2005年12月31日

天空の草原のナンサ その2 &ご挨拶

突然思いついて(いつもこう)映画のブログを別にしてみましたが、たくさんの方とお知り合いになれて、とっても嬉しかったです!

わがままな感想を書き散らしているのに、なんか本サイトよりもご訪問の方が多い日なんかも最近増えてきて、とってもハッピイデス。

ありがとうございました〜♪


ナンサの続きを書こうと思っていましたが、間が開いちゃうと、どんどん忘れ・・・(爆)


********以下ちょっとネタばれあります**********


ナンサ一家が食べているお食事、乳製品が多いのです。チーズやミルクのおかゆ、ミルクのお酒・・・・
とってもおいしそうでした。

それから、引っ越すときのテントをたたんでいくシーンが長く写るのですけれど、それもなんだかよかった。
あんなふうにシンプルに、身軽に生きて行きたいと思いました。


そして一番印象に残ったのは、このシーンでした。

ナンサが雨に降られて雨宿りしたおばあさんの家で聞いた話。
薄暗いテントの中は雨の音で一杯。

「おばあさん、私は人間に生まれ変われるのかしら?」
「そうね、教えてあげよう」

おばあさんは長い針を立てると、そこにお米をさらさらさらとかけました。
何回も・・・・・
何回も・・・・・

「おばあさん、どうやったら分かるの?」
「そうね、教えておくれ・・・ 針の上にお米が乗ったら・・」

さらさらさら・・・・・

「でもおばあさん、お米が針の上に乗るなんてことないわ・・・・」

さらさらさら・・・・
さらさらさら・・・・

「そのぐらい、人間に生まれ変わるのはむずかしいのさ。生きてるうちに一杯一杯いいことしないとね、人間には生まれ変われないんだよ・・・・」



jesterは来世人間に生まれ変わりたいかどうか、よく分かりませんが、毛虫とかゴキブリに生まれ変わったら嫌です。

だから、一生懸命いいこと一杯しなくちゃ、と反省。←単純。


ラストシーンでは思わず手を握り締めて、「神様、お願いします!!!!」と画面を見つめてしまいました!

これ以上は見てのお楽しみですが、じわじわと感動する静かで良い映画でございました。



ではでは、みなさま、良いお年をお迎えくださいませ♪ 来年またお目にかかります 黒ハート



posted by jester at 12:34| Comment(2) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

天空の草原のナンサの感想その1です

子供と動物にはかなわないっていう業界用語があるらしいですが、その点、この映画はスペシャル可愛い子供ととっても自然体の動物がたっぷりということで、
ある意味、最強映画かもしれません。

年の暮れの午後だというのに、日比谷シャンテ・シネは混んでました!
首が痛くなる椅子だっていうのに、みんな良く我慢してきてるなあ〜
(いい映画やる映画館なんですがね)

この監督さんの前作「らくだの涙」で寝たという前科を持つjesterとしてましては、首を守るために腰をググッと落として寝そべり姿勢になったとたん、もう寝ちゃいそうでしたが、今回はしっかり最後まで見ることが出来ました。

山もなく、谷もなく、ただ淡々と人間を追っていく映画が好きなjesterとしても、主人公が犬と子供じゃ、共感できる心の葛藤などもなく、飽きてしまわないかしら?
とくにずっと歌うたってるシーンとかあったら、「らくだの涙」の二の舞いかも・・・とおもっていたけれど、その不安ははずれ。

描写に甘いところがないんです。「ほらかわいいでしょ〜」というのがないの。
ただ丁寧に撮っているというのが、大人の鑑賞に耐えます。
草原での生活は清貧で厳しいんですよ。


とにかくナンサの役(というのだろうか、本物というべきか)、ナンサル・パットチューンちゃんが可愛い!!
まん丸のお顔も、あかぎれしてるみたいな真っ赤なほっぺも、朝青龍似(さすがモンゴル民族)の細いおめめも、めちゃくちゃキュート!

しかも現代の日本のがきんちょからは失われつつある、ワイルドさがあって、小汚くて、とってもjester好みでした。

小さい体でがんがん馬も乗りこなすし。

しかし降りるときはいいとして、乗るときはどうやって一人で乗っているんだろう・・・・
家族Bもオーストラリアでマウンテンライディングしたときは、ナンサぐらいでしたけれど、抱き上げないと乗馬できませんでした。
一回お母さんが抱き上げて乗せているのが映ってましたが、一人で山に羊追いに行っていたときはどうやってたか、気になります。


ナンサの兄弟(最初3姉妹かと思った。一番下の子、髪の毛二つに分けて結んでるし。でも裸のおしりで寝てるとき、ちゃんとありました。)も全員、小さい子の可愛さがたっぷりで、この子達が自然にじゃれているさまは幸せそのもの。

ただぶちあったり、牛の糞を積み重ねて遊んでるのを見るだけで、もう心が癒されます。
nannsa1000679_01.jpg

しかし・・・・
子供が出てくるもの、動物物にありがちな、とっても悲しいシーンがあるのではないかとどきどき。
子供や動物や(いや大人でもそうだけれど)が悲惨な思いをしたりする映画はず〜〜んと心が沈んでしまうので、映画のあと忘年会を控えたjesterとしては困ってしまうのでした。

でもでも、そんなシーンはありません。ほろりとさせ、ちょっとどきどきしますが、とっても後味がいいのです。

お父さんもお母さんも、草原で羊を追って暮らしているわりには、のんびりというよりは過酷デス。
体を酷使して生き抜いているという感じ。
jesterなんかとってもやりきれないでしょう。

でもあんな景色の中で、草原に座り込んで羊の皮を剥くのなら、それはそれで体は疲れても心は疲れないのかも。

子育てだってほったらかしで、下の子なんかミシンの上に上ったり、小さな流れのほとりをうろうろしたり、柵に登ったり、もういつ落ちちゃうかとはらはら。

でも子供はたくましく育つでしょうねえ。


そして、父親は本当に一家の柱なんです。
力仕事は母親もしているけれど、彼じゃなくちゃ出来ない仕事があるし、家を狼から守るのだって彼の仕事。
だから彼のいうことは家のルールなんですよ。

現代日本の父親のほとんどは、生活という点では家族と離れていますよね。

たとえば会社員のお父さんだって、命を張って働いて家族を守っているのだけれど、その姿は家族からは見えないから、威厳がありません。

飲んだくれて家に帰ってきて、テレビをつけっぱなしでいびきをかいてる姿しか見ていない子供に、「お父さんを尊敬しなさい」といっても難しいデス。

でもあんなところで、座りながら斧をふるってバンバンと力強く薪を割る迫力ある姿をみせられたら、「おとうさんってすごいなあ・・・・」って子供は畏敬の念を抱くことでしょう。

働く男の姿に弱いjesterも、ぽわ〜となってみておりました。猫



で、続きます・・・・パンチ
posted by jester at 18:16| Comment(0) | TrackBack(2) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月27日

天空の草原のナンサ

今日は日比谷シャンテシネに「天空の草原のナンサ」を見に参ります。
モンゴルの草原と可愛いナンサと可愛いイヌッコロに癒されてまいります!

しかしちょっと不安が・・・
同じ監督の「らくだの涙」、ちょっと居眠りしたんですよね・・・・
いや、いい映画だったのですが、音楽が気持ちよくて・・・・

しかも、またシャンテシネ・・・・
(このところ通ってるなあ。)
あそこ、ヘッドレストがなくて、画面がうえのほうにあるから、首が疲れるのよね〜〜
で、首を背もたれに乗せようとすると、座高の高いjesterは今度は腰が・・・・
やれやれあせあせ(飛び散る汗)

でもナンサは1時間半ぐらいの短い映画だから、なんとか頑張ろうっと。猫

そのあと忘年会に突入なので、感想のアップは明日になるかな?
posted by jester at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

L'equipier(灯台守の恋) その10 脇役

クリスマスも終わって、年の暮れですねえ・・・・


アントワーヌもマベも、クリスマスや革命記念日には、お互い、どうしてるかな? なんて考えて、しばし感傷にふけったでしょうか?


