映画を見る側にとっては、見終わったあと、心の中に切ない痛みを伴う何かが残る。
映画を作る人にとっては、きっと「こんな映画が作りたい!」と思わせるような。
ショーン・ペンが伝えたいと思ったことがダイレクトに伝わってきて心のピンポイントにビシ!っと納まるような映画でございました。
jesterのお好み度、☆☆☆☆☆+ でございました。
(一旦書いたのに、なぜかぜ〜〜〜んぶ消えてしまったので、かなりショック・・・・
本日、気を取り直して再挑戦してみます。はあ・・・・


『欲しいのはそれじゃないよ、父さん』
優秀な成績で大学を卒業し、将来を約束されていた若者が旅に出る。
旅の途中で若者が体験する出会いと別れ。
それでも若者は荒野を目指す。
たった一人で。
実話がベースになっているので、『めでたし、めでたし』では終わりません。
でも見終わったあとに重い気分にならないですむのは、主人公のみならず、登場人物たちが何らかの形で成長しているからかな。
年端のいかぬものも、年老いたものも、みな1歩を踏み出している。
主人公クリスの旅立ちは、純粋さゆえの無知から生じた、若さゆえの冒険といえるかもしれない。
けれど、その無謀さと傲慢さで成された行動は、別の角度から見れば逃避であるし、ある意味『自傷行為』にも見える。
そして、本人は意図していないかのようだが、実は緩慢な『自殺行為』でもあったのではといいたくなる。
ただの「自分探し」の旅じゃないのは確か。
どこにでもあるような家庭不和。
ホームドラマを絵に書いたような幸せな家庭なんてそうはないし、考えてみれば彼なんかかなり恵まれた環境なのに・・・
若いって、自分の痛みにばかり敏感で・・・(汗)
けれど、かつて同じような自分勝手な痛みを抱えた青春時代を送ったものには、身に覚えのある衝動であり、その通過儀礼をこなして何とか生きながらえた身から見れば、その砌を自分は偶然にも踏み外さずに、良くここまで来られたと感慨を持ってしまう。
そして、現在その痛みの真っ只中にいるものには、ある意味指標となり、視点を変えることが出来、受容し感謝する道へ進む指針となるかもしれないと思いました。
まあ実際に深刻な喪失体験をしなくては、なかなか受容+感謝って受け入れがたいのかも知れないけれど・・・
貯金を捨て、カードを切り、お金を燃やし・・・
そんな青臭い姿がやけにすがすがしくて、いつの間にか軽やかじゃなくなっている自分を思いっきり笑い飛ばしたくなります。
(家族Bがデートで『20世紀少年』を見るというので、デートで見るならこっちがお勧め、といっておきました。わははは。見終わったあとの2人の会話を知りたいです。盛り下がるかしら・・・?(汗))


その繊細な視線、はにかんだピュアな微笑み、そして最後の壮絶な演技・・・・(CGも使われていたのかもしれないけれど、それにしても18キロ減はすごい。ショーンにビシバシしごかれて、走らされたのかな?)
いい役者さんです。
そして、俳優さんを伸ばしてくれるいい作品に出会えて、ラッキーでしたね。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』を連想してしまうな〜と思いつつ見ていたのですが、それは若者を主題にしたロード・ムービーだからというだけでなく、なんと撮影監督がエリック・ゴーティエなんですね!
アメリカの大自然の美しさを堪能しました。
彼の画面があったからこそ、実話の過酷さが救われた部分があったと思います。
****以下、ネタバレないですけど、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****
人と人のふれあいが人間の内部に変化を呼び、年に関係なく目覚めさせることもある。
クリスが旅の途中で出会う人たちが、素晴らしい俳優さんたちで固められていて、キャラクターも鋭く深い人間観察によって作り上げられており、ありがちな安っぽいものでなかったのが良かった。
なかでも年老いたヒッピー夫婦の奥さん、ジャン(キャサリン・キーナー)が良かった。
女性の美しさって若さだけじゃないよなの証明であります。
クリスと海で泳ぐシーンが綺麗で感動しました。

