2008年05月08日

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド THERE WILL BE BLOOD


成功すること。
山を掘り当て、巨額の富を得ること。

怪しげなお告げをして、人心をつかみ、操ること。
教祖として祭り上げられること。

そんな目標を掲げて、ひたすらわが道を歩いた男たち。
そこに人としての幸せはあったのだろうか。

登りつめた頂上から彼らが見たものはなんだったのだろうか。


バイブルではエジプトからのエクソダスで使われる言葉をタイトルに冠したこの映画、その『Blood』は孤独な男の血管を流れる成功を追い求める『血』か、親から子へ伝わる『血』なのか、殺人で流される『血』なのか、大地の血液ともいえる『石油』を比喩しているのか・・・・

真っ黒な石油が、どろどろと大地から沸いてくるシーン、噴出して飛び散り、爆発するシーンが印象的。
ああ、普段使っている石油って、本来こんな風に、まるで神からの贈り物のように、自然に地中にあるものだったんだな。
それなのに、それをめぐって地表に蟻のように群がる人間たちの利権争いが民族を巻き込んだ殺し合いにまで発展するようなものだったんだな・・・といまさらながら気がつかされた。

一角千金のサクセスストーリーのようでいて、実は一人の男の弱さや傲慢さ、競争心や依存心などをも細かく描いていく人間ドラマです。

最後の救いのなさは、やはりアカデミーでノミネート競争した「ノー・カントリー」と似ているかもしれません。

唐突なラストにあっけに取られている内に、エンドロールにかかったブラームスのヴァイオリン・コンチェルトの第三楽章に心を奪われ、途中で席を立つ人に「こら〜〜演奏中に席を立つな〜〜」と勘違いつっこみしてたjesterでしたが・・・(爆)

人間のネガティブな部分を執拗に描くことで監督が伝えたかった事。

そこがどうもjesterには上手く伝わらなかったような感じです。
なので、ドラマとしての面白さはあったのですが、感動には至りませんでした。

映画としては2時間38分、ドラマチックで飽きずにみられましたが、jesterのお好み度は☆☆☆3/4 ぐらいかしら・・・・☆4つには微妙に届かなかった感じです。


あらすじ: 石油ブームに沸く20世紀初頭のカリフォルニア。鉱山労働者のプレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)は、石油が沸く源泉があるという情報を耳にする。息子(ディロン・フリーシャー)とともに石油採掘事業に乗り出したプレインビューは、異様なまでの欲望で富と権力を手にしていく。(シネマトゥデイより)


なんしろ、この演技でダニエル・デイ=ルイスはアカデミー賞を取りましたからね〜
確かにすごい迫力で、アカデミー好みの熱演だったです。(悔し紛れにいってるわけではありませんあせあせ(飛び散る汗)


(****以下、ネタバレあります。未見の方、ご注意ください!****)


息子のH.W.(ディロン・フレイジャー)は、実は最初のほうのシーンで死んだ労働者の子供をダニエルが引き取ったんですよね。

そして、山師ダニエルは商売の成功のために子供がいると集まってきた人々からの信頼が増す、という観点から彼を連れ歩く。
一緒に過ごす時間が長いので、それなりに愛情も涌いてくる。

しかしその愛情も、やはり「自己愛の延長」で、子供っぽい自己中心的なもの。

所詮邪魔になれば切り捨て御免、眠らせるのにウィスキーをミルクに混ぜたり、手話を馬鹿にし侮るような態度も、心無い別れ際のセリフも、成熟した親の大きな愛情とは程遠い。


けれどそんな未熟な親であっても、子供からみればたった一つの愛情です。
すがるようなH.W.の表情が哀れでした。
汽車のなかで置いてきぼりになって、必死で父をおって降りようとするシーン、久しぶりに父と会って嬉しさのあまり泣きながら殴りかかるところを遠くから撮ったシーンが切なかった。


クリスマス「リトル・ミス・サンシャイン」でお兄ちゃんのドゥエーン役だったポール・ダノが二役で、カリスマ牧師、イーライをやってました。こちらも熱意は感じられましたが、カリスマ性ではダニエルにはかないませんね〜
なんか「うむ〜これで村人が狂信的に信じるだろうか?」と思っちゃいました。
やはりカリスマ宗教家にはそれなりの魅力がないと説得力がないです。

しかし、『狂信的になにかを信じること』の恐さは伝わってきました。
あの異常さを、あそこの教会に集まった人たちは異常だと感じていないんですよね。それでせっせと寄付をしている。

同じようなことはインチキ宗教だけでなく、狂信的政治集会や怪しげな信条のグループ、金もうけ主義のスピリチュアルセミナーや詐欺まがいの通販などなど、現代の私たちの周りにもごろごろしていて、そんなものに惑わされ、マインド・コントロールされ、他が見えなくなっている人は結構たくさんいます。

人間の心の弱さ、それを利用して上手く操るもの、信じてひたすら従うもの・・・・

しかしフタを開けてみれば、教祖はイーライのようにインチキだったりするわけです。


イーライとダニエル二人とも究極を行くようで、実は似たもの同士。
対比されて描かれれば描かれるほど、内部の似ている部分が浮き出てくる。
似すぎているから相手の中身が判りすぎてお互いを憎んだのかもしれない。


(ところで、ダニエル・デイ=ルイスがダニエル・プレインビューの役、ポール・ダノがポール/イーライ・サンディ役って、どちらも実名と同じ名前の役をやっていて、すこしばかり面白かった…?)


石油探し→掘り当てる→大金持ち→孤独→狂気→破綻・・・

猫「しかし、君たち、そこまでやっても判らないもんか・・・・?」
猫「いったい何を教わってきたの?」
猫「・・・・なにも教わってこなかったのね」

などとぶつぶつ言いたくなったjesterでございました。

そのあげく、狂気の沙汰から「I'm finished」って、まるで食事を終えたように、自らの終焉を使用人に伝えるダニエルには、憐憫を通り越して、茫然。

やっぱりこの人たちも、間違った場所にかけたはしごを必死で登って、上についてから途方にくれている感じです。

それでも狂いつつも自分なりに答を出したダニエルは、イーライよりましだったといえるのだろうか・・・・・



ちなみに、偽物弟ヘンリーのケヴィン・J・オコナー。
以前どこかの映画で出てたときに、誰かに似てないかとか言う話が何処かで出ましたが、似てません。(きっぱり)
単に奥目で眉毛が薄いってだけですわ。はい。
posted by jester at 10:20| Comment(11) | TrackBack(6) | さ行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

つぐない Atonement その2


「つぐない」のレビュー、前回からの続きです。

劇場で買ったパンフレットが素敵だったんですよ。
表紙が白のエンボス加工で、いかにも乙女心をそそる(爆)華奢なデザイン。
中は写真いっぱいです。(右がパンフレット、左はペーパーバックの原作本です。原作はこの表紙じゃないのもありますが、そっちは少し値段が高いです)

個人的には、キーラの写真を減らして、もうちっとマカヴォイさんのをたくさん使って欲しかった・・・・パンチ
でもタキシード姿で眉根を寄せてないアップがあったので、つい買ってしまいましたが。

それとダンケルクのシーンの見開き写真も素敵です。
あのハンディカメラを使った長回し、壮大な風景やら人物を続けてとっていたのがとっても印象的でした。
まるで自分があの砂浜をさすらっているような幻覚におそわれてくらくらとしました。


そういえば、出だしの屋敷のミニチュアの人形の家と、そこから出てくる動物たちの列が広がるブライオニーの部屋、そして重なるタイプの音、少女の性格や生活を描写しているすごい上手いイントロで、あれも印象的だと思いました。

タイプの音、蜂の羽音、ロビーの母が車をたたく音などがブライオニーの心象と重なり、音楽とからまっていくところも上手だな〜と思いました。


あと、最後のインタビューのシーンのインタビュアー、どこかで見た・・・と思ったら、え? アンソニー・ミンゲラさん? 
エンドロールで確認したらやはり彼でした。
あれが映画に出た最後なんですね・・・
彼の監督した作品は好きだったので、お亡くなりになってとても残念です。


さて、前回のストーリーについての続きです。

この原作には、セリフにならない「心模様」がたくさん盛り込まれているのですが、映画はその原作に忠実につくられているため、説明されていない心模様、演技だけで表現しようとしている精神の動きがたくさんあるんですよ。

その辺、説明的にセリフにされてしまうよりずっといいのですが、原作を読むと味わいが深くなります。

なので、原作読了後にもう一回見に行ってからレビューを書こうかなと思っていたのですが、まだ2回目にいけてません(汗)



****以下、原作、映画の内容には触れてます。未見・未読の方、ご注意ください!****



噴水ドボン事件の背景ですが、まずあの花瓶はとっても大事な家宝だったらしいです。
そのいわれが原作では長々と綴られてます。

そして、花瓶が壊れてしまった時、彼はシャツのボタンをはずし始めるのです。
それをみたセシリアは、彼が破片を取りに噴水に入る気だとわかり、
「こないだはうちに来てはだしになったりしたあげくに・・・もう耐えられない!」 (使用人ぶるのはもうやめてよ!)
と思い込み、か〜〜っとして思わずサンダルを蹴り脱ぎ、洋服を脱いでドボン!と飛び込んだのでした。

(前の記事でも書きましたが、セシリアとレオンとロビーは子供のころからずっと仲の良い親友で、大学に行くまでは身分の差など感じずに楽しく過ごしていたのです。)


それを窓から見ていた夢想家のブライオニーは思います。
「おぼれて、助けられて、その後は結婚の申し込みよね。」
実は彼女が以前(10歳の時)、これをやったんですよね、ロビー相手に。
映画でもそのシーンがありました。
原作ではさらにこの救出劇のあと、ブライオニーが
「I love you」とロビーに告白しています。


さて、手紙のシーンはこうです。

ドボンのとき、いろんなところが濡れて透けて見えてしまい、それが頭から離れない状態で、謝りの手紙を書くロビーの机の上にはGray's Anatomyの本が。

これって、あの話題ドラマではなく、昔に書かれた医学書なんですけど、その1546ページのthe vagina の項目がございました。彼は医学志望の学生ですもんね。
そのページを思いながら書いているうちに、ついついcuntなんて単語をタイプしてしまいました。

この辺も映画ではGray's Anatomyが小道具として使ってあったのかもしれませんが、jesterは気がつきませんでした。
なので、突然のcunt出現はちょっと唐突な感じがしてショックを受けました。

In my dreams I kiss your cunt, your sweet wet cunt.
In my thought I make love to you all day long.

