2008年09月13日

グーグーだって猫である

最初にお断りして置きますと、jesterは

1、大島弓子さんの大ファンで、中学の頃から彼女の書いた漫画は全部読んでいるし、セリフもほとんど暗記しているほど読み返している。
人格形成にもかなり影響があったと思われる。

2、いうまでもないけれど、猫が大好き。


でございます。

だもんで、この映画を冷静に見られるはずもなく、以上の2点をクリアしてない方が、この映画をみてどう思われるのかを想像することが難しいです。

そんなjesterのお好み度は ☆☆☆☆+ でした♪

グーグーだって猫である
原作はお読みになった方いらっしゃるかしら?

jesterの読書ブログでもご紹介したことがあるのですが、12回手塚治虫文化賞短編賞もとったし、こうして映画化されるということは、広く読まれているということなのかもしれませんね。

(ちなみに手塚治虫文化賞を受賞/ノミネートされた作品って、どれも傑作が多いです。
とくに少女マンガの分野でのこれらは、わかってるぅ!という感じで、どれも読んで損のない傑作ぞろいばかりです。 
なんか面白い漫画がないかな〜と思ったら、これらを検索してみてください♪)

最近の大島弓子さんは、こういうギャグタッチの猫エッセイみたいな作品が多いのですけれど、長年のファンとしては、それでも充分嬉しいのです。

彼女の独特の情緒ある空間処理の仕方、断片的な動きの捉え方、鋭い切り込みのセリフは、ギャグタッチのなかでも充分生かされてます。

まあ、漫画そのものについては、すでに読書ブログで少し書いてますし、これ以上はまた別のところでいつか語ることにするとして・・・・

とにかく、独特の世界を築きあげた漫画家さんで、jesterは新作がでれば今でも必ず買ってます。

グーグーシリーズは4巻まで出ているし、小さい版も売り出されたらしいですね。
(MARYさんに教えていただきました。)
(ただし個人的には、漫画は文庫版より、オリジナルに少しでも近い、大きいサイズで読むのが好きです。絵を楽しむのも重要な要素ですから。)

ストーリーは、猫を飼っている漫画家の日常が、他の猫を拾ったり、病気にかかったことなどをからめ、淡々と綴られています。

だから映画になるときいて、どうやって? と、興味深々でした。


映画は漫画と設定は似ていますが、エッセンスはところどころ使われているものの、ほとんど違う話に出来上がっています。

猫は出てくるし、大島弓子さんの漫画の原稿がいっぱい出てくるので、それだけで1ファンとしては満足でしたが、あの「グーグー」を再現してくれると期待しているとがっかりするかもしれません。


しかし、「西の魔女が死んだ」でも思ったのですが、原作ファンとはわがままなもので、原作に忠実に再現してくれれば満足するというものでもないのですね〜あせあせ(飛び散る汗)

原作を愛すれば愛するほど、自分の思い込みがあり、それと違うとがっかりすることがあるし、なまじ忠実に作ってあると、愛ゆえに複雑な心境で、まるで間違い探しのようなことをして、しかもそれが許せない相違だと、全体的に乗れなくなってしまう。

けれど、違えば違ったなりに、「ああ、そういう解釈なのね〜」って面白がれる時もあります。

今回はjesterは結構面白がってみることが出来ました。


小泉今日子は、キャストを聞いたときには「え〜〜〜下膨れじゃないのに」(殴)と少し不安に思ったのですが、見てみたらなかなか良くて、好きになりました。
落ち着いた話し方が好感が持てました。

もともと大島弓子さんは、お写真などを載せることを嫌う方で、jesterほどのファンでも、お顔を見たことがほとんどありません。
なので、途中からはもしかして小泉今日子さんみたいなお顔なのかも、なんて思い込んじゃってみてました。(ないって)

上野樹里は相変わらず達者で、安心してみてられます。

あと、梅図かずおさんとか、漫画家さんがカメオ出演してます。
ちょっと「内部受け」ののりも。

大体梅図さんって大島さんと仲がいいの???
マスコミに顔が売れているから?

