小さい入れ物にミルクを入れて小人に上げるのは、いぬいとみこさんの「木かげの家の小人たち」でしたっけ。
(昔に読んだきりなので、ごちゃごちゃになってます。)
メアリー・ノートンさんはどこかで「鼠を小人に見立てて書いた」みたいにいっていた気がします。
「借りぐらし」と言葉はいいけど、まあ実際は「盗み暮らしのアリエッティ」で、いつか返す気はないんですよね。
床下の小さいおうち。
米粒ほどのトランプ柄のティーカップ(結構ツボだった)に、表面張力で盛り上がるお茶。
羽ペンの羽根は蚊の羽?
イギリス製の豪華な人形の家。
対比的に、床下の小人の家はフランスっぽくて(?)人間の家から『借り』てきた鉛筆のキャップやらものさしやらが道具や家具になったり階段になったり、その辺がとっても楽しくて、うふふふふ〜の導入でしたが・・・・
見終わってjesterのお好み度は ☆☆☆− ぐらいかな。
なんかストーリーが響いてこなかったのでした。
予告を見て期待し過ぎかも。(またかよ。)
何でだろうと考えると、・・・・主役2人のキャラが練り不足。
どっちにもあまり共感できず・・・
一番好きだったのはアリエッティのお母さんかしら。
おばあさんのような容貌なのに、キャピキャピした物言いと、可愛い性格が受けました。
確かに音響とアニメの絵は素晴らしいのです。
これでもか、これでもか、と描きこみ、こだわってるのが判ります。
しかし映画はまずストーリーだって思っているjesterにしては、逆にそのこだわりが『うざい』(嫌な言葉と思いつつ、心境にピッタリなので)
例えば自然描写やら、おばあさんの乗ってるベンツがアイドリングしてる時のぶれとか、おばあさんが乗ったときちょっと車高が下がったり、全編に行き届いたアニメの凝りが、ぎゃくに内容のなさを目立たせてしまった感じ。
大昔ですが、「おおやちき」さんという漫画家さんがいて、とっても凝りまくった美しい絵柄だったのですが、ストーリーがほとんど空振りしていた・・・・。
結局彼女は漫画家からイラストレーターに転身したように記憶しておりますが、それが正解だったなと思います。
米林宏昌さんはアニメーターとしては一流なのかもしれないけれど、映画監督としてはまだまだなのかもと思いました。
****以下、ネタバレと申しますか、映画の内容に触れてます。未見の方、ご注意ください!****
ストーリーはアリエッティが初盗み(爆)に入る辺まではカマドウマがはねてたり、ゴキブリが出てきたり、ミッションインポッシブル並の(?)アクションも、とても楽しめてよかったのですが、その後がたるみがちで、もっとテンポよく出来たはずなのに、ジブリらしからぬ(?)やけにのろのろした展開。
目をきらきらさせて見詰め合う二人、なんて、さっさと切り上げて、もっと小人の生活を見せてほしい。
お手伝いさんのキャラを樹木希林に頼り切って、ことさらに醜くアップにしたりいろんな表情をさせるのも不快でしたが、その上主人公の男の子の無表情が寂しくて、たとえ心臓の病があったとしても、小人を見ても驚きもせず、「君たちは滅びる種族だ」などとのたまう共感できないキャラが、なぜ突然最後に「君に勇気をもらった。君はぼくの心臓の一部」なんてのたまうのか・・・・
jesterにはその辺が不完全燃焼におわりました。
「おそばみに」なんてクリップを渡すのも、
「そんな言葉があったのね〜 美しい日本語だわ〜」と驚いてもらおうというのが見え見えじゃございません?
広辞苑にも載ってないような言葉を〆に使うのも、なんか臭いなあ・・・・
小人を捕まえたいお手伝いさんも、なんで殺鼠業者なんて呼ぶんでしょう?
ペストコントロールの噴霧器をもってうろうろしてましたよね。
「生け捕りにして」というのだからネズミ捕りを仕掛けて欲しいのかもしれないけれど、小人はうかうかとネズミ捕りにはかからない気がします。
それから、猫は獲物を追ってる時に逃しても、口惜しがってあんな「ふぎゃあ!」なんてみっともない声を出しません。
失敗したら照れ隠しに、誰にもわからぬように立ち去り、陰でこっそり背中をなめて自分を慰めるぐらいプライドの高い動物なんです。
あれはシッポを踏まれた時の声でしょう。
(ごめんね、ロッタ。今朝も踏んだね。)
そうそう、トトロの顔って猫なんですね。
ラストシーンのミーヤを見ていて思いました。
それと、おばあさんが人形の家のティーポットを開けて「ハーブのいい香り」っていってたけど、あれはきっと角砂糖を入れたがっていたシソ茶よね。
(小さい葉っぱだけど、シソの形してたし)
日本人がシソの匂い嗅いで「ハーブ」っていうかなあ?
・・・・すみません、なんか見ているときに引っかかっていた小さな事が次々沸いてきて、アラ捜しみたいになって来たので、この記事はこの辺で強制終了致します。