ベン・バーンズ本人は「スター・ダスト」で見たときは
「え! あの人もうでてこないの? 息子のトリスタン役のチャーリー・コックスより良いのに・・・」
と思っていたぐらいなんで、嫌いじゃないんです。
(が、基本的にペコちゃん顔(ダニエル・ブリュール系)なんで、jester好みの顔だちというわけでもないです。)

しかし前作でも予告を見たとき
「ルーシーのイメージがちがう」
と思ったにもかかわらず、映画を見たあとは
「あれはあれで良いんじゃないの」
と納得してたので今回のカスピアンもそうかなと思っていたのですが、今回は違和感が残ってしまいました。


大体、スーザンとカスピアンがウルウル目で見つめあうんじゃねえ!

最後のチッスにいたっては、え”?!・・・・絶句。


・・・大体、わたくしアナ・ポップルウェルが苦手ですの。(ファンの方、ごめんなさい)
どうしてスーザンにこのキャスティング?と1作目から文句ブーブーです。

そして映画でのスーザンのキャラ自体が原作とは変化していて、物言わぬクマに矢を放つのを迷う人が戦闘に加わり、あんなに軽々と人間をたくさん射殺していいのか?という疑問がむくむくと沸き起こりました。


クリスマスニュージーランドの自然の風景はそれはそれは綺麗でした。
また行きたくなった♪
特に海のシーンは天国的に美しかったのですが、あれもニュージーランドでしょうか。南島かなあ。
今度はあそこにいって、ボートに乗りたいですハートたち(複数ハート)



雪白い魔女のティルダ・スゥイントンは原作では出てこないのに、特別出演って感じででてきましたね。
コレが恐かった〜〜!
ある意味前作の時より、封じ込められてるだけに神秘性と凄みが増してた感じでした。今回は敵があまり恐くないから、それを引き締める意味でも、白い魔女の登場は映画では成功してたと感じました。
今後も白い魔女はティルダにやってほしいな。


CGクリエーチャーのなかで一番がっかりしたのはセントールの谷あらし(グレンストーム)でした。
性格作りはいいんですけどね。

仮にも「カスピアンがあった一番気高いいきもの」の預言者であり星占いの名手の大セントールですもの、もっともっと美しくつくっていただかなくては。
「その馬になっている胴腹はつややかな栗毛で、ひろい胸元をかくすほどゆたかなあごひげは、金茶色でした」なはずなのに・・・・
そうは見えませんでしたわ・・・「貴族より貫禄がある」はずなのに、野卑と申しますか、少々貧相な顔立ちで・・・たらーっ(汗)


猫ストーリーは、大きく変わっていたので細かくいちいち書きませんが、一番残念だったのは、この話で一番好きだった、

『ルーシーがアスランに会い、皆にアスランを見たと言っても、他の人には見えず、それでもルーシーが、
「私一人でも行かなくちゃならないんだもの。」とふるえながら説得する。
前作ではルーシーを裏切ったエドマンドが
「僕はルーシーを信じる」といって賛成し、他の人も不機嫌ながらついていくと、歩いているうちにだんだんにみんなすこしずつ影が見えたり、ちらっと姿の片鱗が見えたりしだして、最後に全員アスランが見えるようになる。
「やっと、あのひとが、見えたわ。ごめんなさい」』


というシーンがなかったことです。

『クォ・ヴァディス』を思い起こさせるかなり宗教的色合いの濃いシーンですが、子供のころはキリスト教的意味などは知らずに、ただただ好きなシーンで、何回も繰り返し読みました。

ルーシーがこの世で一番好きな人に名前を呼ばれた気がして目が覚め、森の中にいってアスランに会うところ、エドマンドが自分には見えなくても、ルーシーがいうのだから行く、と堅く決心しているところ、スーザンが見えていたのに見えない振りをしていたと告白するところ、アスランが皆に話しかけるところ、全部大好きでした。
個人的にですが、この物語でも白眉なシーンなのではないかと思います。

