2010年03月07日

のだめカンタービレ

『のだめカンタービレ』の漫画をいち早く発見し、愛読し、友人たちに布教したのは自分だと、すこしばかり自負しているjesterなのです。

のだめカンタービレ(23)
のだめカンタービレ(23) (KC KISS)
テレビドラマ版になると聞いた時、あの世界をどうやって実写にするんだ??と思いましたが、なかなかテンポが良く、結構毎回楽しみに見ておりました。

が、漫画版のほうは、パリに行ってからというもの、ちょっと話がだれてきてる感じで、最近は大分熱が醒めてしまったのでした。

パーカスの真澄ちゃんも出てこないし(爆)



なので映画もあまり見に行く気がなかったのですが、冒頭シーンで千秋がベト7を指揮するウィーンの楽友協会ホールなどで、うちの愚娘が公演をするので、ヨーロッパに出発する前にどうしても見たいと言い張り、ついて行きました。

(娘は学生オケにはいっており、多分明日ごろか(爆)ウィーン公演です。演目はミルヒーが湖のそばにたたずんでいる時に第4楽章がかかっていた、マーラーの5番など。)


しかし玉木宏くん、ずいぶん頬がこけて、体が悪いのではないかと思ってしまった。
きっとスケジュールが忙しすぎるのね?

もともと表情のヴァリエーションが少ない俳優さんなのに、顔つきが少々貧相になったような・・・・

指揮の振りはテレビの頃より少し上手くなっていた気がしましたが・・・


すんごく小心者のjesterは、こういうコメディを撮影しているとき、周りで見ている現地の人とか出演している俳優に「日本の文化って・・・」と思われないかと、ちょっと目をそらしたくなりました。(殴

それでなくても、海外に住んでいて、「日本のイメージってなんか誤解されてるなあ〜」と感じたことが多かったので。

いや、誤解というよりは、理解されてないって方が近いかも。


元首相が作ろうとしていた「国立アニメ美術館」も嫌でした。
アニメが外貨を稼ぐ重要な『産業』だってことは判っているのですが・・・・・


成人向けの「女性をレイプして妊娠させたり中絶させるという性暴力の日本製ゲームソフト」に、海外からの批判があったのも記憶に新しいですが、ああいうもので日本の悪いイメージが定着してしまうのは辛いです。

ああ〜〜 話が全くそれてしまいました。

閑話休題。



映画を見たのが1ヶ月以上まえだったので、印象も薄れているのですが、上野樹里ちゃんは、相変わらず可愛かったです。

(と、とってつけたように誉める。)

あと、マルレオケのどうしようもないヘタクソな演奏に笑えました。
プロのオケであれはないでしょう。

しかし隣の席の娘は、「わがことのようで笑えん」と泣いていましたが。(爆)


映画館はよくお客が入ってました。
『のだめカンタービレ』でにわかにクラシックに興味を持つ人が増え、そのこと自体はクラシック愛好者にとっても演奏者にとってもいいことなのかも、と思います。
(けれど、反面、こういうことで起こった熱はすぐに醒めそうな気もしますが。)

民主党になって、歌舞伎やクラシックなどの文化への援助金が減らされることになりそうだと、市川団十郎だとか小澤征爾さんなんかが政府に陳情に行ってましたが、本当にこういう文化を支えるのには、普通の人々がこれらの文化を楽しむことが必要ですもんね。

posted by jester at 22:17| Comment(2) | TrackBack(0) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

西の魔女が死んだ

鑑賞してからまたまた1ヶ月以上経ってしまいましたが、「西の魔女が死んだ」でございます。

梨木香歩さんの原作『西の魔女が死んだ』は愛読書でした。

家族Bにも読ませて一緒に長年『魔女修行』に励んでいたぐらい大好きな本だったです。

だからもちろんわくわくして映画の公開を待っておりました。

映画は本当に原作に忠実に作られていました。
セリフも展開もほぼ同じに進みます。
静かでゆっくりしたテンポで。
みどりが滴るような画像も綺麗。日本の美しい自然に癒される。
ラストはそれなりにしんみり。

友人たちと4人で鑑賞したのですが、私以外の3人は泣いていて、そのうち2人は爆泣きしてました。
(後記;その時は3人とも爆泣きしてると思いましたが、お一人はそれほどでもなかったということです)
(また、爆泣きしてた中の一人は、前夜『The Road』を読んだのでそれもあってより泣いてしまった!といってましたが・・・・)
(ヴィゴが主演する映画『The Road』の原作本のレビューはこちらです♪)

なのにjesterは泣けなかったのです・・・。

帰ってきてから原作を読み返したりして、その辺を探ってたのですが・・・・・

おばあちゃんの家とか、日本の山の美しい風景とか見られたし、雰囲気も良かったので、落ち着いて考えるとjesterのお好み度は ☆☆☆ ぐらいだったかなあ・・・?