しかし大島さんの漫画を映画にするのに出るなら木原としえさんだろう? なんて考えてました。
(でも木原さんは映画出演なんてお断りになるのかもですが)



****以下、ネタバレないですけど、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****



窓の外をそっと覗く猫、サバ。
そして家の中の人間たちの喧騒をみて、じっと静かに座っている。

出だしのサバとのシーンからじわ〜〜っときた私だったので、タイトル前に「もうお前はすでに泣いている」状態だったのですが、それからの展開は、最初は案の定、間違い探しみたいになってしまいました。

でもしばらくして、「これはまったく別のストーリーなんだな〜」と思って見だしたら、楽しむことが出来ました。

(ま、協賛の「ニャントモ清潔トイレ」とかいうのが何回も出てくるのはうざかったですが)

なんで外人が英語でナレーター?とか、突然出てくる双子みたいな占いのオバサン(「ゴーメン・ガースト」の双子のオバサンみたいでした)なんか、シュールで面白い。

吉祥寺という街も好きなんで、メンチカツが食べたくなったり、井の頭公園に行きたくなったりしました。


犬原作には全くない、麻子さんの恋愛についてのお話が結構大部分を占めているのですが、コレについては原作者の大島さんはどうおもわれたのでしょう・・・

若いお医者さんとなんとか、っていうのはまあないとしても、編集者とのあれこれとか、「実は実話だったりして?」なんて勘ぐられたりしないでしょうか。

わたしにとっての大島弓子さんはそういう次元の恋愛(どういう次元だよ)とはかけ離れている人なので、その辺は疑問です。

自分が恋愛をするようになった頃、大島さんの漫画を読み返してみて、「ああ、大島さんの漫画に出てくるような男性って、現実にはいないんだな・・・・」と思ったことがあります。

「こういう漫画ばかり読んでいて、これがリアルであると思っていると、一生恋愛ができないかもしれない」などとも思いました。

大島さんの漫画自体は、恋愛がテーマというより、恋愛を材料として使っていても、実際は少女のモノローグであらわされるピュアな心理とか、もっと深いところにテーマがあったりするのですが、出てくる男性は、心の汚れや生臭みがなくて、天使みたいに心と体が軽いと申しましょうか、発想が女性的と申しましょうか、とにかくあまり現実味がないキャラが多いのです。

なので、著者は血の通った人間なのに、なんとなく「この漫画を書いた人は、現実の恋愛をすることはないんじゃないか」みたいなことを、勝手に心のどこかで思っていた気がします。

それは決して欠点を指摘しているつもりではなく、どちらかといえばそういう人間への憧れみたいなものでした。
「少女趣味」とかいう言葉ではくくれない、ピュアで静謐な世界なのです。
だからこそファンであるともいえます。

なので、この映画のこの部分に関しては「これは原作とは違うストーリーの映画である」と思いつつも、違和感は残りました。

いっそのこと、恋愛要素は抜いてくれたほうが、jesterにとっては良かったのですが、それじゃ時間が持たないし、一般受けしないって事なんでしょうね。


猫それでも、最後近くのサバとの対話は良かったです。

暗い、寒い中をさまよったあげく、導かれてたどり着いた、誰もいないのにストーブのついた、夢の中のようなカフェ。
人間の姿をした、逝ってしまった猫と静かに語らうひと時。

あんなことを猫がいってくれるとは、自分のうちの猫を見ていても思えないけれど、でも、生き物(猫)と生き物(人間)が寄りそって暮らすって、ああいうことなんじゃないかって思ったのです

なんだか、映画館を出た後、いろんな生き物への愛が、自分の中にあふれてくるのを感じつつ家路をたどり、家についたら、猫を「ぎゅっとしてちゅ」したjesterでした。

(北京オリンピックフェンシング銀メダルの太田雄貴選手&そのお母さんのファンです♪)


posted by jester at 13:36| Comment(8) | TrackBack(3) | か行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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