このシーンがもしあったら、もう鳥肌がたって涙…必至ですので、どんなに戦闘シーンが増えていても、見たあと落ち込まなかったかも。


クリスマス原作未読の方で、戦闘シーンがお好きな方だったら、楽しめるのかもしれないのですが・・・
ナルニアは児童文学なんですが、映画として興行成績を上げるために、児童向けに徹しないで、成人や、ゲーム好き、男性、あるタイプのアニメ好きの人向けにも受けを狙って作ったということなんでしょうね。
その辺の狙いは見事的中してる感じです。

でもそこには小さい頃の私がけだるい午後に通いつめた、不思議で幸せで美味しい、あのナルニア国はなく、やけに猛々しい戦闘を繰り返す生き物に満ちた、偽ナルニアがありました。

大規模な軍団やら投石器を使った戦闘シーンや騎馬軍団の突撃シーンはロード・オブ・ザ・リングスの二番煎じのように感じてしまい、新鮮味がなくて、巨額の資金がかかっているのだろうなと思いつつも感動もできず・・・

映画としての出来をどうこう言う前に、まずはそういうところでショックを受けてしまったjesterにとっては、細かい部分を楽しむ余裕がなくて、今後のナルニア・クロニクルの映画化がかなり不安になってきてしまった第2作の鑑賞、初感レビューでございました。


(しかしま、これから4回は劇場で見るでしょうから、jesterのことだし、感想が変わるかも知れませんがねえ・・・・・)
posted by jester at 11:24| Comment(41) | TrackBack(16) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月12日

最高の人生の見つけ方 THE BUCKET LIST

jesterが尊敬するお人の一人に、三浦敬三さんがいらっしゃいます。

山スキーをなさる方で、70歳でヒマラヤ、77歳でキリマンジャロ、99歳でモンブラン、100歳でスノーバードから滑降なさいました。

残念ながら去年101歳でお亡くなりになりましたが、そのポジティブな生き方がすがすがしくて、可愛らしくて、撮られたお写真も大好きでした。
(ご存知かと思いますが、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんのお父様です)

毎日の生活をご本などで垣間見ても、年をとってもわくわくと楽しんで生きてらして、あんなふうに年をとりたいな〜 なんて密かに思ってました。


『死』というのは人間にとって、永遠のテーマです。
『いかに死ぬか』は『いかに生きるか』(『いかに年をとるか』)であります。
しかし、『いかに生きるか』がわかって生きている人なんてあまりいない。

ほとんどの人は毎日をじたばたと送るので精一杯ですよね。

jesterもそんな人間の一人です。
だからこそ、このテーマには惹かれてしまいます。
アルフォンス・デーケンさんの本なんかを読むこともあります。

死に直面するその日が来た時、
「違う、ここに来るはずじゃなかった!」とあたふたしないためにも。


エジプトの神話では、天国の入り口で門番に聞かれるそうです。

"Have you found joy in your life?"
(人生で歓びを見つけたか?)
"Has your life brought joy to others?"
(あなたが生きたことによって、歓びをもたらされた人はいたか?)




『最高の人生の見つけ方』という邦題、主演の2人の顔ぶれなどなどから、トレーラーを見て、「もうわかったよ。見ないし」と思った方も多かったかもしれません。

アメリカでも『映画評論家』のレビューではたたかれてました。
『ノーカントリー』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』にA+をつけた評論家はほとんどがCとかC-の評価でした。
(でも一般の人の評価はおおむね高かったのですが。)

そんな評価を横目で見ながら、あまり期待せずに、「あんまりお説教臭くないと良いけど」なんて思いつつ見てきたのですが、
jesterのお好み度は☆☆☆☆−でございました♪


芸術的に完成度の高い映画も確かに見ごたえがあるのですが、あまりに後味が悪いと気分がずしんと重くなってしまいます。
求めるものは人それぞれでしょうけれど、たまには映画を見て笑いたい、ほっとしたい、暖かくなりたい、明日からの生活にポジティブになりたいjesterでございます。

(業務連絡;MARYさん、ごめんなさい、今回酷評できませんわ・・・ご覧になって〜 きっとお気に召すと思います♪)


