今年もぽちぽちと本音で書いていきますので、お付き合いのほど、よろしくお願いします・・・

さて、本来なら去年の最後のレビューを飾るはずだった「LARS AND THE REAL GIRL (ラースと、その彼女)」なんですけど、ずれ込んで今頃書いておりまする。

『インターネットで注文した等身大のリアルドールとの恋愛関係に没頭する青年と、彼を取り巻く町の人々の人間模様が展開する』っていう新しい発想の映画です。
リアルドールというのは、昔の言葉ではダッ○ワイフ。(オランダの奥様方、ごめんなさい。

予告編でみた時は一瞬オタク系の男性の話なのかと思いました。
「舞妓HAAAAAN!」みたいな・・・
jesterにはちと理解不能の男性心理をお笑いで包んだという感じのコメディなのかなと・・・・

でも予想に反して、不思議な味わいの余韻がある、ハートウオーミングなストーリーでした。
アメリカの片田舎の話ですけれど、ヨーロッパ映画みたいな繊細さがあった気がします。
精神的に病んだ人(=普通とは違う、異分子)を周囲がどう受け止め、どう接していくのかが、とても人間的に暖かく描かれて、見終わったあとほのぼの。
ほのぼの好きjesterのお好み度は ☆☆☆☆☆- でございました♪
『君に読む物語』の頃よりは少しお太りになったライアン・ゴズリングが、繊細で優しく内気な青年役にピッタリ。
テディベアに心臓マッサージするシーンなんか、ほんとに可愛らしくて。
この役、少しでも不潔さや危険さを感じさせちゃだめだと思うのですが、彼は本当にいい意味で人畜無害な感じで、攻撃性を感じさせず、傷つきやすそうで、母性本能をくすぐるものがありました。

破顔の笑いが魅力的。
しかし彼女はいつも「同じ人間が演じてる」ように見えちゃうのが玉に瑕じゃないかとおもうのですが。
今回も、「Dear フランキー」のお母さんが再婚したのね、って思っちゃいました。
まあ、モーガン・フリーマンもそうだし(爆)安心してみてられたからいいですけれど。

孤独な影がありつつ、無表情な顔の下に隠れた人間への信頼感があふれている感じで、こんなホームドクターがほしいです。ハイ。
そのほか、ラースのお兄さん(どっちかというと、ライアンより若く見えたけど)のガス役のポール・シュナイダーなど、脇役も演技達者な俳優さんがそろっております。
優しい旋律の音楽も癒されました

****以下、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****
ただ受け入れ、つきあい、見守り、自分で答を見つけるまでそばにいてあげる。
それって子育てに通じるものがあります。
あの街の人は、ラースの親でもないのに、少年時代で発達段階を踏み外してしまったラースの心を、辛抱強く育ててあげたんですよね。
なんというご近所の底力

周囲がこうすれば、ちょっと変わり者の子どもだって、自分の道を見つけてちゃんと歩けるようになるのに、というお手本だったような気もしてしまった。
おかしいものをおかしいと指摘する勇気より、おかしいものでもそのまま受け入れて自由にしてあげるほうがずっと大きな勇気が必要で大人な事なんですよね。

「優しくていい人ばっかり住んでる、こんな街に住みたいな」と思った後に、
「・・・でもあるはずないよね、こんなところ・・・」とひねくれもの

よほど精神的にも時間的にも経済的にも余裕のある人たちが住んでいるところじゃないと、こんな風には出来ないでしょう。
(そう思う自分がある意味悲しいが、楽天的では人後に落ちない自分ですらそう思ってしまうのだから、いわんやネガティブ思考の人をや、でございます。)
それが監督の
「こんな街があったらいい」
という願いを反映させているならいるで、少しは人間のダークな部分も描いてくださらないと、メッセージは伝わるんだけど、結局はリアリティのないただの夢話に終わってしまいます。
ラースの癒しの過程が丁寧に描かれてリアルなだけに、周囲の描き方の浅さが気になったと申しましょうか。
大人の男のごっこ遊びに周りが付き合うにしても、あまりに全員が真剣にやりすぎている部分があって、
「ビアンカにはビアンカの人生があるのよ!」
と車で夜ビアンカを連れ出す年輩の女性の行動などは、ちょっと大げさすぎてうなずけない部分も。

ボーリング場なんかのシーンで、いぢわるされるんじゃないかとどきどきしたけど、それもなくて。
職場でも病院でもERでも、みんなそれはそれは物分りが宜しく、優しくて。
ま、天邪鬼jesterにはその辺が、嬉しいんだけど少しだけ物足りなかったといえばいえるかもしれません。
(うらやましかったともいえる!)
でも年をくくるのにふさわしい暖かい映画でした・・・
(だから、もう年明けたってば!!!