歳とるごとに、季節季節、思いを馳せる人が多くなります。
それもいいものデス。


この映画、「恋に落ちて」や「マディソン郡の橋」と比べられていることが多いですが、jesterはこの2つの映画、あまり好きではなかったのです。
 
とくに「マディソン郡」のほうは、本もベストセラーになって、周りの人が「感激した!」っていってたけど全然でした。
(そういえば「世界の中心で・・・・」も「頭の中の消しゴム」もまったく泣けなかったけど・・・・)

「L'equipier(灯台守の恋)」でも感情移入してたのはイヴォンやアントワーヌのほうだったjesterは、メリル・ストリープには感情移入できず、クリント・イーストウッドの役はちゃんと人間が描かれてなかったから、こっちにも移入できず、で終わったみたいです。



さてと。脇役について一言。

いぢわるな工場長のルブラの役の人、上手でした。自分もマベが好きで、アントワーヌに嫉妬してるんですよね。
それがとっても陰湿。
そういえば「ラベンダーの咲く庭で」のお医者さんもこんな性格でしたね。

「ロゼッタ」でがんばっていたエミリー・デュケンヌが大きくなっていてびっくり。
能天気なおばか娘の役を楽しそうにこなしてました。
でもこの人、私生活では、シングルマザーになってるんですね〜〜
もっとビックリデス。

それと、マベの妹のジャンヌの夫のティヌーの役の人、トム・ハンクスに似てませんでした?
思わず息子のコリンかと(それはキングコング)
「魚にも流行があるのか」の台詞、笑えました。



さてさて、L'equipier(灯台守の恋)については記事が2桁に達するほど浸ってしまったjesterでしたけれども、そろそろ次の映画の話題に進みましょう。


photo2.gif
最後に、灯台に飾られていた、アントワーヌとイヴォンが L'equipier(チーム)として肩を組んでいる白黒写真を飾って終わりたかったけど、画像を見つけることが出来ませんでした。
パンフレットの中にもないし。しくしく。
なので、イヴォンの写真を飾ります。


また、チャンスがあったら是非見たい映画の一つデス。
皆様、長々とお付き合い、ありがとうございました!
これからもどうぞよろしく〜〜 黒ハート


posted by jester at 09:44| Comment(6) | TrackBack(3) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

L'equipier(灯台守の恋) その8 小道具編 ネタばれあり!

『その6』でマベとアントワーヌが近寄っていくエピソードが少ない、ひとめぼれなのか、「男と女ならそういうのがあり、と割り切っているのでしょうか?ちょっと納得いかないところデス。」なんて書きましたが、よおくハラに手を当てて考えてみたら、jesterにも覚えがあります。

出合ったときから、なんとなく目がいっちゃう人。
ずっと前から知っていたような気がする人。
いけないな、と思いつつも視線がそっちにいってしまう人。
見ているとなんとなく泣けてしまうような人。

別にドハンサムとかじゃなくても、そういう人っています。女性にだっていますよね。
心の美しさが外にこぼれて出てきている人。
そばに近寄りたいようなオーラを発散している人。

そうして惹かれ、注目しているうちに現実が見え、単に自分の理想を投影しているだけだったと気がつくこともあります。たいていはこっちで終わります。

でも、観察するうちに相手の素晴らしさにますます惹かれ、目力を飛ばしあってお互いに強く惹かれてしまうこともある。
最初は一目ぼれだったのに、相手を強く求めるようになってしまう・・・

アントワーヌにとって、マベはそういう運命的な人だったのですね。男がどんな女に一目ぼれするのかは人それぞれだろうし、いまいち分からないけれど、自分の気持ちに当てはめて考えてみたら理解できたので、前言撤回です。



ところでフィリップ・リオレ監督、小道具の使い方が上手です!

灯台が孤独なアントワーヌを象徴しているようだ、って前にも書きましたが、
イヴォンの広い暖かいふところ、危ないときに、愛するものたちをしっかりと守ろうとしている姿
も象徴しているような気がしてきました。

そっちは違うよ、そっちにいったら転覆する。
こっちが正しい航路だ、こっちに面舵を切れ・・・・

そしてそれが消えた一瞬・・・・・ 
イヴォンの心が陰に入ってしまった時。
イヴォン自身も何がおきたのか分かりません。
沸き起こる感情の嵐に翻弄され、ぼんやりとしてしまいます。

でもイヴォンは我に帰って、灯台に駆け上り、また灯台に火を入れるのでしたよね。
そしてアントワーヌを救う。この辺も好きデス。イヴォンの心の広さを感じます。

この心の広さで、娘カミーユが自分の子ではないかも、と思いつつ、そんなことはすべて飲み込んだ上で、娘を溺愛したのでしょう。
『地獄だ、出て行く』といった島に死ぬまで残っていたのも、この娘と、そして妻を愛しているからのことだったと思われます。

ああ、なんてイヴォンって心の綺麗な男なんだろう!!


マベのお父さんの手作りアコーデオンも大切な小道具の一つ。
マベがアントワーヌに惹かれたのも、多分大事そうにアコーデオンを抱いて、そっと弾いて見せた微笑と、それを直してくれた優しさがはじまりかな。
うむむむ・・・とうなりつつも、こういうのに弱いjesterです。

まあ相手がそれを、気を惹こうとわざとやってると、なんとなくこちらにもそれがわかり、しらけますけどね〜
アントワーヌみたいにおずおずと、でも裏心なく自然にああいうことをされたら、やばいデス。乙女のピンチデス。パンチ

自分のマベへの気持ちを押し殺すために、イヴォンたちの家を出てカフェの2階に部屋を借りたアントワーヌに、マベはアコーデオンを届けます。
一言の言葉も添えられていないけれど、愛の告白と思えます。

机の上に置かれた包みをじっと見て、その包み紙を一部だけ破り、中を確認しても、包みを開けないアントワーヌ。
アコーデオンには指も触れません。
開けてはいけない、と思っているのでしょう。
受け取れない。
受け取りたいが、自分はこれを受け取る資格がない・・・・。
そんなアントワーヌの心の葛藤がうかがえます。
そして島から出て行くときにそれをマベに返します。

完全な別れを告げているのです。
僕は行くけれど、アコーデオンは持っていかないよ、と。

「花火、どうだった?」といいに来たイヴォンは机の上のやぶられた包みを見て、「義父のアコーデオンか?」って聞きます。見ていてドキ、ってしますよね。勘がいい人ならこれで見破りますよ。
妻が父親から誕生日にもらって大事にしているアコーデオンだもの。

でもイヴォンはアントワーヌを信じているので、「修理した」といわれるとすぐに素直に納得し、ご機嫌でアントワーヌを誕生日パーティに招待します。(可愛い♪)

アコーデオンを前に、またアントワーヌの心はちくちく痛んだでしょう。
もうここにはいられない、出て行かなくては、いつかイヴォンを傷つける、と決心したのはこのときかもしれません。たらーっ(汗)


灯台から打ち上げられる花火は、妻への深い愛と、新しく仲間に迎えたアントワーヌとの友情を心底喜んでいるイヴォンを思わせます。
そして2人はその花火の下でイヴィンを裏切る・・・

遠く海の上で光って落ちていく花火は、なんて静かで美しくて、残酷なんでしょう。

目に焼きついたきらめく光の残像は、手に負った癒しがたい怪我と同じに、
心に嘘はつきなくない、誰ももう傷つけたくない、誠実に生きたいと誰より強く願っているのに、そう生きられない・・・・ 
そんなアントワーヌを責め続けるのです。(と、jesterは思うのでした)

ああ、アントワーヌの心だって負けずに清冽だわ!