でもまた「原作大好きだったからシンドローム」が出てしまった感じで、しかも映画を見たあとなんだか大好きだった原作まで安っぽくなってしまった感じがしてしまいました。

(なのでこの映画大好きなかたは以下、読み飛ばしてください〜)

クリスマス   クリスマス   クリスマス   クリスマス   クリスマス


梨木香歩さんは文学の修行をイギリスでなさった方で、作風に外人が見た日本のような独特の切り口があって好きなのです。

この「西の魔女」に出てくる「おばあちゃん」も白人で、日本の学校で、友人たちとうまく行かなくなった孫娘に「魔女修行」をさせるというお話です。

「魔女修行」といっても、結局は「生活を大切にし、意思を強く持って生きる」ということに尽きるのですが。


猫多分わたしの中に、見る前からサチ・パーカーという女優に対するあまり良くない印象があったのであります。

いつもはネタバレを避けて、映画を見る前にその関係の番組を見たりはしないのですが、ムービープラスかなんかで公開前のインタビュー番組が偶然かかっていて、サチ・パーカーがしゃべっておりそれを見てしまったのですね。

7.jpg最初は「西の魔女が死んだ」の番組とは知らず、
「だれ、このやけに派手なおばさんは」と思いつつ見ていて、気がついて「あ!!やば!!」という感じですぐに消したのですが、一瞬で「この人は『西の魔女』じゃない・・・・」という印象が深く焼きついてしまいました。

まだ「おばあちゃん」の役をやるには若い彼女だし、インタビューの時には本来の女優さんの姿に戻ってますから、「おばあちゃん」に見えなくても当然なんですけどね。

なんというか、この女優さん、本質的に『西の魔女が死んだ』で語られる「魔女っぽい」ものが全くない感じがしてしまい・・・。

(↑確かこの画像の衣装と化粧で番組の中でしゃべってました。
彼女の気持ちは分かるのですが、目いっぱい派手な若作りがjesterには違和感ありました・・・)


実は予告を見たときも、無駄な色気を感じて
「あれ? この人で大丈夫かなあ?」
と彼女が演じる「おばあちゃん」に不安があったんですよね・・・

このインタビューを見てそれが強まりました。
自分が『おばあちゃんの役』をやるのに実は納得がいかなくて、どうにか『まだ美しい私』をアピールしたがっている感じとでも申しましょうか。

しかしそこは女優なら、いっくら老け役が嫌でも、映画の中なら違うかも・・・?とその不安を打ち消してました。

でも映画を見ても、それを克服するだけの女優魂とか演技力がサチ・パーカーに感じられず、彼女の湿っぽ〜い目つきと、綺麗に膨らませた髪型やらつるぴかの手に、
「ちがうじゃん・・・」と違和感を持ったまま最後まで見てしまいました。
(『西の魔女』は湿っぽい目つきで演じちゃだめなんです!!)


猫原作を読んだ時は特に人種の優越などを意識することなく、日本の社会で馴染めなくなった人が、異文化から日本の中にやってきてしっかりした意志の力で自分を保ちながらも回りに適応して生きている人に教えられること、という感じで素直に受け取っていたのです。
が、映画を見たらなんだか・・・

「おばあちゃん」の人間的魅力が伝わってこないので、その分、日本人の「白人への憧れ(劣等感?)」みたいなものがそこはかとなく感じ取られて、それはそれでちゃんと理性を満足させてくれるものがあれば多分jesterも納得がいくのに、映画を見ているだけではどうも素直に納得できませんでした。

それもこれも、やっぱり「サチ・パーカーの演じるおばあちゃん」がjesterには駄目だったからみたいです。パンチ


ちなみに、この役、始めはサチ・パーカーの母、シャーリー・マックレーンにオファーがいったそうですね。
ぜひぜひシャリー・マックレーンにやって欲しかったです!!!!(jester心の叫び!)
ああ、シャーリー・マックレーンで脳内変換してみるだけで泣けるかも。

どんなに日本語がたどたどしくても、シャーリー・マックレーンならドライで哀愁を帯びた瞳で、心が痺れるような『西の魔女』を演じてくれたと思う。たらーっ(汗)


しかし原作未読2人、既読2人という構成で見に行った中で、他の人たちは感動して泣いていて、しらけていたのは私だけだったみたいなので、あのサチ・パーカーおばあちゃんもOKな人にはOKなんだろうなあ・・・・

「みんな感動してるみたいだし、ここのところはひとまず、私の意見はいわずにおこう」
と、映画後のお茶では静かに人の話を聞いていたjesterなんですが、その中の一人があとで映画にいけなかった友人に送ったメールで

「みんな泣いていたのに、jesterだけは腹の虫が鳴いていた」とあったらしく(爆)

いや〜〜 確かにそうでした!(しっかりばれてる!)(汗)

しーんとした中でjesterのハラの虫だけが無常にキュルキュル鳴いて感動に打ち震える映画館に響いてしまったのであります。(横にいたひと、ごめんなさい!)


その上、このロケ地が早くも観光地化して、「おばあちゃんの家を訪ねるツアー」があるとかないとか・・・(汗)
うむむむ。
(シャイアに行きたくてニュージーランドまでいってしまったあたしにいわれたくないでしょうから強制終了。)



とまあ、ひとり拗ねてしまったわたくし、その後も原作を読み直しても昔の感動がよみがえらず、途方にくれております・・・・たらーっ(汗)

posted by jester at 09:17| Comment(6) | TrackBack(1) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛  THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN

1作目のレビューでも書いたのですが、jesterの小学校時代はナルニアとともにありました。
(岩波書店さんの本にはほんとおせわになりました・・・)

ナルニアのどの本も何回読んだかわからないほどで、ほとんどの文章を暗記してしまっているほど。

という原作大好き人間ですので、1作目の、タムナスさんとルーシーの出会いのシーン、アスランの登場シーンでは泣きました。

子供のころいろいろ想像していたものをリアルな映像でみられた幸せ・・・・

というわけで、1作目でそれほど期待してなかったのに、予想外に嬉しかったシーンがたくさんあったので、今回の映画もあれこれ見られるのかと盛り上がる期待を抑えきれずにおりました。