「BUCKET LIST」って、『棺おけリスト』なんて訳されてましたので、「Bucket」が「棺おけ」という意味にも使われるのかな?と思っていたのですが、調べてみたら、「Kick the bucket」という言い方があって、「死ぬ、とか、くたばる」という意味の俗語で、そこから作られた造語であり、「死ぬ前に(したいこと)リスト」なんですね。

というとちょっと前に「死ぬ前にしたい10のこと」というカナダ/スペイン映画がありましたが、あれは若い女性が主人公だったのに対して、こちらは「棺おけに片足を突っ込んでいる」(殴)おじいちゃんたちが主人公です。

(後述;コメント欄でDDさんがドイツ映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」との設定の類似を指摘してくださいましたが、そういわれてみれば・・・でございます。DDさん、あの名作を思い出させてくださってありがとう〜!
ちなみに「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」はjesterのお好み度、☆☆☆☆☆+の映画でした♪ 
どうもこういう系統に弱いんだな、自分。)


morgan_freeman14.jpg
しかし、モーガン・フリーマンが『実直な車の修理工で暖かい家庭を持ち、精神的に安定しているおじいちゃん』で、ジャック・ニコルソンが『一代で財を築いた大金持ちで、プレーボーイの成れの果ての孤独なおじいちゃん』って、そのままやんけ!!

これは『水戸黄門』か?? 


・・・・はい。ある意味。


全く期待を裏切らない展開なんです。わはははは。
確かに紋切り型で予定調和であります。
それを承知で見る映画かも。
(だから『評論家』には評判わるいだろうなあ・・・)


I know that when he died his eyes were closed and his heart was open (彼が死んだ時、目は閉じていたが、心は開かれていたのを知っている)

なんてね、ヒマラヤ登山をする人影に被るモーガン・フリーマンのナレーションで始まるんですよ。
そう、あの『ショーシャンクの空に』と同じ口調の、滑らかで温かい声のナレーション。

ここでもう、それだけで、密かにじ〜〜んと。(早すぎるし、自分。)


ぴかぴか(新しい)もちろん、モーガン・フリーマンは思ったとおりの演技でして、判っていてもやっぱり、とってもとっても素敵。
彼と香港のワンチャイの貿易センタービルでデートして、歴史の話やら山の話やらを聞きたいです。

ジャック・ニコルソンは最近「これ、CGじゃないの? 着ぐるみ?」などと思ってしまうjesterですが(殴)、今回は見てるうちに可愛く見えてきました。
やっぱりうまい俳優さんだわ〜
あと、彼がしていた、ベッドで寝ててテレビを見るへんてこな眼鏡が気に入った。その眼鏡に目が写ってるのがめちゃくちゃおかしかった。あの眼鏡が欲しい!


****以下、ネタバレあります。未見の方、ご注意ください!****




展開は、まさに思ったとおり。

病院で隣り合わせたベッドの、余命6ヶ月〜1年宣言を受けたジジイ二人が、「死ぬまでにやっときたいことリスト」を作り、それをやるうちに、心を開いていく、という。

幸せは、カーレースやサファリクルーズやスカイダイビングやプライベートジェットで飛ぶフランスの別荘にあるんじゃないよ。
もちろんそれも楽しいけど、でもほんとに死ぬ前にして置きたいことはそれじゃないだろ?


うんうん、その通り。


しかし、モーガン・フリーマン扮するカーターが最初にリストに書いた「見ず知らずの他人に親切にする」っていうのは、どこで達成したんだろう・・・・と思っておりました。

それが、エドワード(ジャック・ニコルソン)が教会で、リストのこの項目を消した時に、「あ、『見ず知らずの人』ってエドワードのことか!」と判って、さらにジワ〜〜っときました。

というのは、カーターみたいに愛のある家庭がある人が、たとえ『空の巣シンドローム』に陥った夫婦だとしても、ああいうシーンで、エドワードと即旅に出るっていうのが不自然な感じがして、引っかかっていたんですよ。
そんなに金持ちと豪遊するのが彼にとって楽しいだろうか? 最後に願うことなんだろうか?
それが判らない彼ではないはず、なんて。