とまあ、こんなことを戯れにうって、その紙はもちろんセシリアに渡すつもりはなく、Gray's Anatomy の1546ページにはさんだ、とロビーは思っておりました。


このcuntやら、2行目の「一日中君とメイク・ラブすることを夢想している」というのを読んで、ブライオニーは生真面目に
「セックスマニア(変質者)だわ!!警察に届けなくちゃ!!」と真剣に思い込むのです。
そのうえ図書室で見てしまったもの・・・
姉を襲うロビーを変質者と思い込んでも仕方ないとjesterには思われます。
それなのに、大人にいっても信じてもらえそうもない、告発したくてもできない苛立ち。

だからのちの事件で自信満々に「わたしのこの目で見ました」といったとき、それが真実と異なるとしても、「変質者を告発しているのだ」という思い、正義を成しているのだという自負がブライオニーの中にあったのではないかと思うんですよね。
もちろん、嫉妬や怒りが綯交ぜになり、自分の中にもあるけれど否定している性への興味やらが根底にあり、混乱してはいたのでしょうけれど。


また、その手紙を読んだ瞬間に、セシリアの心に浮かんだこと。
ちょっと長いけど引用します。

Initially, a simple phrase chased round and round in Cecilia's thought: Of course, of course. How had she not seen it? Everything was explained. The whole day, the weeks before, her childhood. A lifetime. It was clear to her now. Why else take so long to choose a dress, or fight over a vase, or find everything so different, or be unable to leave? What had made her so blind, so obtuse? (p142)

いい加減ですが拙訳してみますと、
「最初に、簡単なフレーズがセシリアの頭の中をぐるぐると廻った。もちろん、もちろんだわ。
なんでいままで気がつかなかったのだろう? 
これで全部判った。
一日中、いいえ、数週間前から、いや子供のころから。
生まれてからずっとだった。今すべてがクリアになった。
なんでドレスを選ぶのにあんなに時間がかかったか、なんで花瓶の事でけんかになったのか、なんですべてが変わってしまったように感じていたのか、なんでこの屋敷を離れがたいと思っていたのか。 
何が彼女を鈍感で盲目にしていたのかが。」

この辺、映画では「ブライオニー、あんたこの手紙を読んだの??」と焦るセシリアがすぐに映ったのでセシリアの気持ちがこんなだったとはっきりとは分からず、jesterは、こんな手紙を読んでセシリアはロビーに対してもっと怒ったんじゃないかしらと思ったけれど、原作を読んで、ああ、あの手紙でセシリアは自分の、そしてロビーの恋心に初めて気がついたのだな〜と思いました。


・・・とまあ、前半部分についてだけでもざっとこんな感じで、原作を読むと、映画では映像だけでしか表現されていなかったものの背景やら、映像にもなっていなかった細かいいろいろな部分がわかるので、jesterのように鈍感なものには、なおさら味わい深くなったわけです。

後半は苦労するロビーの姿ももちろんですが、姉妹二人の深く傷ついた思いが、当時は非常に社会的に低い職業だった看護婦に身を落としてまで、家を出て働き自立する道を選ばせたことをおもうと、セシリアの少しすれた様子、それとは逆に罪悪感を背負い込んだブライオニーのかたくなで暗い表情が切なくてたまりませんでした。



Atonement: A Novel

ま、全部についてこれをやっていると、読書レビューになってしまうし、連載が果てしなく続いてしまうので(爆)、あとの部分にご興味がおありなかたは、原作をお読みになってくださいませね〜(と逃げる)あせあせ(飛び散る汗)

英語は平易で難しい単語はほとんどないけれど、すこぶる美文でリズムがあり、いい英語を読んだという満足感があります。
映画を見たあとならさらに読みやすいと思われます。

(しかし、657円?? アマゾン、安い!
jesterは紀伊国屋で買ったけど997円だったのに〜〜たらーっ(汗)
300円以上も違うってどういうことだ?パンチ

贖罪 上巻 (1)
贖罪 上巻 (1)

邦訳は新潮文庫から出ています。上下巻に分かれているみたいです。

posted by jester at 10:55| Comment(36) | TrackBack(6) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

つぐない Atonement

keira_knightley7.jpg

タイトルの「Atonement」の動詞形「つぐなう」は ATONE だけれど、これは
AT ONE が語源で「ひとつになること、元に戻すこと、和解すること」。


酷い結末になると予測できず、ついやってしまったこと。
ふとした不注意で起こしてしまった事故。
それは私たちが生きている日々でよく遭遇する出来事だ。

悔やんで、悔やんで、「どうしてあの時・・・」と渦巻く思いに、傷口を広げてしまうこともある。

しかしいくら悔やんでも、過去を消すことはできない。


犯した罪の深さに気づき、それを心から悔やんでつぐないたいと願う少女がいた。
贖罪の日々は報われるのか。
壊れた関係を、またひとつに戻すことはできるのだろうか・・・・


☆☆☆☆☆、でございました〜

ラブ・ストーリーのように宣伝されていますが、この映画のテーマは人間の愚かさとそれに伴う切ない胸の痛みだったと思います。

Atonement: A Novel
映画館を出て、その足で本屋によって原作を買い求め、帰りの電車で読みふけり始め、ついに昨晩は半徹夜で読みきってしまいました・・・(ここのコメント欄で「早く工事を進めて〜」と励ましをいただいたおかげもあります)(汗)

映画では語られなかったこと、映像化できない、文字でしか表現できない部分がまた深かったです。
本当は映画を見たあとにレビューを書いてから原作を読むべきだったんですけど、もう読んじまったので、どうしても原作を引き合いに出すレビューになってしまうことをお許しくださいませ。
(確信犯か、自分)パンチ


というわけで、ストーリーについては多分長くなってしまいそうなので、とりあえず俳優さんについて(はい、マカヴォイさんですが)書いておきたいと思います。

映像の美しさ、音楽の美しさ、物語の美しさはもちろんのこと、マカヴォイさんの美しさに、圧倒されてしまいました・・・・

いわゆる『イケメン俳優』としてデビューしたわけではないけれど、顔だちも整っていると思います。けれど、とにかく『表情の作り方』が美しいのです。
真摯に向けるまなざし、苦悩に満ちた顔、怒り、悲しみ、慈しむ表情・・・・
役者だわ!
もう、マカヴォイさんのプロモーションフィルムじゃないかと思えるほど、マカヴォイさんの魅力全開でございます。

最初の庭師姿やタキシード姿もいいけど、汚れまくって痩せこけて、目がぎらぎらしてる兵隊姿がまたこれ、どうしたもんでしょうか・・・やばいでしょう、実際。

ほんとにナルニア国ではフォーンだったとは信じられないですわ〜

そいえば、どこかで「ナルニアで下半身が馬だった俳優」と書いてあって「確かにそうだけどね〜〜」と笑えましたが・・・

(でも、この汚れた兵士姿が誰かを思い起こさせる・・・このワイルドさが・・・・と思って必死で頭脳内検索をかけたら・・・が〜〜〜〜ん!

・・・・ラッセル・・・クロウ・・???
やめてよ自分、そそそそんなはずはないでしょう、と思ってみていると、あれ? また!

というわけで、額から寄せた眉根の辺、さらに落ち窪んだ目にかけてかなあ・・・すんごく痩せたラッセル・クロウの若い頃(「L.A.コンフィデンシャル」からしか見た事がないから、実は若い頃を知らないの。あのときでも33歳だからね、ラッセルは。)に似ているのではと思ってしまった罪深きわたくしをどうぞお許しください・・・・) (別に「下半身が馬」とかでラッセルを思い出したわけではありません。彼の下半身は「暴れん坊将軍」でしょ?)