「コルネリウス先生とカスピアンが星を見るシーンは・・・」とか
「リーピチープ!!」「谷あらし!!」「松露取りのおうち〜」とか
「隠れ里の、前足をしゃぶるくせのある、ふくら熊3兄弟とリスの枝渡り!」
「木の食べるチョコレートそっくりの土!」
「バッカスが乳母に飲ませる赤ワイン!!赤スグリの実のように赤く、油のようになめらかで、牛の肉のように強く、お茶のように暖まり、露のようにさわやかな!」

などなど、いっぱいいっぱい期待して待っておりました。
どのシーンも本当に好きで、愛してたんですよ。

だからしょっぱなからでっかいカスピアンがでてきたのには驚いたけど、あの4人兄弟が地下鉄の駅からナルニアに吸い込まれるシーンではうっとり。
これからの展開にわくわくどきどきでした。

でも・・・
1作目でも「戦闘シーンが派手すぎ」と思ったのですが、第二作ではさらに、原作では高々全部で3〜4ページぐらいの戦闘シーンが、映画の80%ぐらいを占めていたように感じられました。
しかもjesterには納得行く根拠が感じられない、必然性のない戦いが。


原作への思い入れと映画への期待が裏切られた思いで、鑑賞後は妙に落ち込みました・・・・たらーっ(汗)


だもんで、jesterのお好み度は、リーピチープと松露取りがみられた感謝を精一杯こめても、
☆☆☆ぐらいでございました・・・・

それでもおまけに釣られていっぱい前売りを買ったおばかなわたくしは、これから通うことになるのね・・・・
いいもん、おまけのエコバック、毎日使っているもん!

何回か見たら、好きなシーンだけ選んで集中できるようになり、もうちょっとショックから立ち直れるかもしれないし。


というわけで、ちょっと辛口気味の、原作との比較を含むバイアスがかかったレビューです。
(この映画本体がお好きなかたはどうぞスルーしてくださいませ)


****以下、ネタバレないですけど、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****


今回びっくりしたのが、エドマンド役のスキャンダー・ケインズ。
前回と比べ、大きくりりしく育ってました。

前回も違和感なしでエドマンドとしてすんなり受け入れられたんですけど、今回も良かった。
役柄としても、「ライオンと魔女」の時よりずっと成長するエドマンドなんですけど、役者としても成長してましたね〜

今後が楽しみです♪


カスピアン役のベン・バーンズは、私のもっていた「カスピアンのイメージ」とは大きく違っていて、予告などで画像を見ても違和感がありました。
私のイメージはそれこそスキャンダー・ケインズみたいな少年っぽいイメージだったのでした。

ベン・バーンズ本人は「スター・ダスト」で見たときは
「え! あの人もうでてこないの? 息子のトリスタン役のチャーリー・コックスより良いのに・・・」
と思っていたぐらいなんで、嫌いじゃないんです。
(が、基本的にペコちゃん顔(ダニエル・ブリュール系)なんで、jester好みの顔だちというわけでもないです。)

しかし前作でも予告を見たとき
「ルーシーのイメージがちがう」
と思ったにもかかわらず、映画を見たあとは
「あれはあれで良いんじゃないの」
と納得してたので今回のカスピアンもそうかなと思っていたのですが、今回は違和感が残ってしまいました。


大体、スーザンとカスピアンがウルウル目で見つめあうんじゃねえ!

最後のチッスにいたっては、え”?!・・・・絶句。


・・・大体、わたくしアナ・ポップルウェルが苦手ですの。(ファンの方、ごめんなさい)
どうしてスーザンにこのキャスティング?と1作目から文句ブーブーです。

そして映画でのスーザンのキャラ自体が原作とは変化していて、物言わぬクマに矢を放つのを迷う人が戦闘に加わり、あんなに軽々と人間をたくさん射殺していいのか?という疑問がむくむくと沸き起こりました。


クリスマスニュージーランドの自然の風景はそれはそれは綺麗でした。
また行きたくなった♪
特に海のシーンは天国的に美しかったのですが、あれもニュージーランドでしょうか。南島かなあ。
今度はあそこにいって、ボートに乗りたいですハートたち(複数ハート)



雪白い魔女のティルダ・スゥイントンは原作では出てこないのに、特別出演って感じででてきましたね。
コレが恐かった〜〜!
ある意味前作の時より、封じ込められてるだけに神秘性と凄みが増してた感じでした。今回は敵があまり恐くないから、それを引き締める意味でも、白い魔女の登場は映画では成功してたと感じました。
今後も白い魔女はティルダにやってほしいな。


CGクリエーチャーのなかで一番がっかりしたのはセントールの谷あらし(グレンストーム)でした。
性格作りはいいんですけどね。

仮にも「カスピアンがあった一番気高いいきもの」の預言者であり星占いの名手の大セントールですもの、もっともっと美しくつくっていただかなくては。
「その馬になっている胴腹はつややかな栗毛で、ひろい胸元をかくすほどゆたかなあごひげは、金茶色でした」なはずなのに・・・・
そうは見えませんでしたわ・・・「貴族より貫禄がある」はずなのに、野卑と申しますか、少々貧相な顔立ちで・・・たらーっ(汗)