でも、これって、リストに書いた願いを達成したってことだったんだな〜 と思ったら、かなりすっきり致しました。
もちろん旅の日々をカーターは楽しんでいたとは思うのですけれど。

そのほかに『世界一の美女にキスをする』とか『壮大な景色を見る』とかの達成が、予想をちょこっと裏切る展開で、その辺もしみじみ嬉しかったです。



笑えるつくりになっていて、さほどお説教臭くもなく、メッセージがまっすぐに伝わってくる。
かなりハリウッド的な作りで、画像のセンスはお金をかけてる割にたいしたことないし、テーマはベタだし、なんですけど、こういうものを折に触れて見るのは、デス・エデュケーションの一つとして、毎日の生活に気づきをもたらしてくれる価値があるのではないかと思います。黒ハート



ところで、キーワードにもなっていた「コピ・ルアック」は、日本人で知っている人が多かったのでは?
『かもめ食堂』で出てきましたよね、このコーヒー。喫茶店

posted by jester at 22:34| Comment(20) | TrackBack(9) | さ行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド THERE WILL BE BLOOD


成功すること。
山を掘り当て、巨額の富を得ること。

怪しげなお告げをして、人心をつかみ、操ること。
教祖として祭り上げられること。

そんな目標を掲げて、ひたすらわが道を歩いた男たち。
そこに人としての幸せはあったのだろうか。

登りつめた頂上から彼らが見たものはなんだったのだろうか。


バイブルではエジプトからのエクソダスで使われる言葉をタイトルに冠したこの映画、その『Blood』は孤独な男の血管を流れる成功を追い求める『血』か、親から子へ伝わる『血』なのか、殺人で流される『血』なのか、大地の血液ともいえる『石油』を比喩しているのか・・・・

真っ黒な石油が、どろどろと大地から沸いてくるシーン、噴出して飛び散り、爆発するシーンが印象的。
ああ、普段使っている石油って、本来こんな風に、まるで神からの贈り物のように、自然に地中にあるものだったんだな。
それなのに、それをめぐって地表に蟻のように群がる人間たちの利権争いが民族を巻き込んだ殺し合いにまで発展するようなものだったんだな・・・といまさらながら気がつかされた。

一角千金のサクセスストーリーのようでいて、実は一人の男の弱さや傲慢さ、競争心や依存心などをも細かく描いていく人間ドラマです。

最後の救いのなさは、やはりアカデミーでノミネート競争した「ノー・カントリー」と似ているかもしれません。

唐突なラストにあっけに取られている内に、エンドロールにかかったブラームスのヴァイオリン・コンチェルトの第三楽章に心を奪われ、途中で席を立つ人に「こら〜〜演奏中に席を立つな〜〜」と勘違いつっこみしてたjesterでしたが・・・(爆)

人間のネガティブな部分を執拗に描くことで監督が伝えたかった事。

そこがどうもjesterには上手く伝わらなかったような感じです。
なので、ドラマとしての面白さはあったのですが、感動には至りませんでした。

映画としては2時間38分、ドラマチックで飽きずにみられましたが、jesterのお好み度は☆☆☆3/4 ぐらいかしら・・・・☆4つには微妙に届かなかった感じです。


あらすじ: 石油ブームに沸く20世紀初頭のカリフォルニア。鉱山労働者のプレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)は、石油が沸く源泉があるという情報を耳にする。息子(ディロン・フリーシャー)とともに石油採掘事業に乗り出したプレインビューは、異様なまでの欲望で富と権力を手にしていく。(シネマトゥデイより)


なんしろ、この演技でダニエル・デイ=ルイスはアカデミー賞を取りましたからね〜
確かにすごい迫力で、アカデミー好みの熱演だったです。(悔し紛れにいってるわけではありませんあせあせ(飛び散る汗)


(****以下、ネタバレあります。未見の方、ご注意ください!****)