パンチ    パンチ    パンチ    パンチ    パンチ

すみません、このような格調高い作品を語るのに、非常に次元の低いことを書いてしまいました〜〜(汗)


気を取り直して。


猫キーラ・ナイトレイは・・・
確かに今、旬の女優さんなのかもとは思いましたが・・・

痩せすぎじゃないですか? 硬くて女性的な体の線がないんですよ。
原作ではセシリアは確かに胸が小さいと書いてありますが(爆)、とても母性的な女性なんですよね。
妹の母親代わり的なところがあり、悪夢を見た妹にやさしく語りかけてあげたりするし、親戚の双子まで風呂に入れたりこまごま世話を焼いてやったりする。

でもキーラが演じるとそういう感じがでなくて、化粧は濃いし、タバコはぶかぶか吸うし、何でだかやけにつんけんして表情きついし、どうも良家のお嬢様に見えない・・・・

彼女はボーイッシュでおてんばな、すこし蓮っ葉な役がとっても似合うと思う。
「パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズ」なんかほんとピッタリだったし、「ベッカムに恋して」も合っていた。
「プライドと偏見」もまああれはあれで許せた。
でもこの役は、彼女じゃないほうが良かったと思う。

監督も最初から「キーラはブライオニー役」と思っていたのを、キーラが「私が絶対セシリアをやりたい!」と言い張ってもめた、とパンフレットの中のインタビューでキーラ自身が語っていたけれど、結局キーラの意思が勝ったのね。
でも、jesterにはブライオニーが彼女だったほうが良かったかもしれないと思えます。

原作では、ロビーはセシリアの顔を「長くて、ちょっとhorsey(馬みたいな、不恰好という意味もある)だ」って思ってるって書いてあるんですよ。(まあそれがだんだん綺麗に見えてくるのですが。)

その辺も、キーラは馬顔というよりエラ張り顔(殴)なので、イメージが違うかなと。

(jesterはキーラの顔の下半分が苦手なのでした)


ぴかぴか(新しい)それから、ブライオニー役3人(シアーシャ・ローナン、ローラ・ガモイ、バネッサ・レッドグレーブ)が素晴らしかったです。

atone1.jpg特に、少女ブライオニーのシアーシャ・ローナンの目の美しさは人間離れしてました・・・・

辞書とシサーラス(同意語辞典)が友だちだったという、エキセントリックな空想しがちな少女にピッタリでした。


猫さて、ストーリーについて、すこし原作を踏まえて書きたいと思います。

原作云々で映画を語られるのは興ざめと思われる方は、どうぞ以下は読み飛ばしてくださいませ。



****以下、原作と映画の内容には触れてます。ひどいネタバレはありませんが、未見の方、どうぞご注意ください!****



もし原作を先に読んでから映画をみたら、もしかしたらjesterはがっかりしたかもしれません。

映画は原作に忠実に作られているものの、原作のほうでは圧倒的に情報量が多く(まあ13万語で書かれているのというので、仕方ない部分もありますが)、また三人称で書かれていて、今時の小説には珍しく、ほとんど会話はなくて、心理や考えていることが延々と綴られているんですよ。

なのでこの小説の映画化は、とても難しかったと思います。
何を考えているのか、俳優の表情だけで表現しなくてはいけないから。

だから、例えば私たちはセシリア(キーラ・ナイトレイ)がなんであんなにぷんぷんしてるのか、その表情から読み取らなくちゃいけないのでありました。

ところが原作を読むと判るのですが、あの噴水での出来事の前に、『はだし事件』というのがあるのです。
ロビーが館にやってくるのだけれど、玄関から入ろうとして、床を掃除しているのを見て汚れてもいない靴をぬぎ、その上靴下まで脱いだ、という。

それをみたセシリアは、「『掃除人の息子』をあくまで演じる気ね!」とイライラするのです。

というのは、ケンブリッジに彼らがいた頃、出自について意地の悪い友達に大声で聞かれたりして、ロビーはいろいろ嫌な思いをしていて、また、セシリアが一回はロビーの部屋に遊びに来たものの、その後外であってもにっこりするぐらいで、小さい頃はあんなに仲良かったのに冷たいと感じている。
そして、セシリアが友人に「ほら、あれはうちの使用人の息子よ」って言っているのではないかと疑心暗鬼に陥ったりしていて、だからロビーは屋敷に帰ってきた時に、しなくてもいいのに庭師の仕事をしたりしているのでありました。

それをまたセシリアは「距離を置いている。=自分に冷たい」と感じていたのですね。

しかもセシリアは大学をでてからやることもなく、自分でもよくわからないけれど屋敷を出ることもしないで、ロビーを見るとどうして自分がイライラするのかよくわからないままに過ごしているのでした。


なのであの噴水ドブンにいたり、そして手紙です。


・・・・続きます・・・・(ここでか!!)(殴パンチパンチ






posted by jester at 15:41| Comment(22) | TrackBack(3) | た行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

ジェイン・オースティンの読書会 THE JANE AUSTEN BOOK CLUB 

amy_brenneman11.jpg

実はjesterも今流行のBOOK CLUB なるものに入っていたことがございます。
各メンバーの家を順番に廻りながら、ポットラック・パーティ風に一品持ち寄り、話題は「今回の御題」の1冊の本について。
海外に住んでいた頃なのでメンバーはアメリカ人とヨーロッパ人中心。
とってもインテリジェンスな雰囲気で、楽しかったのですが・・・

語学力の問題で挫折しました・・・・(爆)
(本を読むのはまあいいとして、内容の深いところまで語り合う力がないのでした。いつも笑いつつ皆が話しているのを聞いてるだけになり・・・たまに意見を求められると、持論を話し出すのですが、ちゃんと伝えきれずに欲求不満〜という連続でした・・・)たらーっ(汗)

なので、この映画はたまりませんでした〜ハートたち(複数ハート)

ぴかぴか(新しい)あの本ももう一度読んでみたい、あの映画ももう一度見たい、こっちの本はまだ読んでないから読みたい、Book Clubも開催したい〜などなど、やりたいことのヒントをいっぱいもらってわくわく。

重症活字中毒患者なjesterのお好み度は ☆☆☆☆−でございます。

ジェイン・オースティンを読んでいない人でも楽しいし、読んでいる人はなおさら楽しいです。

(とはいえ、『やっぱり猫が好き』『ブリジッド・ジョーンズ』『セックス&ザ シティ』系統のお話が嫌いな人にはこれほど退屈な話もないかも。)


リゾート ストーリーは、友人たちでジェイン・オースティンの6冊の本を一月に1冊ずつ読み、感想を言い合う『Book club』をやろうということになり、いろんな年齢の女5人と若い男性一人=グリック(ヒュー・ダンシー)が集まります。

その6人を中心に、それぞれの登場人物の関係者たちが、恋の鞘当やら、離婚&復縁、女性同士の恋愛、などなどを繰り広げる様子が描かれます。

女性なら、この中の誰かに感情移入できるかもしれません。(できないかもしれません(爆))


喫茶店 読む本は6冊。

『Sense and Sensibility 』
『Pride and Prejudice 』
『Emma 』
『Mansfield Park 』
『Persuasion 』
『Northanger Abbey 』
(本自体の内容などについては、一番下のほうに書いておきます♪)


ぴかぴか(新しい)なんといってもグリックを演じたヒュー・ダンシーのあどけない笑顔が(33歳のあどけなさ♪)良かったですわ。年上の女性に思いを寄せる若き男性という役どころが『いつか眠りにつく前に』のバディと似てますね。
そういえばこないだ『ラブ&クライム』っていうDVDを見たんですけど、これでも年下の彼氏だったなあ。(この映画では彼はかなりセクシーでした。また別の機会に書きますね。)

「弟は犬と本で育ったの。優しい子なの」って姉に言われるような弟。
この映画の中ではjesterはグリックに一番共感したかも。
アーシュラ・ル・グゥインのSFを読め読めってジョスリンに薦めるところも、ル・グゥイン(『ゲド戦記』の原作者)好きなjesterにはつぼでした。
『The Left Hand of Darkness』を薦めてましたね〜
また読みたくなりました♪

彼にマリア・ベロじゃ年上過ぎじゃないの?と思ったけど、実年齢では8歳違いか。
若く見えるなあ〜この人。
ぴちぴちのサイクリング・ウェアのせい?
マリア・ベロがこの映画では結構年とって見えたからそのせいもあると思うけれど。


ぴかぴか(新しい)『トランス・アメリカ』でその可愛さにやられちゃったケヴィン・ゼガーズ。
今回も楽しみにしてました。
あの時は、意識しないけど漏れ出すフェロモン、という感じでしたけど、今回はフェロモン全開でしたね〜

ちょっと全開すぎてむせたほど。
そういう役柄とはいえ、やりすぎかなあ・・・
とjesterは思いましたです。

今後この路線で売るのかなあ? 
それはやめて欲しいな。



****以下、ネタバレないですけど、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****


ぴかぴか(新しい)オープニングの、日常の困っちゃうシーンが笑えました。
何回お札を入れても戻ってきちゃう自動販売機、よくあります!
切符なんかを買おうとして焦っている時ほどべ〜っとお札が戻るんですよね。
シワもないし破けてないのに〜
偽札じゃないのに〜〜と本人は泣けるけど、傍から見てると笑えるの。
あ、でもスイカが出来て、切符を買うのに焦るっていうことも減りましたけど。

そのほか、高速でチケットが取れなくて、ひ〜〜っと体を伸ばしても駄目で、安全ベルトをはずして・・・
などなど、「あるあるある!」のコミカルなシーンが連続して映され、この辺にも監督さんのセンスの良さを感じます。


猫映画のストーリー全体がジェイン・オースティン風味。
後味が収まりが良くて調和するのも同じかも。
まさに「人生の解毒剤」です。


バスケしか興味のない夫やらヒッピーの母に振り回されるブリーディもおかしかったし、オースティンの「エマ」みたいに人の縁結びばかり気にしているジョスリンもおかしかった。



猫さて、読まれる6冊の本、『人生の解毒剤』ですが。
jesterが読んだことがあるのはそのうちメジャーな3冊だけ。
しかも大昔に読みました。(英語で読んだので、さらに記憶が薄らいでおります・・・)
この3冊は映画やドラマにもなっています。

分別と多感

クリスマスすごい邦題だなあ。(爆)分別ってブンベツゴミ・・・じゃなくて「フンベツ」よね。パンチ

原題は『Sense and Sensibility 』
優しくて思いやりがあり賢いElinor (sense)と感情豊かで自由なMarianne(Sensibility)がそれぞれの恋を経て結婚するまでが書かれています。
Brandonも好きだし、好きな登場人物がいっぱいいます。
しかし英語は読みづらかった記憶が・・・・