それから、イヴォンが作る椅子。カミーユが売ろうとするイヴォンに家にもたくさんの椅子があふれ、カフェではもう誰も買い手がなく、教会でも村人が全員座っても余りあるほどの椅子。
言葉に出せなかったイヴォンの思いが椅子になっているよう。
どんな思いをこめて、無口に椅子を作り続けたのでしょう・・・・

その椅子におしっこを引っ掛ける通りすがりの犬が微笑ましかったデス。


しかし動物といえば、猫のバンコちゃん。
あの柔らかい体と、泣き声、ごろごろと喉を鳴らしてアントワーヌに擦り寄る姿。イヴォンが抱くシーンでは体を堅くしてよじ登ってましたが、あれははっきりイヴォンを嫌がってましたね。(かわいそうなイヴォン)

イヴォンったら、「お前を恋しがってる。みんなそうだ」なんていじけてました。



ああ、キングコングについても書かないとわすれちゃう(爆)のに、まだ続くらしい・・・
困ったなあ・・・・
いい加減しつこいよ、自分。
posted by jester at 11:47| Comment(17) | TrackBack(5) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

L'equipier(灯台守の恋) その7 アントワーヌ♪(ネタばれあり)

さて、いぢめられっこのアントワーヌを演じたのはグレゴリ・デランジェールです。

「ヴォンヴォヤージュ」では、それほど「jesterいい男網」にはかからず。
とっても健康的なお兄さんだな、しかもわりとぼんやりした顔だち(きゃあ、ファンの方ごめんなさい!パンチ)と思ってました。
jesterが苦手なペコちゃん顔ではないのですけれど、『いい人顔』ではあります。

まあそういう役柄だったというのもあると思いますが。


でもこの映画では、そういう彼の持ち味が、アントワーヌにぴったり。
優しげな表情の合間に、陰のように見せる寂しげな瞳がまるで迷子の子犬みたいでした。(ほめてます!) 黒ハート


動物行動学者の竹内 久美子さんの本で「そんなバカな!―遺伝子と神について」だったと思うのですが、(今手元になくて確認できません・・・)こんな話を読んだことがあります。

男には遺伝子を残す戦略で2つのタイプがある。文科系と理科系だ。

jesterのウル憶えによると、人間の行動は『利己的遺伝子ーセルフィッシュジーン』に操られていて、遺伝子を残そうと頑張っていると竹内さんは言ってました。(こまかいところ、まちがってたらごめんなさい)

文科系の戦略をとるセルフィッシュジーンをもつ男性がとる行動。

女性の心理を読み、弁舌さわやかに口説いて、自分の遺伝子を撒き散らす戦略。一端ゲットして妊娠させればもう目的を遂げたので、さっさと捨てて、新たなターゲットに向かう。社会的にも財産を持ったりする。


それにたいして、
理科系の戦略をとるセルフィッシュジーンをもつ男性がとる行動。

直接自分の遺伝子を撒き散らすことより、種族全体を守ろうとし、役に立つ道具などを作る。たいてい妻は一人で大切にし、結婚しないこともあるが、彼の働きによって、その親族が生き延びられるので、結果として彼の遺伝子を継ぐ子孫が残ることになる。

(註;この文科系、理科系は、出身学部とは別のものです!!)

とまあ、こんな感じだったような・・・・とっても面白く読んだのを憶えてます。
あの人は理科系〜〜 あいつは文科系だ!なんて周りの男を仕分けしたりして。(爆)

(この本、詳しく読みたい方はそんなバカな!―遺伝子と神について
そんなバカな!―遺伝子と神について
をどうぞ。)


で、この映画に出てくる二人の男はもうぜったい理科系の戦略の男!なわけです。

かたや妻一人をひたすら愛しながら、椅子を作り続ける寡黙な男。

かたや正義感をもち、真面目な時計職人。

でもその時計職人の優しい心は、戦争でアルジェリアに送られて、めちゃくちゃになっていた・・・



(以下、内容に深く触れるネタばれあります。未見の方、ご注意くださいませ) 




革命記念日のお祭りのシーンで、アントワーヌが村人に「下士官か?」と聞かれて「予備兵だ」と答えるシーンがあります。
jesterは軍隊のことがよく分からないのですが、彼は軍隊で偉い人ではなかったのですよね。

でも「落下傘部隊にいた」というのには周りの人が「わあ〜」という表情をしていました。敵地の真っ只中に落下傘で降りる部隊は、勇猛果敢で人ぞ知る、ということなんでしょうか。


アントワーヌが優しい表情の下に隠していたのは、アルジェリアでゲリラを捜索していて、農民を拷問しろという命令を受け、オリーブオイル絞り器を『アラブ搾り器』として使用したこと。
そしてそれに耐え切れずやめたら、味方の士官たちが怒って、彼自身の手を『アラブ搾り器』でつぶしたこと・・・・

軍隊で上官の命令に逆らうということが何を意味するか、jesterにだって分かります。
異常なシュチュエーションの中で全員が殺気立って正気を失っている状態です。

でも彼は農民を拷問することに耐えられなかった。たとえ彼自身の命が危なくなったとしても、見て見ぬ振りをして残酷な拷問を続けることを拒否した。

時計職人という寡黙で平和な仕事を選んでいた彼にとって、その手をつぶされるということは、帰還しても、もうもとの仕事にもどれない、ということを意味します。

また、つぶされた手は両刃の剣となって、自分の痛みとともに、自分が拷問したアラブ人の痛みをも再現し続けたとおもわれます。

自分の痛みだけなら時間が解決してくれますが、人を傷つけた記憶は、彼のようなやさしい人間の心に癒しがたい傷と罪悪感を与えたことでしょう。

日常生活で痛みを感じるたび、不便を感じるたび、そしてあどけない子供に「手、どうしたの」と聞かれるたび、彼の心は血を流すのです。
食事のときにサラダに入っているオリーブですらつらい。(とjesterの一人思い込み)


彼が仮面のように見せる微笑の下に隠していたのは、こんな地獄です。たらーっ(汗)


だからこそ、もっと楽な仕事も国から与えられていたのに、わざわざ『地の果て』の海の中の灯台に勤務することを選んだのでしょう。

でも彼は破れかぶれになってはいません。
誠実に仕事をしようとし、無知をあざ笑われても、叱咤されても、ひたすら学ぼうという姿勢を崩しません。
自分の悪いところを認め、任務を果たそうと全能力を傾けて努力します。
その真面目さが、同じ真面目人間のイヴォンの心を打ちます。

jesterの心だってビシバシ打ちました。パンチパンチパンチ
もうこうなると、もっさりとした体格やしわしわのYシャツまでよく見えてくる・・・・


特に2回目の鑑賞では、そういう傷を持った人間としてはじめから彼を追っているので、最初のほうから、ちょっとした伏目とか、言葉につまるところ、顔を背けるところなどに、いちいち切なくなります。

それなのに、不自由な指でアコーデオンを弾いてみせる表情なんかがとても暖かいのです。
周囲の人のために、自分をusefulにしようという心(日本語でなんていうんだろう?こういう言い回しってあったっけ?)を失いません。

後から起きてきたイヴォンのために、コーヒーを湯煎して温めておいてあげるような心配りのできる男なのです。
そしてオペラを愛してよく聞いているような、芸術を愛する心も持っている。

挨拶して返事してもらわなくても、そっと猫をなでて「お前は返事してくれる」なんていわれたら、こりゃあバンコ(めちゃくちゃ可愛いネコ)じゃなくてもごろごろ言って足にすりつきたくなるわ〜〜〜




と、喉をごろごろ言わせつつ、まだ続くらしい・・・・・・猫



posted by jester at 09:53| Comment(10) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

L'equipier(灯台守の恋) その6(ネタばれあります)

2回目は多分それほど泣かないのではないか、という予想を裏切って、またかなり泣いてしまったjesterです。

ミリオンダラー・ベイビーですら2回目は泣かなかったのになあ・・・・


(もう公開から大分経っているのと、もともと『ネタばれ』を警戒するような内容の映画ではないので、以下はかなり深く内容に触れています。未見の方はご注意くださいませ)