息子のH.W.(ディロン・フレイジャー)は、実は最初のほうのシーンで死んだ労働者の子供をダニエルが引き取ったんですよね。

そして、山師ダニエルは商売の成功のために子供がいると集まってきた人々からの信頼が増す、という観点から彼を連れ歩く。
一緒に過ごす時間が長いので、それなりに愛情も涌いてくる。

しかしその愛情も、やはり「自己愛の延長」で、子供っぽい自己中心的なもの。

所詮邪魔になれば切り捨て御免、眠らせるのにウィスキーをミルクに混ぜたり、手話を馬鹿にし侮るような態度も、心無い別れ際のセリフも、成熟した親の大きな愛情とは程遠い。


けれどそんな未熟な親であっても、子供からみればたった一つの愛情です。
すがるようなH.W.の表情が哀れでした。
汽車のなかで置いてきぼりになって、必死で父をおって降りようとするシーン、久しぶりに父と会って嬉しさのあまり泣きながら殴りかかるところを遠くから撮ったシーンが切なかった。


クリスマス「リトル・ミス・サンシャイン」でお兄ちゃんのドゥエーン役だったポール・ダノが二役で、カリスマ牧師、イーライをやってました。こちらも熱意は感じられましたが、カリスマ性ではダニエルにはかないませんね〜
なんか「うむ〜これで村人が狂信的に信じるだろうか?」と思っちゃいました。
やはりカリスマ宗教家にはそれなりの魅力がないと説得力がないです。

しかし、『狂信的になにかを信じること』の恐さは伝わってきました。
あの異常さを、あそこの教会に集まった人たちは異常だと感じていないんですよね。それでせっせと寄付をしている。

同じようなことはインチキ宗教だけでなく、狂信的政治集会や怪しげな信条のグループ、金もうけ主義のスピリチュアルセミナーや詐欺まがいの通販などなど、現代の私たちの周りにもごろごろしていて、そんなものに惑わされ、マインド・コントロールされ、他が見えなくなっている人は結構たくさんいます。

人間の心の弱さ、それを利用して上手く操るもの、信じてひたすら従うもの・・・・

しかしフタを開けてみれば、教祖はイーライのようにインチキだったりするわけです。


イーライとダニエル二人とも究極を行くようで、実は似たもの同士。
対比されて描かれれば描かれるほど、内部の似ている部分が浮き出てくる。
似すぎているから相手の中身が判りすぎてお互いを憎んだのかもしれない。


(ところで、ダニエル・デイ=ルイスがダニエル・プレインビューの役、ポール・ダノがポール/イーライ・サンディ役って、どちらも実名と同じ名前の役をやっていて、すこしばかり面白かった…?)


石油探し→掘り当てる→大金持ち→孤独→狂気→破綻・・・

猫「しかし、君たち、そこまでやっても判らないもんか・・・・?」
猫「いったい何を教わってきたの?」
猫「・・・・なにも教わってこなかったのね」

などとぶつぶつ言いたくなったjesterでございました。

そのあげく、狂気の沙汰から「I'm finished」って、まるで食事を終えたように、自らの終焉を使用人に伝えるダニエルには、憐憫を通り越して、茫然。

やっぱりこの人たちも、間違った場所にかけたはしごを必死で登って、上についてから途方にくれている感じです。

それでも狂いつつも自分なりに答を出したダニエルは、イーライよりましだったといえるのだろうか・・・・・



ちなみに、偽物弟ヘンリーのケヴィン・J・オコナー。
以前どこかの映画で出てたときに、誰かに似てないかとか言う話が何処かで出ましたが、似てません。(きっぱり)
単に奥目で眉毛が薄いってだけですわ。はい。
posted by jester at 10:20| Comment(11) | TrackBack(6) | さ行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

つぐない Atonement その2


「つぐない」のレビュー、前回からの続きです。

劇場で買ったパンフレットが素敵だったんですよ。
表紙が白のエンボス加工で、いかにも乙女心をそそる(爆)華奢なデザイン。
中は写真いっぱいです。(右がパンフレット、左はペーパーバックの原作本です。原作はこの表紙じゃないのもありますが、そっちは少し値段が高いです)