いつか晴れた日に

この原作の映画はアン・リーが監督していて、こちらの邦題は『いつか晴れた日に』。
これもすごいぶっとんだ邦題ですね〜(汗)

アン・リー監督の作品ではかなり好きなほう。
しかも出てるのが、エマ・トンプソン、アラン・リックマン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント、トム・ウィルキンソン、イメルダ・スタウントン(ハリポタのUmbridge先生よ〜)と、とても豪華なメンバーでございます。

そうそう、脚本をエマ・トンプソンが書いたのですよね。
アカデミー脚本賞をとってます。

それからBBCで今年、テレビシリーズ化するらしいです。(もう出来たのかな?)これも楽しみ♪




高慢と偏見

クリスマス原題は『Pride and Prejudice 』。
これがオースティンでは一番有名かなと思います。
人気ドラマだったし、最近も映画になったし。

エリザベスとダーシーのすれ違いに気がもめるもめる・・・
会話の巧みさも読み応えがあります。



高慢と偏見

なんといってもこの、コリン・ファースが世にでたテレビシリーズが有名ですよね。

このドラマをやっていた頃、イギリスでは時間になると街から人影が消えたとか。
それほど人気だったのですね〜

始まりの軽快な音楽を聴くだけでわくわくしちゃいます。
個人的には刺繍のタイトルバックも好き。


プライドと偏見

キーラ・ナイトレイが主人公になって映画にもなってます。
jesterはテレビのシリーズが好きだったので、映画はどうかな〜 キーラだし〜と思ってみたのですが、結構良かったです。

エリザベスとダーシーの階級にどれだけ差があるのか、なんていうところは、映画のほうがよくわかりました。

ただしなんといっても、エリザベスはジェニファー・エイルでなくては。
原作のイメージと比べても、ジェニファー・エイルのほうがあっていると思います。



マンスフィールド・パーク
マンスフィールド・パーク
クリスマス原題は『Mansfield Park 』。
jester未読です。

他のオースティンの作品と比べると、ヒロインは地味らしい。
一種のシンデレラストーリーかな・・・?




マンスフィールド・パーク

BBCでドラマになってるんですね〜
これも見たいな♪




エマ (上) (ちくま文庫)
エマ
クリスマス原題は『Emma 』

お嬢様のエマが縁結びしようと奔走する話。
軽い感じのコメディです。
わりとすらすら読めたかな。

『ジェイン・オースティンの読書会」のジョスリンが重なって見えます。


エマ
エマ
映画ではグウィネス・パルトロウが知識先行型で突っ走るエマをキュートに演じてました。着せ替え人形のようにとっかえひっかえのドレスも可愛かった。

ユアン・マクレガーがプレーボーイをやっていて、「ムーラン・ルージュ」ほどじゃないけど歌も歌ってます。



説得

クリスマス原題は『Persuasion 』
ジェイン・オースティンが死んだ後に出版された作品のひとつ。
岩波文庫では『説き伏せられて』という邦題で出ています。

オースティン晩年の作品だけあって、落ち着いた雰囲気ということですが、jesterは未読です。

周囲に反対され、8年前に分かれた恋人と再会したら、恋人は立派な人になっていた・・・・といった話らしい。

これもBBCでドラマ化したらしいです。


イルマーレ
この映画で、サンドラ・ブロック演じるケイトがお父さんからもらった「Persuasion 」を大事にしていて、それを駅に忘れ・・・・
という感じで重要な小道具になってました。

「イルマーレ」を見たあとに「Persuasion」読みたいな〜と思ったのを思い出しました。



ノーサンガー・アベイ
ノーサンガー・アベイ
クリスマス原題は『Northanger Abbey 』
jester未読ですが、ずっとNorthangerにある修道院で起きた出来事の本なんだろうと思ってました。(爆)
Abbeyって修道院だけじゃなくて邸宅(もと修道院だった?)のこともいうんですね〜
ひとつ勉強になりました。
(そういえば、字幕でも『ノーサンガー寺院』とかなってませんでした・・・・?)

しかしAbbeyって、アベイって読むのですか? アビィじゃないの??
それとも訛りかな?


これは映画化されていないみたいですね。



とまあ、読み返したい本、読みたい本、もう一回みたい映画やドラマが仰山ですわ。

ゆっくり楽しみたいと思ってます♪

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2008年04月19日

フィクサー MICHAEL CLAYTON

告白しちゃいますと、むか〜〜し、ジョージ・クルーニーがいいなと思ってた時期がありました。

厳密に言うとジョージが良いというより、というよりERにでてくるアウトロー風味の小児科医、『ダグ』のキャラクターが好きだったのですけど。

その後、ジョージ・クルーニーは人気が沸騰し、『アメリカ女性が診察してほしい医者トップ1』(小児科医だってば)(爆)に輝いたりして、数々の映画に出ましたが、jester的にはそれほど印象に残ったものはなく・・・
特に『オーシャンズ・シリーズ』は駄目だったんですよね・・・わたくし。
(最初の11はまあ良かったけど、12はつまんなくて・・・13は見てません。)

で、この映画はどうだったかというと、いろいろな意味で彼にはフィットした役だったのではないかと思いました。

Law Firmとか会社の法務部とかに興味があるので、その辺のむなしさとかが描かれている部分は個人的には面白かったです。

jesterのお好み度、☆☆☆−でした。

ところで、『フィクサー』という邦題ですが、ジョージ・クルーニーの敏腕フィクサー振りが見られるのかというと、そんなことはなく、ある『MICHAEL CLAYTON』(原題)といううだつのあがらぬ雑用弁護士が、自分の意思に反して、事件に巻き込まれる様子が描かれている映画です。
相変わらず邦題のつけ方がヘタクソだし、「配給会社の人たち、ちゃんと映画見たのか?」という宣伝でしたね。


****以下、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****

クリスマス   クリスマス   クリスマス   クリスマス 


Fixerというのはfixする人、修理工のことですが、転じて尻拭い屋、黒幕というような意味も持ち、弁護士に使われる場合はかなり蔑称というか、馬鹿にしたような意味合いを持つとjesterは思うのですが、クルーニー演じるFixerは確かに『雑役弁護士』で、600人もの弁護士が働く巨大Law Firmでもどちらかといえば、『窓際族』。

「こんな雑務より法廷弁護士をやりたい。オレは敏腕だったじゃないか」とボスにいっても、
「ああ・・・だが君よりもっと敏腕なのがいっぱいいるのでネ」とにべもなく却下され、私生活ではセカンドインカムにとはじめた飲食店がうまくいかずに、それで出来た借金で首が廻らず、ぴかぴかの車は実は会社のリース。
離婚した妻との間に出来た子供を大切にしているけれど、賭けポーカーから脚をなかなか洗えず、借金はどんどん増え・・・

とまあ、八方塞の毎日。

同じ弁護士事務所のトップであり、ある大企業に対する集団薬害訴訟の被告側弁護をしているアーサー(トム・ウィルキンソン)がおかしくなったので見てきてくれや、といわれていってみると、アーサーは
「もうこんな生活は嫌だ! こんな訴訟の弁護はくそだ!
悪いのは企業のほうなんだから、これからは原告側の見方をするんだ! なんしろ可愛いアナがいるんだから!!!」
などとほざいて洋服を脱ぎ始めたりしておりまして、なんとかなだめようとするマイケル(クルーニー)ですが・・・・

という展開でございます。


マイケルが決してヒーローではなく、大企業の歯車のひとつとして正義感なんかとうの昔にどこへやら、とりあえず仕事をしてお金をもらえれば良いや、という現代のサラリーマンの悲哀をいっぱいに抱えたよれよれ男なんですね。

それがどうもジョージ・クルーニーにぴったり・・・とかいったらファンの方には怒られそうですが、なんとなくアウトローっぽい(といっても文字通りマイケルは in law なんだけど)主流から外れちゃった雰囲気が似合っていたと感じました。(ほめてるつもり・・・)あせあせ(飛び散る汗)

『ディボース・ショウ』の時も思ったけど、クルーニーって『やり手の弁護士』が似合わない(殴)と思うし、ついでに言ったら『CIA職員』『正義感にあふれるジャーナリスト』とかもなんかうそ臭い気がしてしまいます。
彼はどこか外れたところがある感じの役が良いんじゃないかと思うんですよ。
作品的にはjesterは嫌いでした(だってホラーだもん)が、『From Dusk Till Dawn』の悪役って、見た当時は「ダグが!」と思ったけど、今考えると結構彼に似合っていたと思います。


犬トム・ウィルキンソンは『バットマン・ビギンズ』の、ゴッサム・シティのフィクサー(黒幕)の演技が印象的でしたが、今回の『いっちゃった弁護士アーサー』の演技もリアルで良かったです。
フランスパンを腕いっぱいに抱えてダウンタウンをふらふら歩いている姿が幸せそうでした。
アーサーは精神を病んで初めて、やりがいのある仕事を自ら始めたのですね。

それも悲しいですが。


猫ティルダ・スウィントンはこの映画でアカデミー助演女優賞を取りましたが、カレンという、法務部長まで登りつめたキャリアながらも、鏡の前で何回も一人でリハーサルを繰り返し、冷や汗をかき、トイレでは吐き、という弱さを隠し持った女性を好演してました。

カレンも多分ロースクールを出ている弁護士で、強面に企業のフィクサーとして法務部長をしているけれど、自分の中の正の部分が捨てきれず、それが己の心を責めさいなんで、身体症状としてでてしまうのが、また悲しい。

あそこに昇りたい!とハシゴをかけ、必死に努力して登りつめてみたら、違うところにハシゴをかけてたと気づく
でももうここまで来たら降りられない・・・
いやいや、そう思い込んでるだけで本当は降りられるのにね
アーサーみたいにならないと降りられないなんて。
哀れなエリートたち。

しかし・・・アカデミーの助演女優というと、もっと派手な演技の人がもらうという印象があったので、思っていたより静かな演技だったと感じました。



だ〜〜れも幸せな人がでてこない映画なので、最後だけは北米での興行成績を上げるためにもハリウッド的に仕上げてみたのでしょうか?