2回目は最初から「友情もの」と割り切って、男性二人に焦点を合わせてみていたので、よりメッセージがクリアに伝わった感じがします。
二人がお互いを理解し、歩み寄っていくところはとても丁寧に描写されていました。
なぜ、イヴォンが今までの同僚から反感を買うのを覚悟してまで、アントワーヌを「L'equipier」として受け入れるようになったかが、細かい描写で丁寧に積み重ねられていました。

 
それに対して、アントワーヌとマベがなぜ惹かれあうのかは、ほとんど説明がありません。まるで出会った瞬間にお互い一目ぼれしていたんだよ、とばかりに話が進みます。
男と女ならそういうのがあり、と割り切っているのでしょうか?
ちょっと納得いかないところデス。
ま、父の手作りのアコーデオンとか自転車とか、ささっと手早く直してくれたりした青年が、熱いまなざしを投げかけてきたら、女心は揺れるでしょうね。うんうん。
なんしろ相手はグレゴリ・デランジュールですし。
jesterなんかもう、グラグラかも。パンチパンチパンチ

しかし、なんとなくいい雰囲気でしゃべっていたのに、突然「島に住むブルターニュ人は字も読めない野蛮人?」とアントワーヌに突っかかるマベ。
フランスでブルターニュ人がどう偏見をもたれているのかはまったく知りませんが、それにしても言いがかりのような台詞で唐突な感じがします。

そのくせ、アントワーヌに「つらすぎる」といわれると「私も」とすぐ答えてしまうし・・・・
(いや、あのシーンを見ながら、jesterも思わず「私も」とすぐ答えてましたが・・・・)パンチ


でもアントワーヌはマベに惹かれながらも、イヴォンとマベを引き裂こうとはまったく思っていなかったのですよね。
最後の別れを告げるとき、アントワーヌが「一緒に島を出よう」といったら、マベはついていったと思います。(物干しに立って、アントワーヌが一人でこもっていると思われる納屋に向かってマベがいう言葉、「私はどうすればいいの?」って、=「一緒に連れて行ってね」という意味じゃないかしら?と思います)
アントワーヌもそれを知っていて、あえてその一言は言わなかったのでは。
「行き先は?」とマベに聞かれても
「わからない。僕にもわからない」と、きっぱりと終わりを告げています。

アントワーヌは身を引くことを堅く決意しているのだと思います。
それはマベに対する愛と比べても勝るとも劣らないほど、イヴォンに友情を感じているからではないのかしら。
イヴォンを傷つけたくない、という気持ちが強かったのだと思います。自分の幸せより、友達の幸せを祈る・・・ううう、いい男だねえ。たらーっ(汗)


最後のシフトに出かける2人を、土砂降りの雨の中自転車に乗って船を追いかけ、岬に立つ十字架の横で手を振るマベ。イヴォンに気を使いながら、マベにおずおずと手を振り、その手を下ろせなくなってしまうアントワーヌ。
(泣けます・・・・・・身を引く決意は固いけど、別れがたいんですよね・・・・)
自分が手を下ろしても、多分いつもよりずっと長く手を振っているマベを見て、妻が自分に手を振っているのではないと気がついてしまうイヴォン。

過剰な台詞もアップもなく、地味な色合いの風景の中で、ほとんど動きのない抑えた演技なのに、これほど人間の心が伝わってきてしまうのはなぜでしょう・・・・
俳優陣の演技力と監督の手腕に脱帽です。


今回つくづく思ったのは、イヴォンを演じるフィリップ・トレトンの演技の素晴らしさ。
最初、いけ好かないおっさんだったのが、アントワーヌに心を開くうちに、どんどん可愛く見えてくる・・・・

彼もあの島ではよそ者で、マベを愛するあまり、頑張ってやっと仲間入りしたものの、本当は打ち解けていない・・・・
いつかは出て行きたい「地獄」だって思っているのが本音です。

静かに家具を作るのが好きな無口な男だけれど、妻をひたすら愛している。
だからこそ「地獄」のような馴染めない場所でも、地道に暮らしているイヴォン。
アントワーヌが来て、心を開ける友人が来たと一番喜んでいるのはイヴォンだったと思います。だからこそ、仲間から「ブルターニュ人だろ! 恥を知れ! 面汚し!」とののしられてもアントワーヌをかばうのだと思います。

「気に入ったか? 花火だよ、驚いたろ?」というときの少年のような瞳。

そんな友人に対して、その花火の下で、彼の愛する妻を抱いたその事実がどれだけアントワーヌを苦しめたでしょう。


でもあの、花火の下のラブシーンは、私には色っぽく見えず、それよりも、「よかったね、アントワーヌ、やっと素直に思いをぶつけることが出来たね」と母のような気持ちで見てしまいました。(あんなでかい息子を産んだ覚えはないが・・・・)

初めての場所で、仮面のように微笑を浮かべ、自分の気持ちを抑えて抑えて何とかコミュニティに受け入れられようとがんばってきた彼が、やっと素顔にもどって泣くことができた一瞬だったのではないかと思います。

それが世間からは後ろ指指されることであったとしても、あそこでアントワーヌを抱いてやらなきゃ女じゃないよ! よくやった、マベ!!!



と啖呵を切って、また続く模様・・・・・・。ふう。パンチ


あ、灯台フィギュアは買いませんでした・・・・。ぐっと我慢我慢。
だって13000円もするんだも〜〜ん。しくしく。

ああああ・・・・でも、あれをうちの出窓に飾りたいなあ。
嵐のとき、あの灯台があれば心丈夫だろうなあ・・・(まだ心が揺れている)あせあせ(飛び散る汗)
posted by jester at 18:11| Comment(11) | TrackBack(8) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月18日

L'equipier(灯台守の恋) その5 またいってきます

今日、2回目をこれから見に行くところです。

今不安なのは

あほなわたしがラ・ジュマン灯台のフィギュアを買ってしまうのではないか、ということ。

実は前回見たときも、とっても欲しくなったのです・・・・。
帰ってきてからもとっても心惹かれていて・・・・

こないだはラ・ジュマンの灯台の写真が載っているカレンダー(最初に載せた灯台の写真がそうデス。そのカレンダーをデジカメでとって載せてみました)をかって我慢したんだけど、今日は我慢できるだろうか、自分・・・・

もうやめてくれ〜〜 これ以上家にマゾム(ホビットが穴に溜めてる不用品)を増やさないでくれ〜〜パンチ

・・・と自分に言い聞かせつつ、いってまいりま〜す!猫


あ、VMチーフさんに教えていただいたのですが、デイジーの300での役名がやっと分かりました。
Diliosだって。
取り急ぎの一報でした。

posted by jester at 09:51| Comment(2) | TrackBack(0) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

L'equipier(灯台守の恋) その4 原題問題

またそこかよ、と思われるかもしれないのですが、14日にかいたその2の冒頭

『『恋』と銘打ってあるので、これはラブストーリーなんでしょうけれど、考えてみると、私が泣いた部分はどうも恋愛描写だけではなかったみたいです。』

て書いたのです。
それで書いた後、
「こんな粋じゃない題ってフランス映画であるだろうか?」
(例のフランス映画との自分勝手な信頼関係です)と不安になって原題を見てみました。

う〜〜むむむむ。またかよ

原題は L'equipier じゃないですか・・・・

つまりチーム(労働者の)ってことですよね!
いっしょに仕事を組んでする人、シフトというのかな、を組む人、ってこと。
(フランス語に堪能な方〜〜〜(またきました) それでいいのですか?)

違うじゃん、違うじゃん、「灯台守の恋」じゃないじゃんか〜〜!!
これってやっぱり、友情の物語なんだよ!

せめて「灯台守」にしてくれよ・・・
じゃないと、純愛映画に浸りたい夢多き乙女が押し寄せちゃうじゃないのさ!!

がるるるるるrrrrr猫



・・・・失礼しました。

邦題をつける方は「どうやったら客が入るか」ということを最重要事項としてお考えになるのでしょうが・・・・。
ほんとにこの映画をみて題をつけたのかなあ。
そこにこの映画への愛はあったのかなあ。
題が作品のテーマとずれると、結局思ったような客層が呼べず、ロングランにもならず、採算が合わないのは証明ずみなのに!