個人的には、キーラの写真を減らして、もうちっとマカヴォイさんのをたくさん使って欲しかった・・・・パンチ
でもタキシード姿で眉根を寄せてないアップがあったので、つい買ってしまいましたが。

それとダンケルクのシーンの見開き写真も素敵です。
あのハンディカメラを使った長回し、壮大な風景やら人物を続けてとっていたのがとっても印象的でした。
まるで自分があの砂浜をさすらっているような幻覚におそわれてくらくらとしました。


そういえば、出だしの屋敷のミニチュアの人形の家と、そこから出てくる動物たちの列が広がるブライオニーの部屋、そして重なるタイプの音、少女の性格や生活を描写しているすごい上手いイントロで、あれも印象的だと思いました。

タイプの音、蜂の羽音、ロビーの母が車をたたく音などがブライオニーの心象と重なり、音楽とからまっていくところも上手だな〜と思いました。


あと、最後のインタビューのシーンのインタビュアー、どこかで見た・・・と思ったら、え? アンソニー・ミンゲラさん? 
エンドロールで確認したらやはり彼でした。
あれが映画に出た最後なんですね・・・
彼の監督した作品は好きだったので、お亡くなりになってとても残念です。


さて、前回のストーリーについての続きです。

この原作には、セリフにならない「心模様」がたくさん盛り込まれているのですが、映画はその原作に忠実につくられているため、説明されていない心模様、演技だけで表現しようとしている精神の動きがたくさんあるんですよ。

その辺、説明的にセリフにされてしまうよりずっといいのですが、原作を読むと味わいが深くなります。

なので、原作読了後にもう一回見に行ってからレビューを書こうかなと思っていたのですが、まだ2回目にいけてません(汗)



****以下、原作、映画の内容には触れてます。未見・未読の方、ご注意ください!****



噴水ドボン事件の背景ですが、まずあの花瓶はとっても大事な家宝だったらしいです。
そのいわれが原作では長々と綴られてます。

そして、花瓶が壊れてしまった時、彼はシャツのボタンをはずし始めるのです。
それをみたセシリアは、彼が破片を取りに噴水に入る気だとわかり、
「こないだはうちに来てはだしになったりしたあげくに・・・もう耐えられない!」 (使用人ぶるのはもうやめてよ!)
と思い込み、か〜〜っとして思わずサンダルを蹴り脱ぎ、洋服を脱いでドボン!と飛び込んだのでした。

(前の記事でも書きましたが、セシリアとレオンとロビーは子供のころからずっと仲の良い親友で、大学に行くまでは身分の差など感じずに楽しく過ごしていたのです。)


それを窓から見ていた夢想家のブライオニーは思います。
「おぼれて、助けられて、その後は結婚の申し込みよね。」
実は彼女が以前(10歳の時)、これをやったんですよね、ロビー相手に。
映画でもそのシーンがありました。
原作ではさらにこの救出劇のあと、ブライオニーが
「I love you」とロビーに告白しています。


さて、手紙のシーンはこうです。

ドボンのとき、いろんなところが濡れて透けて見えてしまい、それが頭から離れない状態で、謝りの手紙を書くロビーの机の上にはGray's Anatomyの本が。

これって、あの話題ドラマではなく、昔に書かれた医学書なんですけど、その1546ページのthe vagina の項目がございました。彼は医学志望の学生ですもんね。
そのページを思いながら書いているうちに、ついついcuntなんて単語をタイプしてしまいました。

この辺も映画ではGray's Anatomyが小道具として使ってあったのかもしれませんが、jesterは気がつきませんでした。
なので、突然のcunt出現はちょっと唐突な感じがしてショックを受けました。

In my dreams I kiss your cunt, your sweet wet cunt.
In my thought I make love to you all day long.