まあ最近年のせいか、後味ワリイ映画が苦手になってきて、「映画見てるときぐらい、夢見させて〜騙して〜」状態のjesterなので、それはそれでよかったのですけれど。


ただし作りがちょっと不親切だったかなと思います。

最初にアーサーのわけのわからん独白が流れ、トイレでハッとわきの下に手をやって「この制汗剤、全然効かないじゃないの!」(勘違い)
と焦ってるカレンやら、広東語が流れる怪しげな倉庫内の賭けポーカー場が次々映るので、
「う〜〜む、これはきっと全部大切な伏線なのだろうなあ」と必死でおぼえていると、その後の『4日前』で始まる話でなかなかほぐれていかないんですの。

最後にはあ〜〜そうだったのね、と思わせてくれるけれど、中盤は「あの最初のシーンにどうつながるのだろう」とfixしようとして疲れてくることも確かです。

すっぱり最初の部分を忘れ去って、『4日前』から見たほうがかえって映画を楽しめたりして。


それとね、アーサーにはあれほど巧妙に攻撃したやつらが、マイケルにはいくら焦っていたとはいえ、ドカン!かい??
というのがどうも腑に落ちなかったjesterでございます。
posted by jester at 21:07| Comment(6) | TrackBack(3) | は行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

モンゴル Mongol

白樺に夕日が沈む、豊かな草原。地を這うように流れる、男性の重低音のホーミー(喉歌)。

この出だしですでにやられました〜〜

アカデミー賞外国語賞にノミネートされなかったら日本公開も危ぶまれただろう映画ですが、劇場公開してくれて良かった!
あの雄大な風景を大きな画面でみられ、別世界へいざなうようなダイナミックなホーミーをいい音響で聞けたのが本当にラッキーに思えます。

jesterのお好み度、☆☆☆☆−でした。

最初に「1192年、壬(みずのえ)の年」(?『癸子の年』だったか?)ってテロップが出たときは、
「いい国作ろう鎌倉幕府?? もしかしてチンギス・ハーン=義経説・・?」(爆)なんて思いましたよ。

「だから浅野忠信が主役に抜擢されたのか〜」(違パンチ(殴



最近、どうもフィクション映画が辛い時があります。

特に心理描写なんかをよほど上手く作ってくれないとどうしても作り物に見えて(ま、作り物だけど)見ていてしらけちゃうことが多いのだけれど、丁寧に作られた歴史物(これがノンフィクションといえるかといえば怪しいのだが)は良いです。ひたれます。

その上画像作りがこのぐらい芸術的だと、うれしい。
厳しい冬、劇的な雷、横たわる川面に輝く細波など、モンゴル平原の美しさはもちろん、モンゴル民族の乗馬姿やパオ、シルクロードの西の国である西夏の衣装や風俗など、細かいところにこだわった撮影です。

ジャリの砂漠をひとり歩く西夏の僧侶の衣の赤さが印象的に目に残っています。
空から撮った鳥瞰図の合戦シーンはちょっと『アレキサンダー』のガウガメラの戦いのようでした。
(血しぶきどば!の接近戦シーンは目をつぶってましたが・・・でも『300』よりこっちのほうが作品的には好きです。)

部下をおもんばかり、その家族を見捨てず、当時は地位の低かった女性を大切にし、建国の強い意志をもつリーダーが、ばらばらだった遊牧民を纏め上げ、中央ユーラシアから東は中国、西はイランまでに及ぶモンゴル帝国を作りあげる。

その男の数奇な運命を、過酷な生い立ちから描いていきます。

どうもポドロフ監督は3部作を目論んでいるらしいのですが、生い立ちから青年期にかけての人生が丁寧に撮られているのに対して、後半はすごい駆け足になって最後は『ちょっと待ってくれ』状態でした。

jester的には、あそこまで急がずに切りのいいところで「続く」にしても良かったような気がして☆一個マイナスしますが、合戦シーンを入れなかったらやっぱり他の観客は怒ったかもしれませんねえ・・・・・

3部作といっても、この映画の興行成績如何では作れないかもしれないのだし。


演技で印象的だったのは、スン・ホンレイ演じるジャムカ。
主人公、テムジン(浅野忠信)の盟友であり、好敵手でもある男。

『初恋の来た道』の息子役はまあいいとしても、『セブンソード』では女の背中に噛み付く変態ハゲオヤジ(殴)でしたが、でもあの時も敵役としてすごい存在感があったんですよね。

今回はさらにパワーアップして、すごいオーラがじりじり出てます。
画面に出てくると釘付けです。

もともと浅野忠行はテムジンの役ではなかったとかなんとか、アカデミー賞の時のインタビューでしゃべっているのを聞いた覚えがあるのですが、もしジャムカの役を彼がやることになっていたのだとしたら、残念ながら迫力では勝てなかったとおもわれます。

倒れているテムジンの横に横たわり、ジャムカがさかさまから顔を寄せていくところで「おお!これは『マイ・ブルベリーナイツ』のキスシーンの再現か??」なんて喜んでいたのは私だけ・・・ですね。あせあせ(飛び散る汗)はい。


また、テムジンの妻、ボルテ役のクーラン・チュランも良かった。

少女役から替わってでてきた時は、う〜むむむ、とうなってしまった平面的な顔だちで、細いつり目のオリエンタル顔。

でもすんごく綺麗に見えてくるのです!

昔海外に住んでいたころ、白人のおばちゃんが、めちゃくちゃモンゴロイド系のわが娘をみると両腕を広げ、「なんて可愛いの!!」と叫んでぎゅう〜!とハグしたりチューしたりしてたんですよ。

同じ黄色人種でも、オメメぱっちりで鼻が高い、いわゆる「バター顔」のお嬢様たちよりずっと評価されてましたね。

そのため、娘は中学2年になって日本に帰国するまで、親が再三誤解を解こうとしたにもかかわらず、「自分は可愛いのかもしれない?」と認識したまま年をとってしまい、帰国して事実を確認後のショックが・・・ああ・・れみぜらぶる、という悲劇が我が家にはございました。(涙たらーっ(汗)

しかし今回、あの時の白人のおばちゃんたちの気持ちが、よお〜〜く分かりました。
モンゴロイドの血を引継ぎしわれらは、平面的でつり目な顔だちに誇りを持っていいのだわ!なんて妙な自信がつきました。←(汗)

はいはいはい、もちろん、ただ平面的でつり目ならいいってもんじゃないですよね。
ボルテのように強いプライドと意志が顔に表れてないと駄目なのでした。(反省)

とにかくそれほど、彼女は美しく見えましたです。


『嫁は顔が平ら、目は小さいのを選べ。目が大きいと、悪魔が入り込みやすく、いらぬものを見る。それから脚の強い女を選べ。』

モンゴルの『嫁さん選び基準』はちょっと『小さい目族』のjesterには嬉しかったりして。

しかも「敵にさらわれて陵辱を受けたからには死を持って・・・」なんて某大和民族のように狭量&ヒステリックにならず、敵の子供であっても妻の腹に宿ったら「オレの子だ」というきっぱりとしたモンゴル気質には惚れましたわ〜
さすがは大陸の男と女でございます。
「男の映画」かと思っていたけれど、女性もしっかり活躍していたのが嬉しかった。


ぴかぴか(新しい)それと「金の耳輪をした商人」のYing Baiさん。
中国や台湾、香港映画ではおなじみの顔ですが、バスの転がすような声が魅力的。
もっと出番があってもよかったのに〜


猫しかしこの三人と浅野忠信以外は、本当に皆様、朝青龍顔でございまして、最初のうちなかなか見分けがつかなくて苦労しました・・・・

それと、モンゴル力士の相撲の強さの秘密もわかった気がします。
同じDNAを持っていても、肉食で、放牧生活をして乗馬で鍛えて育つと、あんなにたくましい肉体になるのですね〜


犬さて、浅野忠信ですが・・・・

jesterは彼の演技をちゃんと見たのは初めてでした。
それまではjesterの周りの人が 「ボロミアに似たやつ」 (あ、逆でした、ショーン・ビーン@ボロミアが「浅野忠信に似たヤツ」とよく言われてました)というのを聞いたぐらいで。

復讐とかに燃えずに、淡々としている英雄チンギス・ハーンという点ではポイントが高いのかもしれません。
しかしどうもjesterには、カリスマ性が少々足りない気がしました。

もともと、鍛え上げたモンゴルの俳優さんの中に入ると、どうしても彼の体はひ弱にみえ、また顔が柔和で垂れ目なもんだから、汚れてても野性味がなくて都会的な感じなんですよね。
乗馬も練習したのでしょうけれど、やはりモンゴルの人と比べると上体の芯がぐらついてるのが残念。
よろよろ逃げ惑うシーンでは「泣くなよ!」といいたくなる時も時々ありました。

スン・ホンレイがぎらぎら「動」してるもんだから、なおさら彼が「静」に見えすぎてしまって、一大帝国を築くにはちょっと力不足ではないかしらん、なんて思いました。

なにしろ、チンギス・ハーンといえば、世界中でもっとも子孫を多く残したと、オクスフォード大学の遺伝学研究チームが発表した男。
彼のY染色体を引き継いでいるものは現在世界に1600万人いるといわれてますからねえ〜