日本人の映画ファンをバカにしてるような気がしますたらーっ(汗) 

がるるるるるrrrrrrrr!猫


だってですね、この映画をみて、ラブストーリーと期待してみた人は、それほど感情移入できないんじゃないかと思うんですよ。
で、 「あたしがえらぶならどっちの男」ハートたち(複数ハート)とか「島を出るか島に残るか」ハートたち(複数ハート) なんてことを考えるひともいますよね・・・・。

もちろんラブストーリーとしてもいい出来だとは思うし、そういう味わい方もOKだと思います。人それぞれですもの。

でも、少なくとも邦題で固定したイメージを植えつけるのはどうかと思うのです。
それでなくてもトレイラーのあま〜〜い音楽で「よっしゃ〜!」と思ってくる人だっているんだから。


jesterに伝わってきたのは、ある傷つきやすい心を持った人間と、彼を受け入れようとして少しずつ近づいた、言葉少なくぶきっちょな男の心のふれあい、そしてその別れ
だったんです。

そこで泣いたんだもん!たらーっ(汗)



そこで改めて監督のPhilippe Lioretさんのインタビューを読んでみると

『私たちが語りたかったのは同じ女性を愛してしまうはめになる二人の男の物語だったんだ。
彼らはこの極限のロケ地で一緒に暮らし、働く。
その場所では他の人々と知り合うことはとても難しくて、二人はお互いから逃れることはほとんど不可能だ。
でも、この物語の底流にあるのはどこにいる誰にでも起こりうることだということだ。』


(映画パンフレットより。文はそのままデス。原文が分からないのでなんともいえませんが「極限のロケ地」っていうの、多分誤訳じゃないかな。「極限の地」でしょうね。)


あああああ・・・・・
そうですそうです。そうでしょ??

というわけでjesterはこれからこの映画を『L'equipier』と呼ぼうと堅く決心しました。

(そのわりに後ろに括弧をつけて邦題を入れたりしてるのは、L'equipierっていっても誰もわからないだろうという弱気のせいです・・・・自分だって辞書引かないとわからなかったし)

(しかも、なんて発音するんでしょう。発音記号見ても分からないデス。男性名詞だから・・・レキペ? え? ルキペ? ルキピュェ? 痛て!舌噛んだ・・・フランス語、発音むずかし〜)



と膝打ちまくり、決心しまくりながら、俳優さんについても、映画の内容についても触れないまま、また続いてしまうのでした・・・・・


きゃいん!犬(石なげないで〜〜)
posted by jester at 09:25| Comment(4) | TrackBack(3) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

灯台守の恋 その3でございます

以前に映画館でこの映画のトレイラーを見たとき、バックにあま〜いピアノが流れていて、ちょっと「?」が浮かんじゃったのです。

恋愛もので、この曲がず〜〜っと流れるなら、だめかもしんない・・・・

しかし腐ってもフランス映画だしなあ。
(フランス映画ならそういうことはないだろうという勝手な信頼関係)


あの、恋愛ものに限らず、あま〜〜い音楽が先走って流れたり、ここぞとばかりに繰り返されるとjesterはこけてしまうのであります。

告白すれば、『頭の中の消しゴム』もかなり音楽が邪魔してましたし、『エリザベス・タウン』も『インファナル・アフェアーズ2』も、
「ほら!!! 感動のシーンだよ! ハンカチの用意だよ!」
ってやられると・・・・あせあせ(飛び散る汗) 
しかもそれがしつこかったりすると恥ずかしくなってきちゃって。
どうもへそ曲がりなんですね〜


このトレーラーで使われていたピアノは
BALLADES      (CCCD)

ディディエ・スキバンという方のもので、単品で聞くととても美しいのです。
(実は早速CDをアマゾンで買いました)
(聞きたい方は公式サイトへどうぞ。トップから流れてます。トレーラーも見られます。)
でも、恋愛映画の画面との相性はいかがなものかな〜 とちょこっと思っておりました。


でも全然そんなことなかった!

素晴らしい音楽だった!

だいたいあのピアノ使われてなかったじゃない? と思ったら、あの曲はトレイラーだけで、本編の音楽はニコラ・ピオヴァーニさんだったのですね〜〜!!


ニコラ・ピオヴァーニさんといえば、『La Vita e Bella』の甘くないのに切ない(当社比)音楽を作ったお方。

さすがにイタリアーノと申しましょうか、要所要所で邪魔にならない、でも心に染み入る音楽を付けてくださってました。 
ありがとう、ニコラ・ピオヴァーニ!
(一応お礼を言っておきます)

おかげでへそ曲がりも思う存分浸れましたです!
ケルト風な音楽も大好きなjesterですが、どこか異国風で、音楽としての完成度は高いのに画面を邪魔しないニコラのセンスに脱帽。



カメラワークも落ち着いていてよかった。あまりくるくると変化するカメラの動きは苦手デス。『ヴェルヴェット・レイン』じゃ酔っちゃったし。

そして演出も。

またまた天邪鬼jesterが出てきますが、観客を泣かせようという思惑で作られている映画で、泣いてる顔のドアップとか見せられると、かなり演技力のある俳優さんじゃない限り、しらけてしまうのです・・・。

う〜〜ん、顔がゆがんでる割には、涙の量、少なめ。
かなりドライアイ? パソコンのやりすぎかしら?
あ、鼻毛が・・・ 
などと余計な心配を・・・・(どこを見てるんだ〜〜!!) パンチ パンチ

これもこっちの感情がついていく前に先走られるとだめなんですね。


「ご覧ください、もうめ一杯泣いてますよ〜〜! さ、皆様ご一緒に〜〜」・・・といわれているようで、笑ってしまうというかですね、照れてしまうのです・・・・ パンチ パンチ パンチ



しかし! この映画では、涙はうつさないんです。

台所に入ってきた子供がふと下から見上げて
「おばさん、なぜ泣いているの?」というだけ。
それだけなんです・・・


ううう、大人の映画なんですよ・・・・


誰にも見られたくない涙。

見せてはいけない立場で必死でこらえた涙。

でもどうしてもこらえ切れなくて落ちてしまった涙。

それを誰かに見られてしまう。

子供に無邪気に聞かれてしまう。



ありますよね・・・

女、いや、人間・数十年もやってれば、そんな涙の記憶が・・・・
たらーっ(汗)



ああ、またうずいてきた(ほ〜〜・・・・)

胸を押さえつつ、また続いてしまうのでした・・・・



きゃあ、ごめんなさい!!  
あ、あ、座布団投げないで〜〜
posted by jester at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日

灯台守の恋 その2

『恋』と銘打ってあるので、これはラブストーリーなんでしょうけれど、考えてみると、私が泣いた部分はどうも恋愛描写だけではなかったみたいです。

孤独で切ないアントワーヌの生き方を、荒波にもまれるラ・ジュマンの灯台が象徴しているような気がしてなりませんでした。

優しいからこそ傷つく。そして人とのふれあいが嫌になって逃げ出す。
そんなアントワーヌの求めた癒しは、Finistere(地の果て)のそのまた果ての島にもなかった。

そして、そんなよそ者を、最初は強く反発しつつ、その人間性を認めて受け入れたイヴォン。
無口で、灯台守をしながら木を削り、椅子を作るのが趣味の男。
二人のあいだにしだいに芽生える友情。

しかしアントワーヌはイヴォンが強く愛する妻、マベと運命的に惹かれあってしまう・・・・。

こんな人間関係に深く絡み合っているのは、ケルト文化です。


はずかしながら、薄識なjesterは、Bretagne(ブルターニュ)が、Brittanyから来ているとは知りませんでした。
パリの人がピクニックに行く森、なんていう風に考えてました。