猫ストーリーは、大きく変わっていたので細かくいちいち書きませんが、一番残念だったのは、この話で一番好きだった、

『ルーシーがアスランに会い、皆にアスランを見たと言っても、他の人には見えず、それでもルーシーが、
「私一人でも行かなくちゃならないんだもの。」とふるえながら説得する。
前作ではルーシーを裏切ったエドマンドが
「僕はルーシーを信じる」といって賛成し、他の人も不機嫌ながらついていくと、歩いているうちにだんだんにみんなすこしずつ影が見えたり、ちらっと姿の片鱗が見えたりしだして、最後に全員アスランが見えるようになる。
「やっと、あのひとが、見えたわ。ごめんなさい」』


というシーンがなかったことです。

『クォ・ヴァディス』を思い起こさせるかなり宗教的色合いの濃いシーンですが、子供のころはキリスト教的意味などは知らずに、ただただ好きなシーンで、何回も繰り返し読みました。

ルーシーがこの世で一番好きな人に名前を呼ばれた気がして目が覚め、森の中にいってアスランに会うところ、エドマンドが自分には見えなくても、ルーシーがいうのだから行く、と堅く決心しているところ、スーザンが見えていたのに見えない振りをしていたと告白するところ、アスランが皆に話しかけるところ、全部大好きでした。
個人的にですが、この物語でも白眉なシーンなのではないかと思います。

このシーンがもしあったら、もう鳥肌がたって涙…必至ですので、どんなに戦闘シーンが増えていても、見たあと落ち込まなかったかも。


クリスマス原作未読の方で、戦闘シーンがお好きな方だったら、楽しめるのかもしれないのですが・・・
ナルニアは児童文学なんですが、映画として興行成績を上げるために、児童向けに徹しないで、成人や、ゲーム好き、男性、あるタイプのアニメ好きの人向けにも受けを狙って作ったということなんでしょうね。
その辺の狙いは見事的中してる感じです。

でもそこには小さい頃の私がけだるい午後に通いつめた、不思議で幸せで美味しい、あのナルニア国はなく、やけに猛々しい戦闘を繰り返す生き物に満ちた、偽ナルニアがありました。

大規模な軍団やら投石器を使った戦闘シーンや騎馬軍団の突撃シーンはロード・オブ・ザ・リングスの二番煎じのように感じてしまい、新鮮味がなくて、巨額の資金がかかっているのだろうなと思いつつも感動もできず・・・

映画としての出来をどうこう言う前に、まずはそういうところでショックを受けてしまったjesterにとっては、細かい部分を楽しむ余裕がなくて、今後のナルニア・クロニクルの映画化がかなり不安になってきてしまった第2作の鑑賞、初感レビューでございました。


(しかしま、これから4回は劇場で見るでしょうから、jesterのことだし、感想が変わるかも知れませんがねえ・・・・・)
posted by jester at 11:24| Comment(41) | TrackBack(16) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

ノーカントリー NO COUNTRY FOR OLD MEN

country5.jpg

凍てついたノースダコタの一面の雪景色と、荒涼としたテキサスの草原、と舞台は違うとはいえ、コーエン兄弟の「ファーゴ」のセルフリメイクのように感じました。

お金に目がくらみ、人生を狂わせる男たち。
それを醒めた視点で見ている地元の警察官。

「ファーゴ」の味付けがコメディであったのに対し、こちらは「サスペンス」の味付け。

同じ視点から見て、12年経ったアメリカはどう変化しているのか。

コーエン兄弟とはあまり相性が良くないかもと思っているjesterですが、今回の作品はそれにしてはわかりやすかった気がします。
「サスペンス」の作りがしっかりしていて、引き込まれます。

また、丁寧な画面作りは一貫していて、緊張感もあり、作品としての完成度は高く、突き放されたように感じるラストと後味の悪さを差し引いても ☆☆☆3/4 の価値はあったと思います。

でも重すぎて、jesterはまた見たいとは今のところ思いませんけれど。

(ああ〜〜レビューが難しいです。
書いては消し書いては消ししてしまう。)


ところどころに登場する、純朴そうで気のいいアメリカの片田舎の「Old Man」たち。
彼らは、殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)の前に、まるでちっぽけな虫けらのように命をとられていく。

「ファーゴ」ではピーター・ストーメアが演じたグリムスラッドという犯罪者と同じに、シガーも人間の命をとることをなんとも思っていない。
うるさいハエを殺すのと同じ。

そんな犯罪者を追う、「Old Man」の一人がトミー・リー・ジョーンズ。

原題、「NO COUNTRY FOR OLD MEN」はいまや善良なOld Manが住むべき場所はこの国の中にはなくなってきているのだという意味で、この映画のテーマにもなっているといえるでしょう。

コーエン兄弟は「ほら、これが人間の本質の中に存在するものだよ。そしてそれが良心に抑えられることがない人間が、じわじわとウィルスのように増殖しているだろう?」と指摘する。

彼らのように、何も感じずに他人の命を奪えるものは、例えば戦争中なら英雄になれたのかもしれない。

しかしそういう感覚を持ったものが平和な小さな町の片隅にもじわじわと侵入してきているという事実は、こういう形のアルマゲドンもありなのか、なんて思わせます。

他者とのコミュニケーションのなさが、他の人間を人間と知覚せずに危害を加えても、何も感じないことの原因になっているのかもしれません。

何でもパソコンとかテレビゲームのせいにする気はないのですが・・・
それにしても、人間同士のコミュニケーションの不足がこういうものの原因であるとすれば、その一端に、画面を通じてしか人とコミュニケーションをとれなかったり、痛みを伴わず敵を倒すようなゲームを子供のころから好んですることがないとはいえない気がします。