やはりそれなりのフェロモンをだしていただかないと。パンチ


それにしても、ただ一人モンゴル人や中国人やロシア人のキャスト&スタッフに囲まれて長い時間仕事をして、その苦労は想像できないほどなのに、この人みたいな顔にならないのはえらいっす。(爆) 
右斜め下

中国魅録―「鬼が来た!」撮影日記

このご本の表紙の般若のごとき香川照之氏と比べると、インタビュー時の浅野氏は悟りきった仏様のような顔にみえましたわ〜(爆)


まあ、浅野忠信が出演したからこそ日本での公開があり、彼目当てに見に行く人もいるだろうから、そういう意味では商品価値があるのだとおもいます。


ストーリー的には最初に書いたように少し最後をはしょりすぎだったし、英雄が神頼みすぎな気もしましたが、最後までぐいぐいとひっぱる脚本でございました。


しかし、たとえば「義経」の映画で「義経」を日本人じゃない人が片言の日本語でやったらどうなんだろう・・・・。

う〜む、個人的には、トニー・レオンなら許すが。(強制終了!)






posted by jester at 20:01| Comment(14) | TrackBack(9) | ま行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

悲しみが乾くまで THINGS WE LOST IN THE FIRE

『愛するものとの離別・喪失と絶望、そしてそこからの再生』は、人間が生きていく時、誰でも多かれ少なかれ経験し、乗り越えなければならないことのひとつであり、だからこそ文学や映画や音楽など芸術の永遠のテーマになる。

けれどそれゆえに、安っぽいメロドラマのインスタント味付けにはもってこいだし、J・ブラッカイマーやD・クーンツなどなどが使い古しのテーマに深みが出せるかもとしょっちゅう引っ張り出すもんだから、お茶の間では「ああ〜またね」とすっかりおなじみの、よって何の感慨も引き起こさないものになりがち。


スザンネ・ビアは一貫して、このテーマを地味に、地道に、正面から掘り下げている監督です。
幸せの情景が崩壊していく過程、その後の荒廃、そしてそこに希望の光が少しずつ射す様子を、小さな心の揺れを逃さずに丹念に撮っていくのがその手法。

『アフター・ウエディング』でアカデミーのスポットを浴びたためか、このたびデンマークからハリウッドに移って撮った一作目。
これは、先日見た『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のウォン・カーウァイと同じパターンです。

なのでまたまたjesterは、「ハリウッドで大丈夫なのか、スザンネ?」あせあせ(飛び散る汗)と心配しつつ映画館へ参りましたが、スザンネもアメリカに行っても、ちゃんとスザンネしてました♪

目や顔の一部のドアップ手法も『アフター・ウエディング』ほどじゃないけど、健在です。

☆☆☆☆でございました。


ストーリーは、愛する夫、ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)と2人の子どもに恵まれ、幸せだったオードリー(ハル・ベリー)が、夫を事件で突然失うところから始まります。
葬儀の日、オードリーはずっと憎んで遠ざけていた夫の親友、ジェリー(ベニチオ・デル・トロ)を呼び、ヘロイン中毒のジェリーは唯一の誠実な親友の死に、ふらふらしながらも駆けつける・・・・・という展開です。
出だしの設定は『ある愛の風景』にちょっと似ていますけど、こちらは反戦などのメッセージはありません。

愛するものの喪失と再生というテーマにくわえ、例えば麻薬売買の実態とその告発を描いた『アメリカン・ギャングスター』ではあまり伝わってこなかった、麻薬自体の恐ろしさ、麻薬中毒者が立ち直ることの難しさも描かれ、ドラッグというアメリカの病んだ部分が浮き彫りになってきます。


fire3.jpg とにかく、ベニチオ・デル・トロがいいのです!

酔いつぶれたところをひき逃げにもあって、水溜りで寝ていたせいであちこちふやけてしまった翌朝の古谷一行パンチ、という汚れ方でございますが、見ているうちに、本当に上手い役者だな〜と思ってきました。

抑えた繊細な演技を貫き、見せ所でもオーバーアクティングにならないぎりぎりの熱演をしています。

ヘロインでよれよれになっていても、元弁護士というインテリジェンスを感じさせるユーモアを失っていないジェリー。

そういえばデル・トロって両親もおじいちゃんも叔父さんも弁護士で、自分も弁護士を目指して勉強してたんでしたっけね。
俳優になってなかったら、さぞかし辣腕弁護士になっていたことでしょう。

『ユージュアル・サスペクツ』で見たときはすぐに死んじゃったし、あまり印象に残らなかったのですが、その後いろんな映画でちょくちょく見るようになり、振り返ってみると『インディアン・ランナー』なんかにも出てたし、どの映画でもいい演技をしているのだけれど、強烈なキャラなのでキワモノ的扱いもあったりしたような彼なんですが、これは『21g』とならんで、彼の最近の代表作といっていい映画ではないかと思いました。

最初のうちは
「どこの筋肉を動かすとほっぺたのあそこがあんなふうに変形するのだろう?」
なんていうしょうもないことばかり気になってましたが(殴)、次第に彼の演技に引き込まれてしまいました。
駄目男なんだけど、『可愛げ』がだだもれ。
ああ〜やばい。あせあせ(飛び散る汗)
(『ブルーベリー・ナイツ』で発症したジュード・ロウ熱は『スルース』を見たらあっさり醒めたのですが・・・)

しょっぱなからやつれ果てて登場し、もしかしてこれからだんだんに美しくなっていくのだろうかと期待したハル・ベリーは、最後までそれほど綺麗にならなかった(しかも過去の幸せな回想シーンでも不吉に暗い)(爆)のに対し、彼は見事に変化するんですね〜 うっふっふ。パンチ

しあわせな孤独

もともと、マッツ・ミケルセンがでているからと見た『しあわせな孤独(Open heart)』がスザンネ・ビア監督の作品の初鑑賞だったのですが、男性俳優を撮るのが上手だな〜と思いました。
女性監督ならではなのか「男の弱さと強さを演じられる俳優」を使いこなしておりまする。


犬それと、善き隣人であるハワードを演じたジョン・キャロル・リンチですが、どこかで見たと思ったら『ゾディアック』の第一容疑者でしたわ〜 
あの時は善良そうな表面がかえって恐かったのですが、今回は、ジェリーにとってもオードリー一家にとっても、信頼の置けるいい男の役でした。
それにしては、自分の妻に対しては「長年連れ添ってマンネリ化したので離婚する」なんてことをぼやいてる中年男でございます。


雪子役が今回も可愛いです!
息子のドリーは、エンドロールを見てたらMicah Berry と書いてあったので、「え??ハル・ベリーの子供??」と思ったのですが、かえってネットで調べてみたけど、違うみたい。
ワザワザ彼の名前の後に(no relation)って書いてる記事もあったし。
しかしくりくりのカールヘアがなんとも可愛い子でした。



****以下、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****



中毒になってもたった一人そばにいてくれた親友ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)の死に奮起し、なんとかジャンキーから立ち直ろうとするジェリー。
ブライアンがまたこれ、非の打ち所のないいいやつなんですよね。少々優等生過ぎるのが玉に瑕ですが、その辺を玉に傷だらけのジェリーがうまくカバーしてます。


猫しかしオードリーは、夫の死がショックだとしても、その行動があまりに考えなさすぎ、と感じました。

長年飼っていた猫が死んで、悲しくて寂しくて眠れない。
町にいた怪我してるノラをひろってきて、
「枕元で一緒に寝てくれない? そんでゴロゴロ喉を鳴らして欲しいの。前足の肉球はほれこのようにこの辺に置いて、時々鼻先の冷たいのをチュッとして・・・」
などとベッドにつれこんだくせに、そのノラが怪我も少し治り安心して、飼い猫の残したおもちゃにじゃれていたら、
「あんたがあのコの替わりになろうなんて100年早いワイ!!」と突然家の外に惨くもほおりだすなんて・・酷すぎ。(違うって)

車の中で盗られたと思っていた60ドルを見つけ、夫の親友だし、と招きいれたまではよかったけれど、
「ヘロインをやったらどんな気分? 私もやってみたい」なんて中毒症状に苦しんでいるジェリーに言うなんて、ND(『人間としてどうよ』)ですわ、まったく。パンチパンチ

大体二人の子の母親であるのに、子供たちのほうが気を使っちゃってて、親としての自覚はあるのか?と問いたいです。

そこまで絶望が深いといいたいのでしょうかね。
まあそういうことにしておきましょう。
彼女は彼女なりに努力はしてましたし。

そういう不完全な人間たちが集まって、助け合って、苦しく辛い人生の峠をなんとか乗り越えていく、というのがテーマなんでしょうね。


しかし、ハル・ベリーの撮り方はどうなんでしょうか・・・。
意識してモノトーンで撮ったのだろうとはいえ、不幸な中の輝きとか自分を取り戻す過程の美しさなどが感じられず・・・
幸福な時をフラッシュバックするシーンでも「病気か?」という頬のこけ方。
スザンネ・ビア監督お得意のドアップでも、彼女の目の落ち窪みが深く、まるで老人の目のようだわ〜と思いました。

もともと絶叫型女優というか、ニュートラルな時の繊細なゆれなんかが乏しいし、最近「X-MEN」、「Cat woman」とか「パーフェクト・ストレンジャー」など、作品に恵まれてない感じがある彼女ですが、「チョコレート(Monster's Ball )」から6年ほどしかたっていないのに、あのときと同じような立場の役柄でも、乾ききってしまって、輝きにかげりがでてきたような気がしたのでした。