Britain(イギリスの島)から来た人々が住んでいるからなんですね〜

そういえば、アリステア・マクラウドの「彼方なる歌に耳を澄ませよ」の主人公が住んでいるカナダの小島もケープ・ブレトン島でした。この小説も灯台が出てきました。(表紙の写真が好きなので、大きな画像です)

ケルト人というと、スコットランドやアイルランド、マン島にコーンウォール、そしてそこからカナダとかアメリカに移民していった人々、というイメージが強かったのですが、ヨーロッパの中でもフランスやスペインにはもっと前の時代に移住した人々の作った、独自のケルト文化圏があるのですね。

ケルト人というと、貧しくて、親戚や村のコミュニティがしっかりしていて、ゲール語(ケルト語)を守ろうとしている、独特の文化をもつ人たち、というようなイメージがあります。

特に海外に出たケルト人たちの、よそ者を寄せ付けない堅い人間関係は有名です。
特に島だったら、かなり閉鎖的でしょう。
その中に一人入っていくつらさは、転居が多かったjesterにはなんとなく分かるのです。

jesterの転居は『人間関係からの逃避』ではありませんでしたが、地域に根っこを張って生きていく女として、母として、まったくの異文化に引っ越していくことはしんどいことでした。

新しい物好きで、好奇心も人並み以上だし、旅も大好きで、順応性もかなり高いつもりですが、それでもつらかったこともたくさんあります。


そして幼かった家族Bも一緒に世界をさまよううちに(そして幼い頃海外で暮らしたヴィゴもそうだと思っているのですが・・・)しっかり転校生気質になりました。

異なる環境で、なんとかそこの人の輪に入ろうと、いつもスマイルで目立たずに、しっかり人間を見て、場の雰囲気を本能的に読む・・・・
それはいまでは彼女の長所になっているのですが、親としては哀れに感じるところもあります。


アントワーヌに共感した1つの原因は、そんな自分や家族Bの姿が少し重なったからかもしれません。

おずおずと人々の中に入っていくが、邪魔者扱いされる。自分がコミュニティを乱しているのが感じられ、疎まれていることが分かる。
どうしたら、この人たちに受け入れてもらえるのだろうと悩む。

結局は誠実に、すねないで、前向きに生きるしかないのですよね。



続きます・・・・
posted by jester at 19:44| Comment(6) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

灯台守の恋

toudai.jpg

あんなふうに 
海の真ん中に
たった一人で立っている

荒波にもまれながら
誰ともつながらずに


そんな灯台があるなんて知らなかった。



その灯台で暮らしたいと願った男は

たった一人になりたいと
もう誰とも係わり合いになりたくないと
世界の果てまで行きたいといいながら

本当はえらく

寂しがり屋だった




ああ・・・・・まだ、余韻にどっぷりつかっていて、感想がかけそうにありません。

「灯台守の恋」とてもよかったです。

うわ〜〜〜もう、ノックアウトです・・・・

もう一回は絶対に見に行くつもりです。
(ああ、シャンテシネは22日までなの・・・!!)

ゆっくりと味わいながら感想を書きたいなと思う映画に、まためぐり合えた喜び・・・!



で、続きます・・・・
posted by jester at 18:54| Comment(0) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

Dear フランキー(ネタばれあります)

昨日は↓のヴィゴの写真を下げちゃうのがもったいなくて記事がかけませんでした。パンチ(殴

新文芸座でやっている、2本立てをみてきました。「Dear フランキー」と「ラベンダーの咲く庭で」です。

2本立てって、安いしお得、って思うけれど、その反面、感動が薄れちゃう気がしてもったいない。
余韻を楽しみたいような映画だと、jesterの場合は、前の映画を引きずってしまって、後の映画にうまく感情移入できないんです。
でもケチだから、いい映画を2本見せてくれるって言うのに、1本で出る勇気がなく〜〜

しかし、あのジェリー”ストレンジャー”に散々泣かされた後では・・・・


しみじみ、「Dear フランキー」いい映画でした。
いろんな人の優しい思いがしみてきて、心が癒されます。

Dear フランキー コレクターズ・エディション



***********  以下、ねたばれを含みます。未見の方はご注意!


前に感想を書いたとき、フランキーの耳の原因について「??」と書きましたが、今回意識してはっきり聞き取りました。フランキーはやっぱり生まれつきの難聴ではなくて、前夫の暴力が原因なのですね。(何しろスコティッシュなまりがひどくて、前に見たときはよく台詞の意味が分からないところがあったのでした)

それを聞いたときのジェリーのうちに秘めた怒りの表現が・・・・・!!!!
いい男すぎリンじゃありませんか!!ハートたち(複数ハート)

もうしびれちゃって、ずっと最後までしびれっぱなし。は〜〜えがった。

それからずっと興奮気味。

誰かの弟にいませんかね、ストレンジャー。ください!!

夫から逃げますから!! パンチ(殴パンチ(殴パンチ(殴

今回はエミリー・モーティマーも少しは(爆)見ることができました! 足長い!笑い顔可愛い! 声がちょっと低すぎだけど、いい感じですね〜〜
posted by jester at 10:15| Comment(6) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

ダンシング・ハバナ セイブ・ザ・ラストダンス サルサ!  ・・・踊る映画3つ

ダンシング・ハバナ
ディエゴ・ルナ ガイ・ファーランド ロモーラ・ガライ
B000BONQLU

のDVDが12月にでますね〜〜

これって、今年の夏、シャンテシネの新装開店コケラ落としでみたんですけれど、なんと言ってもディエゴ・ルナ君がかわゆらしくて、そのセクシーな踊りが素敵で、見終わったあとは思わずモンローウオーク。(やめれ)

やっぱりDVDは買いでしょう。

ところで、こないだ、セイブ・ザ・ラストダンス
ジュリア・スタイルズ トーマス・カーター B000244RR6

って言うのを見たんですけれど、どなたかご覧になった方、いらっしゃいますか?
2001年の公開時はかなりヒットしたらしいデス。

これがですね〜〜

ちょっと聞いてくださいよ。

クラッシックバレエをやっていた女の子がある事故にあい、失意のうちにシカゴに引っ越して新しい学校に入るんですね。
そこがスラムの黒人ばかりの学校で、学校に入るときに「金属探知機」で調べられるような、こわ〜い学校だったわけデス。

それで、文学の授業があるんですが、発言をすると、絡んできた黒人のクラスメート、デレク(ハンサム)。
クラスメートに誘われていった黒人専用のクラブで、ヒップホップのダンスに目覚め、
ダンスが上手なデレクに個人レッスンを受けるようになる・・・・
熱烈なダンスを通じて、恋愛が芽生え・・・・ちょっとしたすれ違い・・・・
そして彼女が目指すオーディションが迫る・・・・・。

ちょっとまった〜〜〜〜〜って思いませんか????

だって、これ、全然同じじゃんか! 名前と音楽と場所と時代が違うだけだよ???
デレクが女の子より小柄なところまでおんなじ・・・・・

こうなるとどこまで同じなのか、俄然最後まで見たくなる天邪鬼jester。

おもわず身を乗り出してみました。

それで思い出したのがサルサ!
ロラン・ブランシュ ヴァンサン・ルクール ジャン=クロード・カリエール
B00005HTUX


これも、中盤から最後のほうが、ダンシング・ハバナにそっくりでしたよね。
顔を黒く塗ってまでサルサを弾いて踊りたいって言うのが可愛くて、これも最後まで見ちゃったけれど・・・・。 

こういうダンスものって、パターンが決まってくるんでしょうか?
そういえばもう忘れちゃったけど、昔見た「フラッシュダンス」とか「サタデーナイトフィーバー」もそんな感じでしたっけ・・・・。


で、「セイブ・ザ・ラストダンス」は、最後に2人で組んでは踊りませんでした。
それ以上言うとネタばれになるので、いいませんが・・・・・

まあ、まっとうな、後味のいい映画でしたわ。

ヒップホップの踊り方、あの、黒人特有の首を振りふりビートを刻むやり方とか、崩れた座り方なんかを詳しく教えてくれて、なかなかためになります。

といってもjesterがまねしたって、全然はりこの首ふり亀さんみたいで、みんなが眼を背けるでしょうけれど・・・・。
posted by jester at 14:25| Comment(4) | TrackBack(2) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月17日