とまあ、こんなことを戯れにうって、その紙はもちろんセシリアに渡すつもりはなく、Gray's Anatomy の1546ページにはさんだ、とロビーは思っておりました。


このcuntやら、2行目の「一日中君とメイク・ラブすることを夢想している」というのを読んで、ブライオニーは生真面目に
「セックスマニア(変質者)だわ!!警察に届けなくちゃ!!」と真剣に思い込むのです。
そのうえ図書室で見てしまったもの・・・
姉を襲うロビーを変質者と思い込んでも仕方ないとjesterには思われます。
それなのに、大人にいっても信じてもらえそうもない、告発したくてもできない苛立ち。

だからのちの事件で自信満々に「わたしのこの目で見ました」といったとき、それが真実と異なるとしても、「変質者を告発しているのだ」という思い、正義を成しているのだという自負がブライオニーの中にあったのではないかと思うんですよね。
もちろん、嫉妬や怒りが綯交ぜになり、自分の中にもあるけれど否定している性への興味やらが根底にあり、混乱してはいたのでしょうけれど。


また、その手紙を読んだ瞬間に、セシリアの心に浮かんだこと。
ちょっと長いけど引用します。

Initially, a simple phrase chased round and round in Cecilia's thought: Of course, of course. How had she not seen it? Everything was explained. The whole day, the weeks before, her childhood. A lifetime. It was clear to her now. Why else take so long to choose a dress, or fight over a vase, or find everything so different, or be unable to leave? What had made her so blind, so obtuse? (p142)

いい加減ですが拙訳してみますと、
「最初に、簡単なフレーズがセシリアの頭の中をぐるぐると廻った。もちろん、もちろんだわ。
なんでいままで気がつかなかったのだろう? 
これで全部判った。
一日中、いいえ、数週間前から、いや子供のころから。
生まれてからずっとだった。今すべてがクリアになった。
なんでドレスを選ぶのにあんなに時間がかかったか、なんで花瓶の事でけんかになったのか、なんですべてが変わってしまったように感じていたのか、なんでこの屋敷を離れがたいと思っていたのか。 
何が彼女を鈍感で盲目にしていたのかが。」

この辺、映画では「ブライオニー、あんたこの手紙を読んだの??」と焦るセシリアがすぐに映ったのでセシリアの気持ちがこんなだったとはっきりとは分からず、jesterは、こんな手紙を読んでセシリアはロビーに対してもっと怒ったんじゃないかしらと思ったけれど、原作を読んで、ああ、あの手紙でセシリアは自分の、そしてロビーの恋心に初めて気がついたのだな〜と思いました。


・・・とまあ、前半部分についてだけでもざっとこんな感じで、原作を読むと、映画では映像だけでしか表現されていなかったものの背景やら、映像にもなっていなかった細かいいろいろな部分がわかるので、jesterのように鈍感なものには、なおさら味わい深くなったわけです。

後半は苦労するロビーの姿ももちろんですが、姉妹二人の深く傷ついた思いが、当時は非常に社会的に低い職業だった看護婦に身を落としてまで、家を出て働き自立する道を選ばせたことをおもうと、セシリアの少しすれた様子、それとは逆に罪悪感を背負い込んだブライオニーのかたくなで暗い表情が切なくてたまりませんでした。



Atonement: A Novel

ま、全部についてこれをやっていると、読書レビューになってしまうし、連載が果てしなく続いてしまうので(爆)、あとの部分にご興味がおありなかたは、原作をお読みになってくださいませね〜(と逃げる)あせあせ(飛び散る汗)

英語は平易で難しい単語はほとんどないけれど、すこぶる美文でリズムがあり、いい英語を読んだという満足感があります。
映画を見たあとならさらに読みやすいと思われます。

(しかし、657円?? アマゾン、安い!
jesterは紀伊国屋で買ったけど997円だったのに〜〜たらーっ(汗)
300円以上も違うってどういうことだ?パンチ

贖罪 上巻 (1)
贖罪 上巻 (1)

邦訳は新潮文庫から出ています。上下巻に分かれているみたいです。

posted by jester at 10:55| Comment(36) | TrackBack(6) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。