それと、ジェリーの『麻薬中毒を直すグループヒーリングの会』(?)での友だち、ケリー(アリソン・ローマン)が、家族の食事に招かれて、亡き夫について細かいことをあれこれ質問するシーンがあったのですが、あれってそうやって話すことで、忘れたいと思っていた現実を直視するような『ヒーリングの手法の一種』なのでしょうか。
彼女も喪失から立ち直った人なので、わざとしたのかとも思いましたが、まだ絶望の痛みと戦っている人に対して、それほど親しくもない人がああいうふうな事を聞くのは、とても無神経な気がしてどきどきしたのですが・・・



ぴかぴか(新しい)切ないグスタボ・サンタオラージャのギターが胸にしみます。
音に疎いjester(汗)ですが、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で学習したので、今回はすばやく彼の音を聞きつけました。
アコースティックなギターの音色にしょっぱなのプールの父子のシーンからひたってしまったjesterであります。


猫ラストの持っていきかたが、かなりハリウッド的というか、明るい展望がある、後味の良いものになっているのですが、jester的にはまああれでもよろしいかと。

特に現実に疲れたときなどに見るには、このぐらいのほどほどなハッピーエンドが、マイルドトランクライザーのように心に沁みてくる心地が致します。

「Accept the good」な気分になれました。

これから、どんなテーマでどんな映画を撮るのか、楽しみなスザンネ・ビア監督です♪

(しかしいつもながら、邦題のセンスはどうなの? 「THINGS WE LOST IN THE FIRE」 が作品の中で持っている意味と、「悲しみが乾くまで」の重さの違いを、日本のスタッフはちゃんと感じているのだろうか・・・・?)
posted by jester at 13:22| Comment(33) | TrackBack(8) | か行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

ノーカントリー NO COUNTRY FOR OLD MEN

country5.jpg

凍てついたノースダコタの一面の雪景色と、荒涼としたテキサスの草原、と舞台は違うとはいえ、コーエン兄弟の「ファーゴ」のセルフリメイクのように感じました。

お金に目がくらみ、人生を狂わせる男たち。
それを醒めた視点で見ている地元の警察官。

「ファーゴ」の味付けがコメディであったのに対し、こちらは「サスペンス」の味付け。

同じ視点から見て、12年経ったアメリカはどう変化しているのか。

コーエン兄弟とはあまり相性が良くないかもと思っているjesterですが、今回の作品はそれにしてはわかりやすかった気がします。
「サスペンス」の作りがしっかりしていて、引き込まれます。

また、丁寧な画面作りは一貫していて、緊張感もあり、作品としての完成度は高く、突き放されたように感じるラストと後味の悪さを差し引いても ☆☆☆3/4 の価値はあったと思います。

でも重すぎて、jesterはまた見たいとは今のところ思いませんけれど。

(ああ〜〜レビューが難しいです。
書いては消し書いては消ししてしまう。)


ところどころに登場する、純朴そうで気のいいアメリカの片田舎の「Old Man」たち。
彼らは、殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)の前に、まるでちっぽけな虫けらのように命をとられていく。

「ファーゴ」ではピーター・ストーメアが演じたグリムスラッドという犯罪者と同じに、シガーも人間の命をとることをなんとも思っていない。
うるさいハエを殺すのと同じ。

そんな犯罪者を追う、「Old Man」の一人がトミー・リー・ジョーンズ。

原題、「NO COUNTRY FOR OLD MEN」はいまや善良なOld Manが住むべき場所はこの国の中にはなくなってきているのだという意味で、この映画のテーマにもなっているといえるでしょう。

コーエン兄弟は「ほら、これが人間の本質の中に存在するものだよ。そしてそれが良心に抑えられることがない人間が、じわじわとウィルスのように増殖しているだろう?」と指摘する。

彼らのように、何も感じずに他人の命を奪えるものは、例えば戦争中なら英雄になれたのかもしれない。

しかしそういう感覚を持ったものが平和な小さな町の片隅にもじわじわと侵入してきているという事実は、こういう形のアルマゲドンもありなのか、なんて思わせます。

他者とのコミュニケーションのなさが、他の人間を人間と知覚せずに危害を加えても、何も感じないことの原因になっているのかもしれません。

何でもパソコンとかテレビゲームのせいにする気はないのですが・・・
それにしても、人間同士のコミュニケーションの不足がこういうものの原因であるとすれば、その一端に、画面を通じてしか人とコミュニケーションをとれなかったり、痛みを伴わず敵を倒すようなゲームを子供のころから好んですることがないとはいえない気がします。

今、現在日本で起こっている犯罪でも似たような感覚を持つ犯人はざらにいますよね。
『誰でもいい、人を殺したかった』『人を殺せと声がした』なんていう動機をニュースで聞くたびに、底知れない恐怖を感じます。

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

先日、神戸児童殺傷事件の親が書いた手記を読んだのですが、ごく普通の家庭環境で、ごく普通に育てたはずの子供でも、まるで悪魔が憑いたように、命を奪っても何も感じないものにそだってしまうことがある。
彼が、逮捕された後も、面会に来た母親に向かって「人間の命もゴキブリの命も同じなんだ」と発言するシーンが恐ろしかったです。

結局どうしてこういう「殺人に無感覚」な人間が育ってしまうのかは、実は親にもわからないのですね。

・・・・と、映画の話とずれてきてしまいましたが、そんな『病んだ現代』(といっても舞台は1980年代ですが)の恐ろしさを見せ付けられた気分がして、見終わったあとはずし〜〜んと重くなりました。


猫殺し屋シガーを演じたハビエル・バルデムは、アカデミー賞の助演男優賞をとりましたが、あれって主演じゃなくて、助演だったの?(爆)
ボンベで至近距離からバス!って死んだ本人も死んだことが判らないような方法も斬新ですごかったけど、なんといってもシガーの存在感が巨大で、確かに得体の知れない不気味さが良く出てました。
「酷い髪型をさせられた」と受賞後のスピーチで文句を言ってましたね。本人も嫌だったんですね、あの髪型。(爆)


リゾートトミー・リー・ジョーンズは、若い頃は信念をもって任務についていたけれど、今は年老いて諦観を持ってきた保安官ベルの役で、ちょっと「逃亡者」の時の刑事が年とったような感じでしたが、彼が主演ということなんでしょうね〜
よろよろしながらも大活躍を最後に見せてくれるのかと思ってましたが・・・・
でも確かに彼のセリフに、いろいろ考えさせられるものがありました。
最後の彼のセリフに救いがあったと見る方もいるみたいですが・・・・、私は救われませんでした。

善良な年寄りが安心して暮らせる国への強い憧憬と希求がテーマにあるのかもしれませんが、それよりも動かしがたい諦観を感じ、カタルシスさえ感じられず、ただ現実の重さがのしかかってきてしまいました。


いろいろ印象的なシーンがありました。
例えば、保安官ベルが、シガーの後を追っていて、シガーの飲み残したミルクを飲むシーンなど。
しかし犯人が飲みかけのミルクを飲んでしまうって、そこにCSI科学捜査班はいないのか?? ・・・という問題じゃないんですけれど。

同じ椅子に座り、ついていないテレビに彼らの影が映りこんでいる画像とか、無機質で冷たい感じがして、とても上手だな〜と思いました。


犬jesterが一番共感したのはルウェリン(ジョシュ・ブローリン)で、まあ臆病なわたくしのことですから、同じ立場になっても、とてもじゃないけどあんなお金を持ち逃げなんかできませんけど、
「早く発信機を窓から投げ捨てて!!」と叫びたくなるし、
「もしあたしだったらお金をどこに隠すだろう」なんて低次元な事をかなり真剣に考えちゃいました。(殴)

どこにでもいそうなおっさん、でも実は「ナム帰りでサバイバル系」というキャスティングが、つい応援したくなるんですね。


コーエン兄弟はアカデミー賞のコメントで「好きなことをやってこれて評価されて嬉しい」みたいなことを言ってましたね。
確かに二人とも、映画作りが好きなんでしょうね。

無駄な音楽を省き、風の音や発信機の音、足音などで緊迫感を守り立てる辺にも彼らの実力を感じました。

jester好みの作品とはいえないけど、それなりにメッセージが伝わってきて、監督は映画作りの愛情があるな〜とは感じました。
posted by jester at 12:59| Comment(12) | TrackBack(8) | な行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

マイ・ブルーベリー・ナイツ MY BLUEBERRY NIGHTS

やばい。やばいなあ・・・あせあせ(飛び散る汗)

『ジュード・ロウにはフェロモン感じないんだけどさ・・・』
とそこらじゅうで言っておいてその舌の根が乾かぬうちに、あのカフェを都会の片隅で見つけたら、店主のジェレミー目当てに通ってしまいそうな自分が恐い。(爆)

ブルーベリーパイを食べながら、『溜まってしまった鍵のストーリー』を一つ一つ彼から聞きたいです。はい。


ウォン・カーウァイはハリウッドにいっても、きちんとウォン・カーウァイしてました。
ハリウッドに進出したアン・リーを熱狂的に支持する方も多いですが、jesterは台湾時代のアン・リーのほうが好きなのです。
だから、ウォン・カーウァイもどうかなあ・・・と思いましたが、英語で撮っても彼の世界は健在。
『花様年華』や『欲望の翼』などなど、彼の作品が好きな人なら気に入るウォン・カーウァイ風ロード・ムービーです。

ポスターやトレーラーで「甘いラブストーリーなんだろうな、パスだな」と思った人(ハイ!と自ら挙手・・・)は、偏見を捨てて見てみてください。
jesterもジュード・ロウだし、どうしようかなと思っていたけど、お友達のブロガーさんの評価が高かったので行って正解でした。
ジュード・ロウがすごく苦手な人でも、彼はメインの話ではあまり出てこない(爆)ので大丈夫です♪
(でも韓流的・甘・涙・ラブストーリーを期待する人は、がっかりするかもですよ。)

jesterのお好み度は、☆☆☆☆1/2 

「誰かに絵葉書を書きたくなる映画」でした♪



ジェレミー(ジュード・ロウ)のカフェは今時の東京にある『おしゃれな街』にあるカフェではなくて、ローカルの私鉄沿線や寂れた地下鉄の駅の近くにある、地元の人たちが家に帰る前に立ち寄ってちょっとコーヒーを飲んでいくような、古びたお店。