今、現在日本で起こっている犯罪でも似たような感覚を持つ犯人はざらにいますよね。
『誰でもいい、人を殺したかった』『人を殺せと声がした』なんていう動機をニュースで聞くたびに、底知れない恐怖を感じます。

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

先日、神戸児童殺傷事件の親が書いた手記を読んだのですが、ごく普通の家庭環境で、ごく普通に育てたはずの子供でも、まるで悪魔が憑いたように、命を奪っても何も感じないものにそだってしまうことがある。
彼が、逮捕された後も、面会に来た母親に向かって「人間の命もゴキブリの命も同じなんだ」と発言するシーンが恐ろしかったです。

結局どうしてこういう「殺人に無感覚」な人間が育ってしまうのかは、実は親にもわからないのですね。

・・・・と、映画の話とずれてきてしまいましたが、そんな『病んだ現代』(といっても舞台は1980年代ですが)の恐ろしさを見せ付けられた気分がして、見終わったあとはずし〜〜んと重くなりました。


猫殺し屋シガーを演じたハビエル・バルデムは、アカデミー賞の助演男優賞をとりましたが、あれって主演じゃなくて、助演だったの?(爆)
ボンベで至近距離からバス!って死んだ本人も死んだことが判らないような方法も斬新ですごかったけど、なんといってもシガーの存在感が巨大で、確かに得体の知れない不気味さが良く出てました。
「酷い髪型をさせられた」と受賞後のスピーチで文句を言ってましたね。本人も嫌だったんですね、あの髪型。(爆)


リゾートトミー・リー・ジョーンズは、若い頃は信念をもって任務についていたけれど、今は年老いて諦観を持ってきた保安官ベルの役で、ちょっと「逃亡者」の時の刑事が年とったような感じでしたが、彼が主演ということなんでしょうね〜
よろよろしながらも大活躍を最後に見せてくれるのかと思ってましたが・・・・
でも確かに彼のセリフに、いろいろ考えさせられるものがありました。
最後の彼のセリフに救いがあったと見る方もいるみたいですが・・・・、私は救われませんでした。

善良な年寄りが安心して暮らせる国への強い憧憬と希求がテーマにあるのかもしれませんが、それよりも動かしがたい諦観を感じ、カタルシスさえ感じられず、ただ現実の重さがのしかかってきてしまいました。


いろいろ印象的なシーンがありました。
例えば、保安官ベルが、シガーの後を追っていて、シガーの飲み残したミルクを飲むシーンなど。
しかし犯人が飲みかけのミルクを飲んでしまうって、そこにCSI科学捜査班はいないのか?? ・・・という問題じゃないんですけれど。

同じ椅子に座り、ついていないテレビに彼らの影が映りこんでいる画像とか、無機質で冷たい感じがして、とても上手だな〜と思いました。


犬jesterが一番共感したのはルウェリン(ジョシュ・ブローリン)で、まあ臆病なわたくしのことですから、同じ立場になっても、とてもじゃないけどあんなお金を持ち逃げなんかできませんけど、
「早く発信機を窓から投げ捨てて!!」と叫びたくなるし、
「もしあたしだったらお金をどこに隠すだろう」なんて低次元な事をかなり真剣に考えちゃいました。(殴)

どこにでもいそうなおっさん、でも実は「ナム帰りでサバイバル系」というキャスティングが、つい応援したくなるんですね。


コーエン兄弟はアカデミー賞のコメントで「好きなことをやってこれて評価されて嬉しい」みたいなことを言ってましたね。
確かに二人とも、映画作りが好きなんでしょうね。

無駄な音楽を省き、風の音や発信機の音、足音などで緊迫感を守り立てる辺にも彼らの実力を感じました。

jester好みの作品とはいえないけど、それなりにメッセージが伝わってきて、監督は映画作りの愛情があるな〜とは感じました。
posted by jester at 12:59| Comment(12) | TrackBack(8) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

Night at the Museum  ナイト・ミュージアム

ティラノザウルスの骨格が可愛い〜なんて、脅威でした!
コープス・ブライドの骨のワンちゃんみたいに可愛かった黒ハート


th-403.jpg博物館大好きなjester。
どこの国に行っても、博物館で2〜3日つぶしてしまいます。

でも・・・・
ジム・キャリーが苦手で、その流れでベン・スティラーもかなり微妙なもんで、当初はNight at the Museum は見なくてもいいかなと思っておりました・・・・そのうちDVDになったらそれでもいいか、と。
が、こういうのは映画館の大画面で見なくちゃ意味のない映画かなと思い直して見てまいりましたです。


個人的には西部劇やローマのジオラマの小人が動きだすのと、おサルのデクスターがつぼでした。
デクスターが出てくるたびに大笑い。
すごい演技力です、このおサル。

台詞もかなりおかしくて、ベンの
「What's this?? David Copperfield thing?」には爆笑でした。
それとベンの全力疾走。ダッシュ(走り出すさま)
「ルパン」のロマン・デュリスのキンちゃんバシリに勝るとも劣らないコミカルな走りっぷり。ほんと、逃げ足の速いお人です。