「テス」の思い出

中学の頃、仲良かった『あほのよしかわ』(通称でした)が、映画「テス」をみてきて、「それからね・・・・・、テスはね・・・・・、テスは可愛そうなの、テスはね、・・・・・」と延々と語り続けていたことを憶えてます。
それで、この「テス」という映画のタイトルが頭に焼き付いて○十年。

ゆきてかえりしひびのほうでヴィクトリアン朝の話を書いたので、その辺の映画を、ということで、まえにVTRにとってあったこの映画を見たのですが・・・・・。

テス
ナスターシャ・キンスキー トマス・ハーディ ロマン・ポランスキー
B00009PN1L



ヴィクトリア朝の初めのころは、「女性のモラル」がとても厳しかったらしい。
ファッションでも絶対に肌を出さない、婦人は家庭に入って貞淑に・・・・を強いられ、反対に男性は自由な生活を謳歌していたそうです。
これはだんだんに変わってきて、後半では女性の社会進出も増え、ファッションではパリを中心に、肌の露出度も増えたらしいですが。

トマス・ハーディの小説「テス」が出版されたのは1891年ですけれど、テスが生きたのは、まさに女性への抑圧が厳しかったヴィクトリア朝の初期なのかな。
そんな中で、メイドをしていて、お屋敷の息子の子供を身ごもってふるさとに帰ったテスが幸せになるはずがない。
実際当時は「誘惑するような容貌の女性のほうが悪い」と、テスを罪深い女だと評する読者もたくさんいたらしい。


でもね、でもこれほどいぢめなくてもいいんじゃありませんか?

最後の最後に救いがあるのかと思い、164分我慢して最後まで見ていて、家族Bと私は叫びました。

「なんじゃこりゃああああ!」

後味が悪いにも程がある。


確かに画像は絵画的に綺麗だけど、ナターシャ・キンスキーもたおやかな美女だけど、ポランスキー監督は何が描きたかったんだろう。

なんか救いがなさ過ぎて、かなり疲れました。

しかし中学生に理解できる映画じゃないよなあ。

・・・・『あほのよしかわ』は多分話が分かってなかったんだろうな・・・・・。
posted by jester at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

チャーリーとチョコレート工場

なんとなく感想を書きそびれていたチョコファク(Chocolate Factory の略ですだ)なんですが、昨日2回目を見てきたし、ちょっと書きたいと思います。

自分でチョコファクを2回見るとは思っていなかったんですよね。
昨日は朝9時ごろには六本木(夜の街)の辺にいたので、(・・・さすがにこの時間、空いているのはコーヒー屋さんとヴァージンシネマだけ)初回でやっているのは・・・。と覗いてみたのです。

映画をみなかったらショップを覗いて見るだけでもいいやと思ってました。
前に見たとき、グッズの「ウオンカのステッキペン」が売り切れていたので、それがあったら欲しいなとおもってましたので。(でもヴァージンシネマでも売り切れてました・・・・)

で、ホールに入った途端、あのヴァージンシネマに充満する独特の甘いポプコーンの匂いで、「そうだ!TOHO系ではチョコファク上映中チョコレートの匂いがするっていっていたな」と思い出しました。

映画の最中、その映画に関連した「におい」を流すって、未体験だったので、とても興味があったのです。
それで上映情報板をみたらちょうど9:30からのがあったので、時間もぴったり。即チケット買って入ったのでした。

さすがヴァージンシネマだけあって、朝の9:30から、でかい7番スクリーンなのに、真ん中はほぼ満席。都内では午前中は吹き替えが多くて、字幕の上映が少ない中での字幕上映とはいえ、ヴァージンシネマの集客力はすごいなあ。お昼から午後にかけては朝の時点でもチケットほとんど売り切れてましたし・・・・

あのポプコーンの匂いに勝つのか?チョコレートの匂い というのにも興味津々。



見事勝ってましたね〜〜 
じわじわとチョコレートの匂いが室内に充満してきて、ず〜〜っとしてました。

ただし人工的な匂いで、全然いいにおいじゃなかったですけれど・・・・。

でもチョコレートファクトリーの中にいるような臨場感はいやがうえにも増し、私のような単純な人間が、見終わったあと明治屋でチョコを大人買い、という効果もあったわけです。(それは自分だけだろ〜〜)

さてと。
で、映画の感想なんですが。
1回目見たとき。

ジョニデはすごい。
ティム・バートンも相変わらず彼の美学の世界をきっちり持ってる。
フレディー・ハイモアも原作のチャーリーの雰囲気にぴったり! 
じいちゃん、ばあちゃんも、原作のイメージを見事再現!
チョコの滝とチョコの川は、ちょっとさらさら過ぎに見えたけれど、チョコのモッタリ感を出すのは難しそうだし・・・・。
あ、そうだ、「シャイン」でピアニストの青年時代を熱演していたノア・ティラーのお父さん役も嬉しかったな。
音楽も踊りも楽しかったし、映画館で見る価値あり。


・・・・・とまあこんな感じ。

・・・・でもそれだけでした。

原作の世界を忠実に映画にしてあるけれど、それ以上というわけでもない。

クリストファー・リー扮するところの父親歯医者さんなどを登場させ、物語に厚みを出そうとしてましたが、私はあれは余計な気がしました。
ロード・ダールの世界は過去も未来もなく、現在形の不思議に漂うだけでいいものだと思うから。
それもあって、楽しかったけれどもう1回は見ないかな? DVDも買わないかな? と思いました。


それじゃ、なんでまた、もう1回見たんだと聞かれそうですが、胸に手を当てて考えてみると、チョコの匂いがかぎたかっただけ・・・(爆)じゃなくて、やっぱりこの映画独特の魅力があったと思います。

ジョニデの力かなあ。
フレディー・ハイモアの可愛さもあるかなあ。
ティム・バートンの個性もあるなあ。

2回見たら、ティムバートンの細かいこだわりが良く見えてきて、1回目より楽しめましたデス。


でも、本音で言ってしまうと、
たとえばジョニデとフレディー・ハイモアのコンビなら「ネバーランド」、
ジョニデとティム・バートンのコンビなら「シザー・ハンズ」のほうがjester的には、泣けたし、好きだな、というのが正直な感想デス。

B00067HCY4ネバーランド
 

B000A0K5F0シザーハンズ〈特別編〉
 (あ、今気がついたけど、調べてみたら、この↑DVD、1341円だって〜〜 すごく安くなってる! くそ〜〜高いときに買ってしまったわ・・・・)

余談ですが、昨日買った Venchi のチョコレートなんですけど、裏を見たら明治屋さんが貼ったシールに「ヴェンチ チョコレート」って書いてあるんです。
でもイタリア語だと、chi は「キ」と発音することが多かった気がするんですよね。
イタリア人の友達のマリアグラーツィアと英語でしゃべっているといつもそうでした。たとえば、 Children をキルドレン、ってよく言ってました。

それから考えるとこれは「ベンキ」チョコレートと日本語表示するのが正しいのでは? などといぢわるなことを考えてました。わははは。
誰も買わないか。

昨日は秋じゃないみたいに暑くて、あわててクローゼットに隠してあった大量のチョコを冷蔵庫の野菜室に避難させた私ですが、今朝の早朝になんだかひらめいて、「願掛けのためのチョコ断ち」(ただし期間はたったの2週間ですが・・・・・)を決断しました。

つづくかしら・・・・・
不安。


(DVDの画像はAmazonからおかりしました。)

この記事は本サイトゆきてかえりしひびから転載しました。
posted by jester at 21:32| Comment(3) | TrackBack(1) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