でも表面だけをぴかぴかに磨いてあるプラスティックのような安っぽい『おしゃれなカフェ』に喜んでいくよりも、こういうホスピタリティのある店主のいるお店を行きつけのお店として持つほうが本当は大人でスタイリッシュなんじゃないでしょうか。

だってお店の雰囲気が、とってもなごむし癒されるようなんですよ。その上、頑張らなくていい、肩に力入れなくていいの。
その理由は、実はかなりこだわりを持って造られてるインテリアと、長い年月を経ていい具合に使い込まれた店内、そしてなんといっても店主のジェレミーのすべてを悟っているような視線&優しさにあると思うのです。

それでも訳知り顔でもないし、お説教臭くもない。
ただただそばにいて、話がしたいなら聞いてくれるし、黙っていたい時はほっておいてくれる、しかもかなり薄汚れて見えるけど実はとっても綺麗な顔立ちの店主がいるお店なら、疲れた時にふらっと寄りたくなるじゃないですか。
こっちがメイクはボロボロ・髪はぼさぼさだって、意地悪な目で見たりしない包容力がある店主ですから、ついつい愚痴のひとつも聞いてほしくなるってもんです。

それにジュード・ロウって地味なシャツと額の滅び行く草原を上手いことカバーしたボサ髪が似合うんですね〜。
こういう体つきで顔だちの人って派手な格好をすると、なんだかホストみたいに見えるんだけど、今回はかなり渋くてインテリジェンスさえ感じるほどでした。
やばいよ、実際・・・・あせあせ(飛び散る汗)

フェロモン
フェロモンこないだ神田茜さんのこの本を読んだんですけど、(レビューはこちら)この本に出てくるジュード・ロウファンで、ファンサイトのブログをやってる主人公の気持ちがちょっと分かりました。

しかしあのジェレミーの食べていた半分になったたまねぎ型というかスライム型のものは何なのかしら?
なんかのパイだと思われるけど、モンブラン?
気になる〜


猫ノラ・ジョーンズの音楽はデビュー当時から大好きで、CDは全部持っているのですが、今回映画初出演と聞いて、かなり不安でした。
トレーラーをみて、「女優としてはどうなのよ?」と思ってましたから。

でも大丈夫。レイチェル・ワイズやナタリー・ポートマンとおなじ土俵に立っていないから、痛くないの。
かえって親近感が増したぐらいです。
その辺、地味〜〜に、ほとんどノーメイクで目の下にクマは見えるし、ダサい格好(というか、ウエイトレスの制服だったりするけど)とくそ真面目っぽい態度が、彼女らしくてよろしかったです。
お店の片隅で、ジェレミーに絵葉書を書くシーンが好きでした。


ぴかぴか(新しい)そして、レイチェル・ワイズやナタリー・ポートマンはため息が出るほど綺麗。

レイチェル・ワイズは『かつて不良少女だった、警官の離婚した妻』、ナタリー・ポートマンは『博打好きで父親とうまく行っていない女性』、と、彼女たちの普段やる役とはちょっとタイプが違う役に挑戦してますが、とても上手だし、すごく魅力的です。

ナタリーのターコイズのチョーカーとかひらひらしたスモック風の服装も素敵でした。



****以下、ネタバレ少々ありで、映画の内容には触れてます。未見の方、ご注意ください!****




まさにたった今失恋してしまったブロークン・ハートのエリザベス(ノラ・ジョーンズ)がついついジェレミーに心を許してしまうのはよく伝わってきて共感できました。

一人になりたくなくて、ジェレミーが日記代わりに眺めるという『店内の監視カメラの映像』を店の片隅で床にじかに座って眺めながらみながら泣いてしまう彼女。
その肩を、そっと抱き寄せてあげる彼。
こんな何気ないシーンが心に残りました。揺れるハート

そしてそんな彼に心を許しつつも、そこにべったり甘えて寄りかかってしまわないで、旅に出るエリザベスも素敵です。

そしてロードムービーが始まります。

ぴかぴか(新しい)旅の途中、エリザベスの出会う人たちがまたいいの。

中でもjesterが一番好きなエピソードは、警官のアーニー(デビッド・ストラザーン)、その妻スー・リン(レイチェル・ワイズ)の話でした。
アーニーがどんな人なのかわかるまではどきどきしてしまったけど、事情がわかるにつれ、愛というものの複雑さをいろいろ考えさせられました。
デビッド・ストラザーンがまた上手いんですよ〜

(アーニーにどきどきしたのは「ノーカントリー」を見た後だったからで、アメリカ不信に陥っていたjesterは「突然空気ボンベさげてきたりしないのか? 何するかわからんぞ、こいつ・・・」と思ってみてました(汗))

とても『おしゃれな映画』だと思います。(当社比)
ラストシーンにはほんとにほっとして、優しい気持ちになりました。たらーっ(汗)

マイ・ブルーベリー・ナイツ オリジナル・サウンドトラック

音楽もシックで、見終わったあと映画館でCDを買いました♪
ノラ・ジョーンズの音楽がたくさん使われているのかと思ったらそうでもなくて、担当はライ・クーダー。
ちょっと南米風のものやChikara Tsudukiさんという日本人(?)の人の曲も使われています。

なかなか癒されるサントラであります。



posted by jester at 13:02| Comment(28) | TrackBack(16) | ま行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

L change the WorLd

Lのファンのお友だちに誘ってもらって、映画自体よりどちらかというとその前後のおしゃべり目当てで見た映画(殴)ですが、もう見てからずいぶん経ってしまいました。(ふと気がつくと1ヶ月以上もだ・・・)
忘れないうちにレビューをアップしなくちゃ(汗)

「デスノート」原作は貸してもらって読んだし、映画のほうも見ました。

今回はそのスピンオフということで、Lが主役です。
「デスノート」を見て、Lというキャラクターが気に入った方が見る映画ですね。


子役の福田麻由子ちゃんがとても上手で可愛かった!

いろいろテレビドラマなどにもでているらしいので、jesterは今頃認識して遅すぎなんですけど、これから妙に早く色っぽくなったりしないで、自然に育っていって欲しいなあ〜

それと、タイ人の子どもの役だった福田響志くんという男の子も可愛かった。

子供が登場する映画で子役が下手だと救われませんから、この辺のキャスティングは成功してたと思います。


猫ストーリーについては、元が少年漫画ですから(といってもこれは原作が小説らしいけど)それなりの展開でして、ネタバレしてもなんだしここではあまり書きません。
しかも低予算で作られているので、ハリウッドみたいに巨額のドルをかけた画像で驚かすとかできませんからね。

まあそういう中では一生懸命つくっていた感じです。

タイでロケとかしたらしいし。
タイ人の村人の演技には笑いましたが。(だってこんなすっくり立ってて、なにか重要な役なのか?と思ったら、ぜんぜんただの通行人だったり(笑))


このタイロケで、生き残りの男の子を助ける役だった人(KかF?? 終わった後友人に見せてもらったパンフレットには名前が載っていたのに、忘れてしまった・・・)が英語が結構上手で、日本人じゃないのかと思っていたら日本の方でしたわ〜〜
なんていう人だったかしら。いま調べてみたけどわからん。


犬あとは、Lが背筋を伸ばして歩いたり、苦手な子供とどう仲良くしようかと悩んで、お菓子を串刺しにして人にあげたりするのをみてファンが「かわい〜〜!」って喜んでたって感じですかね。
(jesterも喜んでましたけど)


クリスマスそれと、私、工藤由紀が苦手だったんですよ。

だから映画が始まって彼女が出ているのを見たときは「ああ〜〜この人がでてるの〜」とちょっと引いたんですね。

「お湯をかける少女」のCMのとき(何年前??)は「可愛い」と思って、そののち井沢八郎の娘と聞いて驚愕しましたが、その後、映画などに出ているのを見るとあまりにヘタクソで・・・・

はっきりいって、避けてました。

英語のインタビュー見たときも、英語はあまりお上手じゃないし、話している内容も感心しませんでした。

私の好きな「世界ふれあい街歩き」というBS−hiの番組があるのですが、これのナレーターを彼女がやっていた時も、音声だけ消したいぐらい、日本語の発音が悪い。無駄な感情表現がはいりすぎて気持ち悪い。

でも今回、改めてみてみると昔よりずいぶんよくなりましたね。
演技もまあまあだし、とても綺麗に見えました。

すこし苦手意識が減った感じです。


クリスマスしかしこうして振り返ってみるとなぜか「デスノート」より好きかも知れない気がしてきました。

比較すると全体的にこじんまり地味ですが、まとまっていた気がします。
「デスノート」は筋を追うのに必死、という感じだったけど、こちらは人間描写にも時間を割いていたし。


ただし、ウッチャンナンチャンの南原くんは余計でした。
演技は下手だし、彼のことをよく知らないわたくしは、なんなの?この人は、という感じで・・・


猫え〜〜まあ日本映画ですし、jesterの守備範囲外の映画なので、評価するのもなんなんですが・・・・

もう公開も終了に近づいてるし、ここは素直にいってしまうと、映画自体のできは客観的に見て
☆☆(お暇なら)、ぐらいでしょうか・・・・

ま、それなりに楽しんでは見られました。

posted by jester at 09:50| Comment(4) | TrackBack(2) | あ行の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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