ロビン・ウィリアムズは「ジマンジ」以来もうこういう映画ではぶっ飛ぶのがお決まり、って感じですけれど、今回はそれほど爆発してません。パンチ
年老いた将軍の、片思いのウルウル瞳が可愛かったですが。


ぴかぴか(新しい)悪の3人組の親玉、Cecil役のDick Van Dyke、メリー・ポピンズやチキチキ・バンバン以来だけど、年とりました・・・・
でも目つきがいたずらっぽくて、訳アリっぽくて、只者じゃない感じ。
これまで映画ではあまりお目にかからなかったけれど、テレビでは活躍していたようです。
「色っぽくて危険なジジイ」リストに入れときましたハートたち(複数ハート)


無理やり「父の葛藤・子の戸惑い」を入れた辺は安っぽくなったかなとちょっとしらけましたが、ま、コメディとしてはいいんじゃないでしょうか。

ストーリーの穴はほじっても仕方ないですよね、こういう作品では。あせあせ(飛び散る汗)

というか、1週間ぐらい前に見たのもあってよくおぼえてないし・・・(爆)パンチ


たまたま映画館で見たとき、前後と右にアメリカ人(?)のグループとか家族が入っていて、彼らがアメリカ風に大騒ぎ&大笑いして見ていたので、その笑い声にjesterもつられたところがありましたが、頭を空っぽにしてアメリカンジョークで大笑いしたい、というようなときにはいい映画かなと思いました。

posted by jester at 09:04| Comment(4) | TrackBack(1) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

ナイロビの蜂 その3(ネタばれあります)

ところでまたまた邦題に文句ですが・・・
『ナイロビの蜂』はないだろうとおもうのですよね。
原作の翻訳がこの題なので、本を売る関係とかなんとかで、この題になったのでしょうけれど・・・・

The Constant Gardener っていうと、「真面目に途切れなく毎日庭仕事をする人」とでも訳せばいいでしょうか。
Gardenerという単語で日本語に訳そうとすると「庭師」とか「園芸家」になってしまうので、難しいのでしょうね。

ガーデニングとか普段使うし、コンスタントなんかも「彼はコンスタントに打ってきますね〜」なんてニュースで聞くくらい日本語になってるみたいだから、日本語にちょうどいい単語がないのでしょうね。
でも「イングリッシュ・ペイシェント」なんてそのままカタカナにしてたんだから、「コンスタント・ガーデナー」でよいのではないのかな〜と思うのですが。

せめて「誠実な庭師」とか・・・・
・・・なんかサムワイズ・ギャムジーを思い出してしまいますか・・・・あせあせ(飛び散る汗)

ちなみに本日は公式サイトを開いてサントラを聞きながら書いてはおりません・・・・
なぜやめたかというと、家族Bに「その、『ハゲ〜〜ハゲ〜〜』って言う曲、やめて」 とぼそりと言われたからで・・・・たらーっ(汗)


以下ネタばれありですよ〜*********猫


I know all your secrets, I think I understand you now.
(君の秘密は全部知ってる。 今、僕は君を理解したよ。)
とか何とかいって満足してしまうジャスティンなんですが、あのラスト、jesterはちょっと不満です。
そこで戦いをあきらめるな〜!パンチ

死ぬことで話題性を持たせて・・・とジャスティンが考えてあえて湖のほとりに下りたとは思いません。
あれは後追い自殺ですわ。
You want me to come home. But I am home.
(君は僕に家に帰って欲しいと願ってるだろう。でも今僕は家に帰ったんだよ)
なんていってましたもん。(いや、泣けたんだけどさ。)

しかし、甘いですよ・・・もし手紙がローマのおばさんちに着かなかったらどうするんだろ、なんて考えてしまいました。
ナイロビまでもどれば何とかなるかもしれないのに・・・・
妻や自分の仕事に対する喪失感が大きくても、最後まで1歩を踏み出して欲しかったです。
悪代官ビル・ナイにあの手紙をたたきつけてやらんかい!


でも、「シティ・オブ・ゴッド」なんかを見ても、フェルナンド・メイレレス監督ってかなり現実に悲観的な印象を受けるので、彼の作品だったら、ああいう終わり方なのかな、なんて思います。


しかし、今回は脚本が夫婦の愛を強調しすぎてて、詰めが甘くなった嫌いが無きにしも非ず、とも思うのです。
売れ線狙ったね、フェルナンド・メイレレス、という感じ。

もっと彼らしくドライに描いたほうが、かえって切ない味わいが出たのでは・・・などといいつつも、またレイフの寂しげな後姿を見に、映画館に通ってしまいそうなjesterでございます・・・・



そしてまた、蛇足を付け加えますと、いつもいつもなんですが、今回も字幕がひどくなかったですか?(いつも同じようなことを書きますが、黙ってたら変わらないだろうとおもうので、しつこく)

どこかで主語を間違えて(多分heとsheだったかな)訳してました。
(が、どこだったか覚えてないパンチ
またT田N子か?と思ったら、松浦美奈さんとかいう人でした。
この人の字幕、最近時々見かけますが、戸田組の方なんでしょうかね〜


字幕を訳せる人なんかこの世にたくさんいると思うから、あのいい加減な字幕をつけてる人たちに独占させて置かないで、競争させたらいいと思うのです。
日本は競争社会なんじゃから。
そうすればもうちょっとまともな字幕がつくようになると思います。
今みたいに突貫工事の流れ作業じゃなくて、愛と責任を持ってじっくり字幕を訳せるようになると思いますし。


posted by jester at 19:04| Comment(6) | TrackBack(3) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