うるんだ青い目から伝わってくる、戸惑いと愛情にしびれました。
彼にクリスを止めて欲しかった。
そしてクリスに思いを寄せるトレーシー。
『パニック・ルーム』の女の子なんですよね〜
この二人のエピソードは切なくて、jesterは好きなんですけれど、23歳の青年として、トレーシーに取った態度は自然なんですかね? まるで聖者のようにストイックに見えましたが。
その理由としては
1、同じぐらいの妹を持つ兄としての気持ちが強かった。
2、これから冒険の旅に自分を探して出かけるのに、想いを残したくなかった。
3、女性に興味がなかった。(殴
なんて考えてしまいましたが、・・・まあ、そんなことはどうでもいいのです。(汗)
ウィリアム・ハートの「父の慟哭」も胸を衝かれました。
朦朧とした目に映る苦悩に、思わずクリスを責めたくなったです。
お父さんだって人間なんだよ。間違ってることだってあるけれど、だからこそ生涯学んでいくもんなんだから。
「子どもは親に厳しい」って本当です。
ショーンの父としての心がこのシーンを入れたのだろうなと思われました。
残された家族への配慮で、きっと映画では書かれなかった、もっと複雑な家庭の事情などもあったのでは? とも思いますが、それにしても、子どもをなくす親の気持ちは、思って余りあります。
残してきた妹はもちろん、旅の間にも、彼に差し伸べられた手はたくさんあったのに、彼はアレクサンダーのままで、なかなか本当の名前のクリストファーに戻れなかった。
手が差し伸べられたのは、彼が純でいい人間だったからだろう。
それでも彼は北へと旅立つ。
彼にとっては、自分の中に筋を通すためにも、何を置いてもいつかは行かなくてはいけない場所だったのだろうか・・・・
それが青春ってもの、っすかね。ああ、まぶしい。
ショーン・ペン、良かったです。
『インディアン・ランナー』で表現されていた深遠な人間描写がなお研ぎ澄まされてきた感じがします。
メッセージはシンプルだけど、迷いがなくて、何が伝えたかったのかが心に直接響いてきます。
ラストシーンには彼の願いがこめられてると思いました。
ショーンは思っていたより、割とポジティブなんですね。
ま、反逆児のショーン・ペンとしては、荒廃したアメリカの精神を描くのが流行りの今だからこそ、こういった爽やかな、まっすぐなものを作りたかったのかもしれないとも思います。
そして最後の本物のクリスの写真の笑顔に息を呑みました・・・。
帰れたらよかったのに。
河を渡って帰ろうとしていたのに。
「気づいた」のにね。
残念です。
(あのバスの近くには食料を蓄えておく小屋があったらしく、地図さえ持っていたらそんな情報も手に入って、助かったかもしれなかったらしいです・・・)
Into the Wild

原作本は話題になっていたので『jesterの読む本リスト』にはずいぶん前から載っていたのですが、未読でした。
映画をみて即急に読む必要を感じました。
テアトル・タイムズ・スクエアでみて、即、隣の紀伊国屋の洋書売り場に直行したものの、すでに売り切れでした。
なので帰宅して、アマゾンで注文。
少し安いけど、ページ数が少ないペーパーバックがあったりして、どれを買おうか迷っているうちに、どんどん在庫数が減り、売り切れたり、取り寄せに8週間かかるという表示が、在庫ありになったり、どんどん動くんですね。
今、この本は日本で売れているんだな〜と感じました。
映画の一場面が表紙になっているものもありましたが、結局、実際に彼が乗っていたバスが表紙になっている、1997年に出たペーパーバックを買いました。
(が、いまこれを書いていてみたら、3日前に買った時より200円安くなっていた。またかよ、アマゾン。)
(元値が同じだから為替のせいばかりとは思えないんだけど)
jesterにも放浪願望がありますが、心身ともに実力不足で、ソローのように、クリスのように、「森の生活」を始める自信はありません。
せめて一人で海外旅行に出かけるぐらい。
一人旅は、持てる能力を極限まで酷使するし自分というものの真の実力が試されることがままあります。
耳を済ませて目を凝らして情報を収集し、自己管理しつつ、新しいものに心を開き、美しきものに感受性を震わせられるまたとない機会です。
そして帰った来た時、日常の平凡な生活の幸せさを実感できるチャンスでもあります。
また旅に出たくなりました・・・・Alex Supertrampになって。
でも今度は、旅の幸せを誰かと分かち合いたい気もする。
「Happiness only real when shared.(幸せは、誰かと分かち合った時にだけ現実になる)」んですもんね。
鑑賞後に、「深夜特急」を書いた沢木耕太郎さんが朝日新聞に書かれたこの映画のレビューを拝読しましたが、なんとなく、照れくさげに書かれていた気がしました。
ある年代以降は、きっと若い日の自分を思ってしまうのよね。
(しかし、あのバス、どうやってあそこにあったのだろう・・・・?)
後記;ただいま原作を読んでおりますが、理解がすすみます!
読み終わったら、ゆきてかえりしひびのほうにレビューは詳しく書きますが、バスについてだけ。
あのバスは、1961年にYutan Constructionという会社が持ち込んだ3台のうちの1台で、作業員の休憩所だったらしいです。
だからストーブがあったり、寝るための棚があったりしたのですね。