ドア・イン・ザ・フロアの試写会に行ってきました。

DOOR IN THE FLOOR の試写会をみてまいりました。

もともとジョン・アービングの  原作、A Widow for One Year  ( 和訳は未亡人の一年 (上) 未亡人の一年 (下)  )を読んで、おもしろくて結構好きだったので、どう映画にするのか大変興味があったのです。(まあよくわからなかった部分が映画を見たら分かるかもというのもあり・・・・)
ジョン・アーヴィングが1ドルで映画化権をうったという話も有名ですし。

(ちなみにこの作品は、彼の作品の中では比較的読みやすい英語だとおもいます。アメリカの現代文学に挑戦してみたい方には入門としていいかもしれません。映画に使われているのは本の1部分ですが) 


さて、ヘラルドさんはこの映画を「大人の愛」を描いたと宣伝していますが、私は 「喪失感とそこからの出発」 がテーマなんじゃないかなと思います。
いや、大文字にするほどのことじゃないんですけれど。ヘラルドさんの広告の仕方はいつも巧くないな・・・なんかはずしてるな・・・と思うので・・・・。


深緑、ベージュ、くすんだ青、そして若葉色・・・と、アースカラーが美しい静かな海辺の街。
海を臨んで建つ瀟洒なコテージを舞台に、人間模様が展開されます。

「海辺の家」などとちがって、「泣かせてやろう」という意図はなく、ただ淡々と、心に傷を負った男と女が、そこからどうやって生きていくのかが描かれています。


キム・ベイシンガーはアメリカで最も美しく年をとることに成功した女優といわれるそうですが、うなずけます。悲しみから何とか立ち直ろうとしながらも、どうしても立ち直れないうつろな表情がとてもうまい。
彫刻のように無表情で、夕暮れのようにはかなげで、成熟した美しさがあります。

対する夫役のジェフ・ブリッジスは シービスケット のときよりずっと色っぽくて(いい脱ぎっぷり!)、浮気性だけど暖かいといった役柄です。

それと、エル・ファニングちゃんを初めておねえちゃんのダコタの子供時代の役(アイアムサムとかTakenとか)じゃなくて、本人の役(?)として認識しました。とはいえ、お姉ちゃんそっくり。特に悲鳴まで(そう、「宇宙戦争」のときの・・・・)そっくりデス。

 
    以下、ネタばれあります。


もともとエキセントリックなところがある美しい妻と、作家で自分もエキセントリックな夫。
この夫婦が突然の事故と家族の死亡という傷を癒そうとしてもがき苦しむ。

映画は事故から数年たった後のこの1家に、作家志望の少年が助手として住み込むところから始まります。(詳しいあらすじは公式サイト こちら 
そして少年は妻・マリアンに惹かれていく・・・

SEXって女にとって、快楽の対象ではなくて自虐の手段になることがあるのですよね。ラストまで見てから、マリアンの表情を思い出すと、切ないです。
女は悲しみを感じる脳の部分が男より大きいそうですが、マリアンの癒されない悲しみは私にも伝わります。

夫のテッドは自分なりに妻を何とか立ち直らせようとしますが、どうしても彼では癒せない傷があります。テッドも傷を負っていますが、マリアンの傷とはまったく異なる傷で、彼は充分立ち直っています。
男と女の間には深くて暗い川があるんですね・・・。


人間は愛するということを知ったために、その愛を喪失したとき、深く傷つく。
その心の傷は肉体の存続を危うくするほど深い。

何で人間は愛するのでしょうね? 
愛すれば縛られるのに。
それでも愛さないと生きていけない。

お釈迦様(?)の「色即是空、空即是色」の悟りを開くことは凡人にはむずかしいです。


時が悲しみを癒すとしても、一生癒されない傷もあると思います。
そんな悲しみを背負わなければならなくなったとき、人は自分の存在をのろうのでしょう。

人間の存在って、本質は悲しいなあ・・・なんてまた思ってしまったjesterでした。



秋の季節にふさわしい、味わい深い映画でした。

でも、今まで映画化されたジョン・アーヴィング原作の サイダーハウス・ルール とか ガープの世界 があまり好きでない、という人にはあえてお勧めはしません。

アーヴィング特有のコミカルなシーンやベッドシーンもありますが、全体的にドライで地味な、お金もかかっていない、ドラマチックな展開もない、静かな大人向けの映画です。

                

しかしずっと、あの広い家を誰が掃除しているのだろうと気になり続けていた自分が悲しくもあります・・・・・・。

この記事は本サイトゆきてかえりしひびから転載しました。
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2005年09月23日

トイストーリー2

最近のディズニーアニメはあまり見ないんですが、Toy Story 2は大好き。

Toy Story の最初のものより、Toy Story 2 のほうが大人向けで感動的です。
いつまでも心に子供が住んでいる大人にお勧め。
とても和む1作です。

キャラクターはアメリカのおもちゃなので、「かわい〜〜!!」というものじゃないんですけれど、おもちゃが持ち主の子供に持つ愛情、というのが、おもちゃ側からせつせつと語られ、切ないです。

特にカウガールのお人形が『少女が大人になって、あきられ、取り残され、捨てられたおもちゃの悲しさ』を切々と歌う歌は秀逸。

おもちゃが子供に愛情を持つか?

私はそういうの、信じちゃうんです。愛着を持って長年そばに置いたものは、気がうつってきて通じるようになると思うのです。

ストーリーのテンポも心地いいし、笑えるシーンが盛りだくさん!

おもちゃオタクのデブのおじさんが、アンティークのおもちゃを売ろうとしているのが日本のおもちゃの博物館・・・。やっぱり日本ってオタクが多いのかな?

ダックスフンドやティラノザウルスやぶたのおもちゃの動きも可愛いし、ロボットが悪役キャラと戦ってた途中の台詞、
「I am your father・・・・」には爆笑。

スターウォーズ5の名台詞のパクリですけれど、20年前の映画・・・・。
これを見る子供のうち、何人が分かるのかしら? 
アメリカの子供は分かるのかしら? と思いましたけれど、もしかしたら、子供と一緒に映画館に来た大人へのサービスかもしれませんね。

子供が見たら、おもちゃとか絵本とか大切にしてくれるようになるかもしれません。

トイストーリー2



本サイトゆきてかえりしひびから転載しました。
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2005年07月20日

Dear フランキー

静かで心温まる感じの『癒し映画』です。
貧しい港町で暮らす普通の人たちの抱える悲劇と、それを包む周囲の人々の優しい心。
控えめだけれど美しい映像と静かな音響も気に入りました。

しょっぱなからすごいスコットランドなまりに「あれ?これってどこの映画? 英語が混ざってるみたいだけど、何語?」などと思ってしまいました。


オペラ座の怪人のファントム、ジェラルド・バトラーさんが、難聴の少年、フランキーの偽父役で出ています。オペラ座のときはそれほどいいとも思わなかったのですが、こうして素顔(?)ででてくると、彼はほんとにいい顔をしてます。こんな人が『誰でもいいから素性が知れない人で1日だけ夫の役ができる人がその辺にいないかしら』といって、落ちてたら、そく拾いますね。
黒皮のジャケットといい、借り上げた髪型といい、フェロモンだだもれ状態。かなりやばいです。

しかしそのフェロモンを使うことなく、偽の父親を演じるところが女心をそそるのですわ。


以下ネタばれ有


フランキーが必死で「come back?」と聞いた後、白いタツノオトシゴをあげるシーン。
それをフランキーがどんなに一生懸命作ったのがジェリー父にはわかったので、本当の父親でもない自分が受け取る筋ではないと一旦断ります。 
でもフランキーが持ってて欲しい、というと、「honor to have this」(名誉に思うよ)とか言って居住まいを正して厳かな感じで受け取るのでした。
字幕ではただ「大事にするよ」としか訳してなかったのが残念。

ジェリー父の目つきの暖かくて切ないこと。うう、役者だ〜〜 

フランキーはいつジェリーが偽父だと分かったのかとか、フランキーの難聴の直接の原因は?(前夫の暴力を示唆するような台詞がありますが)、とか、いくつか分からないところがあるものの、また見たいな、と思わせる秀作でございました。
posted by jester at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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