ナイロビの蜂 その2

頑張ってたくさん書いたら、一瞬で吹き飛んでしまいました・・・

しばらく再起不能でした。たらーっ(汗)

さてと。
気を取り直してもう一度書いてみます。猫

最初にちょっと納得がいかないな、と思うところを書いてしまったのですが、この映画、素晴らしいシーンもたくさんありました。


以下、ネタばれあります****************


テッサは妊娠しても、足場が悪くて治安も最悪なスラムに入り続けます。
周りがみんなで止めているのに。

う〜むむむ、その辺、どうなんですかね・・・ いくら使命感に駆られていても、胎児にとっての母という役割にかけがえはないわけですし。
自分の子供を守れない人が、他人の世話が焼けるのか、なんていったら顰蹙かしら・・・パンチ

そして初産なのに死産・・・ 

これって実はjesterも似たような体験をしているのですが、とてもじゃないけど、他の赤ちゃんにおっぱいをあげるような心の余裕はなかったです。
テッサはすごい強靭な心を持っているということなんでしょうね。
(あそこで、『生まれたのは誰の子?』ってビックリしますよね〜)


病院からの帰りの車で、テッサは、死んでしまった少女の家族を車で送りたがります。
「We can't involve ourselves in their lives, there are millions of people. They all need help.」
(彼らの生活に僕らが巻き込まれることはできないよ。何百万もの人がいる。そしてみんな、助けが必要なんだ)
とかなんとかジャスティンは答えます。
そう、周りに歩いているローカルの人々はみな、長い距離を歩いて移動しているのです。
アジアやアフリカでは、自分の生活をなげうって周りの貧困を助けようとしても、それは火に油を注ぐようなこと。
でもテッサは、
「Yeah, but these are three people that we can help. Please.」
(ええ、でも3人の人がいて、その人たちを私たちは助けることができるのよ。お願い)と食い下がります。
でもジャスティンは彼らを車に乗せません。

しかし、映画のラスト近くで、こんなシーンがあります。
いろいろなことを経たジャスティンは、強盗団に襲われて逃げる途中、UNの飛行機にAbukという少女を乗せようとします。
操縦士に
「Look, there are thousands of them out there. I can't make an exception for this one child.」
(見てください、外には何千もの人間がいます。この一人の子供だけ例外にできません)
といわれて
「Yes, but this is one we can help!」
(ああ、だがこの一人は、僕たちが助けることができるじゃないか!)
と言い返してました。

この二つのシーンが、妻の真実を追ううちに、次第にテッサに同化していくジャスティンを表現してるのでしょうね〜

(ちなみに、このUNの操縦士、「名もなきアフリカの地で」で、オウアを演じたシデーデ・オンユーロさんでした。心優しい料理人のオウアが大好きだったので、うれしかったす)


ロンドンに帰って、テッサの家を訪れたジャスティンは中に入れず、庭にたたずんで、荒れ果てた庭をホウキで片付け始め、窓に取りすがって泣きます。
職業柄感情を表に出さない訓練をしているはずの外交官ジャスティンが、その喪失感と、妻の真実に迫れないジレンマで苦しんでいるシーン・・・
感情移入してしまいましたたらーっ(汗)


というわけで、まだ続くのでした・・・・パンチ

posted by jester at 18:01| Comment(6) | TrackBack(3) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

ナイロビの蜂 その1

レイフ・ファインズのファンだもんで、かなり期待してみてきました。
だって、ハリポタであのおいたわしい、はなぺちゃなお姿を拝見したばかりですから・・・



妻が殺され、その謎を追っていく夫、という展開なのに、哀愁を帯びた音楽といい、かわいたアフリカの風景といい、とても静かな映画でした。
(いま、公式サイトを別窓で開いてずっとテーマ曲を聴きながらこれを書いてます)

日本では『ラブストーリー』を全面に押し出して宣伝してますが、ちょっとちがうと思います。
確かに主人公を突き動かすものは正義感ではなくて妻への愛なんだけれど、そしてそれは謎解きをしているうちに次第に深まっていくのだけれど、ただのラブストーリーじゃないです。
どちらかというとサスペンス映画として作ってあって、『愛』はサブストーリーという感じかな。

しかしなんといってもレイフ・ファインズが好演!
あの湖のほとりに座る後姿がなんともいえません・・・・

1800円払って見る価値のある、いい映画でした。黒ハート


サスペンス仕立てで、アフリカの貧困、そしてそこに漬け込む先進国の企業や政府の役人の腐敗を描いていて、こういうことに関心がない人にはショックを与えてくれるでしょう。

一見リアリティがないような話ながら、結構ああいう話はアフリカやアジアにはごろごろしてます。もっとひどい話もあるかもしれない。

もしそういうことを知らない人がこの映画を見てくれたら、そこから「自分に何ができるかな」と考えることができたらいいと思います。

そう考えると、「ラブストーリーだよん」といって、若いカップルに現実に大人がやってることの怖さを見せるのもいいかも←なんだこのいやみ発言は!猫


根底に流れるのは夫婦の愛で、妻の死の謎を解く夫は、正義感に駆られているわけではないのですが、謎を追ううちに、妻への愛は深まって行きます。


ただjester的には二人が愛をはぐくむ辺がはしょりすぎと感じました。
いい映画といいつつ、この辺はちょっと苦言になります。

見詰め合った瞬間に理由もなく恋に落ちるっていうことがあるのでしょうけれど、それで真実の愛に到達することはめったにない、ってjesterは思ってます。(経験上・・・たらーっ(汗)
だから一目ぼれなんてあんまり信じていません。(不幸せな野郎だ!と思われる方もいるでしょう)

ごく普通の容貌で、ごく普通の環境にいるjesterにとっては、愛って全然違う人間同士が、ぶきっちょに歩み寄り、少しずつ理解しあって深まっていくもんじゃないかな、なんて思うのです。
愛がテーマというと、その辺を期待してしまう。

ま、時間がないからはしょったんでしょうけどね〜

あれじゃ「テッサ、アフリカに行きたくてジャスティンに結婚申し込んだんじゃないの?」と思いますよねえ。
実際ジャスティンだって、従兄弟の息子に来たメールを読むまではいろいろ疑心暗鬼だったし。


というわけで、長くなりそうなので(久しぶりですが)・・・・続きます。
posted by jester at 19:17| Comment(6) | TrackBack(2) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

ニューワールド

ずいぶん前に見たのですが、やっと感想をアップにする気になりました。

始まったばかりの頃に六本木のバージンシネマで見たけれど、小さいスクリーンでしかやってなくて、ちょっとがっかり。


はじめにお断りいたしますが、jesterはコリン・ファレルは昔全然だめでした。
(なんで、コリンファンの方は以下は読まないでください〜〜)



どのぐらいだめかというと、「映画はもちろん、映画雑誌で彼のアップの写真があるとそのページは見ないように心がける」 ぐらいです・・・ぎゃ〜〜ごめんなさい!

だって〜〜 日常生活の記事読むといつも腹立つんだもん、このしと!


でも「アレキサンダー」ぐらいから、熱心なファンの方の語りを聞いて、やっと映画ならなんとか見られるようになって来ました。パンチ(殴パンチ(殴パンチ(殴

面影がジェレミー・アイアンズの若い頃にちょっと似てるかしらって試しに言ってみるけれど、多分誰も同意してくれないでしょう。あせあせ(飛び散る汗)


で、この映画はクリスチャン・ベイルが好きなもんで、彼見たさに出かけたんですね。

あ、あと、フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)も〜〜 えへへ。(年ばれ)


だもんで、綺麗な風景の映像とか原住民の映像とか、『映像詩人テレンス・マリックの映像美』を楽しもうと思いつつ、心のうちでは

(イライライラ・・・・クリスチャン・ベイルはまだか・・・・コリンのアップのスローモーションは早送りしたいかも)
 
などと密かに焦っておりましたパンチ(殴パンチ(殴パンチ(殴


確かに映像は綺麗でした。
でも前作のTHE THIN RED LINEのほうが好きだな、この監督の作品では。
ストーリーは歴史的にもよく知られている話なので、画像を楽しまなくちゃとおもいつつ。

(アメリカを発見した西洋人は嬉しかっただろうなあ。
あんな綺麗な川とか草原とか赤子の手をねじるように簡単に侵略できて。)




でもjesterはあまり浸れず・・・・・

とっても個人的なことなんですけど、音楽がネックでした。


ワグナーとかモーツアルトなんかの有名な曲をクライマックスシーンで何回も使っていたけれど、あれがどうも気になってしまい・・・・

特にモーツアルトのピアノコンチェルト23番第2楽章を4回も使ってたんですよ〜たらーっ(汗)
コリン・ファレルとクオリアンカ・キルヒャーの二人の愛のテーマ(?)として、見つめあうシーンとか、抱き合うシーンなんかで。


jesterはモーツアルトがとっても好きで、よく聞くんです。
だからもうこの曲のイメージが出来上がっちゃってて、それが映像とうまくかみ合わないんです・・・・たらーっ(汗)



有名なクラシックを映画に使うのってリスキーだと思うのです。
素晴らしい曲なほど、見る人はそれなりの思い入れを持ってますよね。

第九を聞いて大晦日を連想したり、「天国と地獄」がかかると走り出したくなる日本人は多いでしょう。
ショパンの例の曲(名前が浮かばない)を聞くと、頭の中で長島一茂が「大田イサン、い〜くすりです」っていっちゃう人もいるし。(爆)
あの曲で胃腸薬を思い浮かべるのってもちろん日本人だけだけれど、あれを映画のシリアスなシーンに使われていたら、日本ではちょっとこけるひともいるかも。


それと同じぐらい、jesterはモーツアルトにはそれぞれの曲に強い思い込みがあるので、ああいう風にBGM的に使われるとがっかりです。
それにあれだけ個性的な曲を4回も使うのって、ちょっと・・・しつこいですよ。1回なら我慢できるけど。(しっかり数えた)


「戦場のピアニスト」「シャイン」「アマデウス」みたいに、映画の中の人物が楽器を弾くシーンで使われるのは問題ないのですけれど・・・・


というわけで、なかなかレビューが書けなかったのでした。
この感想は、かなり個人的に偏ってると思うので・・・

・・・とはいえ、いつもjesterの感想は偏ってると言うのは否定しません、はい。


クリスチャン・ベイルはもうもう、とってもいい人で、包容力ありの素敵な男性で、もっと早く出てきてくれたら、あの違和感モーツアルトにも耐えてもう1回見てもいいんだけどなあ・・・。

posted by jester at 14:36| Comment(14) | TrackBack(3) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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